送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

更新をお待ちくださっている皆様へ

2012-07-04 12:22:57 | 雑記
うわぁ~、7月になってしまったぁ~!!6月はまともな記事のアップができてなくてごめんなさーい。m(_ _;;m 

   

窓の外も頭の中もこんな感じです。3週に1回くらいの更新が理想なんですが、知力と気力が追い付かない・・・(||| ̄▽ ̄;)
5月6月は容量不足の脳ミソにデータを入れ過ぎたとか、実生活が転機を迎えたとか、以前から不調だったキーボードがついに
暴走を始めたとか、そんなようなことでちょびっと疲れておりました。7月は不本意ながら時間だけはたくさん取れる予定なので
仕切り直して追い込んでいこうと思ってます。

        
                熊本県立図書館所蔵「発電所及送電経路図」より(熊本逓信局 1926年)    

それから、お詫びの第2弾。南熊本松橋線シリーズについて。
今となってはどうしようもない根本的なところに大きな問題があることが分かりましたので、大変申し訳ありませんが公開停止と
させていただきます。いろいろ教えてくださった皆様、どうもお世話になりました。ありがとうございました。 m(_ _)m
「寄り道ばかりしてないで本筋を行け」っていう天の声ですかねー。次の記事は本筋に帰って大淀幹線。現在の南熊本松橋線も
含むこの線路のたどった歴史について、また考察してみようと思ってます。上の画像はちょっぴりネタバレ。

           
                                南熊本神水線52号

この鉄塔も登場させようかな~。1970年代に立て替えられたものです。思いっきり「昭和」な雰囲気が漂ってるでしょ♪
                 
ノートPCが病院送りになったんで古いデスクトップを引っ張り出してきたけど、入れてるソフトも単語登録も違うと使いづらい・・・
全部入れ替えなきゃ・・・ついでに画像と史料のファイルの整理も。うわぁぁぁ・・・orz



鉄塔の立場

2012-05-31 23:14:28 | 雑記
先日、調べ物のために県立図書館から九州電力の社史を借りた。社史は1951年の会社創設以来10年ごとに5冊出ている。
それとは別に「九州地方電気事業史」という本があって、全体を見渡したい時にはこれが重宝なんだけど、さすがに主要な事柄に
しか触れてない。調べようとしてたのがローカルな設備のことだったんで、もうちょっと詳しく書かれたものを探してたというわけだ。
5冊といえばかなりの分量。全部読めるはずもなく設備関係のところだけ拾い読み。それでいくつかの「?」が解決しました♪

               
               解決した問題その1。宇土変電所の完成はやはり1941年。造ったのは「九州電気」。 

10年の間隔をおいて編まれた5冊はそれぞれ違う色合いを持っていた。各時代の夢と課題が行間から滲み出ていた。鉄塔マニア
目線の自分にとって印象的だったのは鉄塔の地位の変化。電力不足解消に必死だった50年代、増え続ける需用に追いまくられて
いた60年代、送電線は大威張りだ。70年代には用地の取得に苦労している気配はあるけどまだまだ「鉄塔様」。それが80年代に
入るとあちこちで迷惑施設扱いされ始める。90年代には完全に肩身が狭くなっている。巨大化した鉄塔に威圧や恐怖を感じる人が
増えたこと、地権者や周辺住民の権利意識が強くなったことが主な理由だという。
世間一般ではそんなに邪魔者扱いされてるんだ・・・。「鉄塔をどけて欲しいとはよく言われるんですけどね、わざわざ見に来る人は
珍しいですねぇ。」工事現場でお会いした九電さんの言葉だ。「でも鉄塔はきれいですよねー。」と言ったら驚かれたw

               
          解決した問題その2。南熊本変電所の完成は1972年。玄海原発と大平揚水発電所が建設中だった頃。

美観や電磁波の問題は主観的な部分が大きくてややこしすぎるので横に置いといて。送電線下の土地利用について。
送電線の下には地主であっても好き勝手に建物を造ることはできない。電圧が170kV以下なら線下の建造物の高さを制限する。
170kVを越える電線の下なら問答無用で建築不可。そういう規則がある。実際には「ここは平屋なら建ててもいいんだけど気持ち
悪いからやめとこう」と考える地主さんもいるだろう。そんな土地が何十km何百kmと帯状に続く。関係する土地の所有者は膨大な
数だ。もっとも電力会社が他人の土地利用を一方的に制限できるわけではない。普通は地権者と交渉して鉄塔用地を買い上げ、
線下地には地役権を設定して「電線を通過させていただく見返りにこれこれを補償します」という契約を結ぶ。しかし70年代あたり
までは「鉄塔用地は賃貸で地役権もなし」なんてザラだったらしい。昭和も終わりが近づく頃から土地の取得と地役権取り付けが
進められてきた。旧32号の建ってた家の方がおっしゃってた「20年位前に鉄塔の下を売った」っていうのはこのことだったのかー。

               
        解決した問題その3。今の大井早発電所の出力が完成当時より小さいのは最初の建屋がダムに沈んだから。
                     高い位置に移転して落差が小さくなっている。

こういう交渉、山林の場合は問題も起こりにくいけど開発が絡むような土地だと延々とモメ続けて送電線建設が進まなくなることが
ある。そうなると費やす時間とコストが跳ね上がるので鉄塔用地には将来にわたっても開発されそうにない土地を選ぶ。公園の中
だとか水路の上だとか急傾斜地だとか。これまで何度も感じてきた「なんでこんな場所に?」の疑問。やっと腑に落ちた。そういう事情だったのね・・・( ̄▽ ̄;)

