作品は、それを見る(※注1)人の心に届いて初めて完結するものです(※注2)。
作品は、完成した時点でひとり歩きを始めます。作者は自分の作品のすべてを理解しているわけではありません。どう見るかは鑑賞者にゆだねられます。
作者が考えもしなかったとらえ方をされる可能性も充分にあって、そこが面白い点でもあります。そういう話こそ聞きたいと思います。もちろん我が意を得たりと膝をたたくような反応は文句なしにうれしいものですけど。
作品を発表する作者の気持ちは、「ねえねえ! こんなの作ったんだよ! 見て見て!」という子どもっぽい訴えと、本当のところ少しも違わないように思います。見てくれた人がなんにも言わなかったりすると、本当はその腕を両手でつかんで揺すぶりながら「ねえったら! ねえ!」と叫びたい気持ちなんです。大人だからそんなことしませんけどね。
(※注1)見るといってもそれは視覚に限りません。
(※注2)人知れず、誰にも見られず完結する作品も存在すると私は思っていますが、この考えはあまり一般的ではないかもしれません。
作品は、完成した時点でひとり歩きを始めます。作者は自分の作品のすべてを理解しているわけではありません。どう見るかは鑑賞者にゆだねられます。
作者が考えもしなかったとらえ方をされる可能性も充分にあって、そこが面白い点でもあります。そういう話こそ聞きたいと思います。もちろん我が意を得たりと膝をたたくような反応は文句なしにうれしいものですけど。
作品を発表する作者の気持ちは、「ねえねえ! こんなの作ったんだよ! 見て見て!」という子どもっぽい訴えと、本当のところ少しも違わないように思います。見てくれた人がなんにも言わなかったりすると、本当はその腕を両手でつかんで揺すぶりながら「ねえったら! ねえ!」と叫びたい気持ちなんです。大人だからそんなことしませんけどね。
(※注1)見るといってもそれは視覚に限りません。
(※注2)人知れず、誰にも見られず完結する作品も存在すると私は思っていますが、この考えはあまり一般的ではないかもしれません。