前回に少し補足します。要は「ひらかれたフレンドリーな場」を一緒に「つくって」ほしい、ということです。
場は、そこにいるすべての人(来訪者、作者、画廊スタッフ)が作るものだから、来訪者も能動的な主体なんです。受身の「お客さん」ではないんですね。ここは重要だと思います。
鑑賞から発言や立ち振る舞いまで、すべて主体的に関わる能動的な行いなんです。 ですから「悪意のない勝手気まま」が「意図せぬ排他」になってしまうような場合、それはいわゆる「空気が読めない」というよりは、主体意識の問題なのではないか、と思うわけです。
場は、そこにいるすべての人(来訪者、作者、画廊スタッフ)が作るものだから、来訪者も能動的な主体なんです。受身の「お客さん」ではないんですね。ここは重要だと思います。
鑑賞から発言や立ち振る舞いまで、すべて主体的に関わる能動的な行いなんです。 ですから「悪意のない勝手気まま」が「意図せぬ排他」になってしまうような場合、それはいわゆる「空気が読めない」というよりは、主体意識の問題なのではないか、と思うわけです。
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