緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

盧舎那仏の大仏さん…経典編 (^.^)

2022-03-18 | 日々気づき
  どんな神社にもお寺にも御真言や信者さんに向けた教典があります

簡単に言うと、そこでの教えですよね
信者さんだけでは無くても人間の基本的学びです
生まれて来た事、生きる事、死ぬ事…そう言った人生観に死生観
神社や寺院は人間として生きて行く中での心のよりどころでもある
そんな心を癒し、学ぶところ
魂もが連れて行って欲しいと集うところ


日本にはいっぱい神社も寺院もあるというのに…
仏像もたくさんあって
それぞれの意識を伝えているというのに
神様もたくさんいて
八百万もいて、どんなものにも神様が宿っているというのに
そこへ集って行く人がいるんだから
皆が幸せで在るのが当然なんだろうけど
神社や寺院の教えはどう人々に伝わっているんだろう
ただの観光地では無いよね

コロナで分かった事で、日本の病院みたいな感じ
個人病院が多すぎていざとなると自分の病院の患者が大切だと言ってしまう
本来の医師の使命感とやらはどこへやら
(もちろん中には素晴らしい使命感を持つ医師もいるけれど)


結婚式には神式とかキリスト教で
お葬式は仏式で
本当はそんな時に儀式を行い誓いや祈りを重んじるのだろうけど
今ではイベント的なことになったりして
何でも在りというのが良いとは思うけど
当たり前って感謝も当たり前に
そうなってしまった人間だけが悪い訳じゃない
伝える事が伝わってこなかった

神社や寺院
行くだけで良いのか
知るだけで良いのか
学ぶだけで良いのか
依存してるだけで良いのか


魂の事をどう伝えているのか
魂の存在をどう伝えているのか
仏様の事、神様の事をどう伝えているんだろう
どこまで伝わっているんだろう

目の前で災害が起きて初めてハタと気づくのか
目の前で戦争が起きて気づくのか
自分の居てる場所が戦地になって気づくのか


経典があっても体験からでしか気づけないのなら
今目の前の事を生きる方が良いのでしょう。
先ずは自分が生きて幸せを選択して行かないと…。
戦争が嫌だと思うならまずは家族との平和に努力し
ご近所と仲良くし、対話し、平和であり
身近ないじめや虐待にも声をあげ
会社での対人関係を考え、融合し、平和であり
先ずは自分の意識を変え、自分が平安であり
目の前からを変え、自分が幸せを感じ
身近な平和を創って行かない限りどんな事も対岸の火事で終わる

それを身をもって教えてくれているのも今現実に起きている出来事。
それも神様仏様の分身が身をもって教えてくれている。

経典や御真言からそんな事が学べたとしても
自分の人生に活用できなければ…。



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