緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

自分の評価は数値か感覚か。

2024-03-01 | スピ的視点
  「自分の人生自分が生きている」って、本当に認識しているか。
そんな事で昨日は話していました。
私はたくさんの人と話をしたり関わったり見たりしていると思います。
まあもっと多く接している人は世の中にはいる事も認識していますが (^^;)
人間ウォッチングも好きだし、分析も好きです。
そのためには自分を俯瞰するという事が必須だという事はスピリチュアル世界を学んでから気づきです。
霊体の人間自身がいろんな次元にアンテナ張っているという事を知ったし、
霊体のエネルギー体で色々影響されることも、
それで病気になったり、我見失う事も知ったり、現実にそんな人を見て来たのもあってです。
今では憑依とか幻覚を見るとか、認知症も、そういう事も精神疾患という病名を付けられてしまうので、心と対峙する事も無くなり、
病気、症状の対処という事になり、投薬や治療にすすぬ進むようになったので、それが良いのか悪いのか。
余計に自分自身と対峙したり、自身を俯瞰したりすることが少なくなったり、またはなくなったりしています。

霊の憑依や幻覚や心の問題を昔は祈祷師や陰陽師や霊能師に頼っていた頃は、まだその本人に助言や生きる生き方の指針を示していたかも知れませんが、それも陰陽師などのお金設けとなって、浄化などしたとしても頼っていく者の依存となってしまった事から時代は流れて行きました。

そんな観えないものに頼るより現実的な見える数値や医学の方へ流れてしまった事が良いのか悪いのか、違う依存となってしまい、その心の病はもっと増えるという時代へと変わって行きました。

自分を俯瞰するより、また、自分が自分を評価するより、数値が評価を決めるという方へ。
健康状態の評価すらも自分の感覚よりも数値ですもんね (^^;)

学生時代に勉強していた時代に私も数値の評価は決して良いとは思えないものでした。
でもいつの時もですが思い出すと真ん中、5段階なら3、
好きな音楽や家庭科が4とか5やけど、苦手な社会や理科が2やったかも
常に全体で平均的。
結婚して夫婦の収入も常にほぼ真ん中(やや下)こんな事で自分の評価も出来るわけもなく、出来ないぐらいでした。
常に真ん中や普通で良いかと思えたことで、かえって良かったのかも知れない。
一喜一憂することも無くです。
その後にはそんな数値の評価に惑わされていけないという学びで、自分に自信持とうと思ったり、信じようと思っていったので、助けられたと思う。

アホでもこれが得意だとか、頭悪いけどしっかり理解できてるとか、先生の話を聴けなかったのか興味が無かったのか勉強できなかったけど人の話しは聴けるしとか、自分でバランス取ってることを自分が評価するという。

それも自分を俯瞰して行ってるからだと思ってる。
人に惑わされることなく、自分の評価を信じるために。

身体の数値もまず自分の感覚を信じる、そのために生活意識を俯瞰する。
しっかり生活を意識していたらたとえどんな結果だろうとその評価を受けとめる自信がある。
それに身体の数値の評価は心の数値と比例していると考えているので、評価の結果でまた心を改めて行けたらそれで良いと思ってる。

評価は数値ではなく自分の感覚を信じるという事。




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