                         
          なんだか無理やりな鉄塔用地の例。線路幅を小さくするためにモノポール鉄塔にしたようだけど・・・

工事現場を見に行くと「どのようなご用件でしょうか?」と身構えられてしまうのが普通だ。「なんか苦情を言いに来た」と思われて
いる。そうではないと判るとみなさん笑顔が出る。うーむ。大正期ならそんなことにまで気を遣う必要はなかっただろうに。今の時代
そうはいかないもんな。技術は発達したけれど世の中はややこしくなりましたね。本当にお疲れさまです m(__)m

             
               もうひとつ、無理やりな鉄塔用地の例。深礎基礎を擁壁で押さえ込んでる?

     参考文献:九州電力株式会社「九州電力10年史」(1961年)
                       「九州電力20年のあゆみ」(1971年)
                       「九州電力三十年史」(1982年)
                       「九州電力四十年史」(1991年)
                       「九州電力50年史」(2001年)

これからのこと、初代たぬ猫のこと。

2011-03-28 00:05:18 | 雑記
春を迎えて浮き立っていた気持ちを一気に冷やしてしまった恐ろしい地震の発生から半月が経ちました。
震災で命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。また辛い日々を送っていらっしゃる被災地の皆様が一日も早く
落ち着いた暮らしを取り戻せることを願って止みません。加えて救援活動や復旧作業に尽力しておられる皆様に心からの敬意と
感謝を送ります。

まだ余震が続いていますし福島第一原発の現状もとても大丈夫などとは言える段階ではありません。それでも復興に向けて
あちこちで活動が始まっています。いつまでも非常時ではないのです。これからは震災後の日常を生きていくのです。
今度の震災では計画停電の混乱とか物資の不足など、天災とはいえない騒動も起きました。これらは東日本だけの問題では
ないでしょう。日本の社会が抱え込んでいた無理が表に出たんです。これまでのライフスタイルを根本から見つめ直す。
これも「今、自分にできること」です。こんな時だからこそ改めるべきところは改めていきましょうよ。
今回はこのブログの趣旨からはまるっきり外れた内容ですけどちょっとだけ言わせて下さい。

               
                             初代たぬ猫 目つきがヤンキーでした

今回の事態は自分たちの生活がどれだけ電力に依存しているかを思い知らせてくれました。長時間の停電を経験された方は
どうしても必要なものとそうでもないものを改めて意識されたことでしょう。
自分は1999年の台風18号のあと5日間電気のない生活を送りました。9月下旬の出来事で冷暖房は要りませんでしたから一番
困ったのは冷蔵庫です。3日で中身が全滅しました。傷み始めた食材を一緒に片付けてくれたのが初代たぬ猫です。
当時住んでいたアパート周辺が縄張りだった野良猫で、基本的には自分で狩りをして生きてる奴でした。台風の通り過ぎた朝、
引きちぎられた水道管や潰れた車や折れた電柱を目にして途方に暮れる人間どもの前に普段と変わらぬ態度で現われました。
停電も断水も野良猫には無縁なんですよね…
電気も水も来ない部屋の中でのキャンプもどきの生活だって数日で終わると思えばそれほど辛くはありません。(多少テンションが
変になってたのは認めます。)かえって本当に必要なものが分かってスッキリした気分でした。これからは猫のようにシンプルに
生きようと決心し、初代たぬ猫師匠に弟子入りしました。食料は自力で調達、宵越しの金なんざ持たねぇぜ!ならカッコよかったん
ですが…そういう訳にもいかずw。一度便利で豊かな生活を知ってしまったらそれを手放すことは至難の業です。結局いまだに
「文明生活」と決別できずにいます。まあ少しは変わったかな。物欲は減りました。田舎での貧乏暮らしが楽しくなりました。
そこらへんは気の持ちようです。

人間は食物連鎖の輪から半端に抜け出した特殊な存在です。生物としては相当な困ったちゃんです。けれど自然の恩恵なしでは
生きていけません。そのことを自覚して謙虚になりましょう。自然を押さえ込もうなどと思い上がったところで太刀打ちできるもんじゃ
ないことは言うまでもありません。そういう視点に立ってこれから進むべき方向を考えてみませんか。


<追記>
草稿の時点ではもっと長くて過激な内容でした。あんまりだったので大半を切り捨ててアップしました。言いかけて止めてしまった
モヤモヤ感が消えません。どんなことを考えていたのか項目だけ列挙させていただきます。

  ・莫大なエネルギーを消費してまで昼と夜、季節の移り変わりに逆らうのはまともなことなのか?
  ・日本の人口の1/3が首都圏に集中しているのは正常な状態と言えるのか?
  ・「需要を掘り起こす」と「需要を作り出す」の違い。仕掛けられたトレンドに踊らされてないか?
  ・日本人一人が生きていくための金銭的環境的コスト。「命の価値の地域格差」的なこと。
  ・人間は本当にエライのか?

「お金も地位も幸せになるための手段に過ぎない。生きる目的にしてはいけない。」自分はそう思ってます。
同意しろというつもりはありません。それぞれで自分なりの道を考えてみて下さい。
(2011-03-31)

紅白鉄塔の深まる謎

2010-12-06 01:38:08 | 雑記
このブログ、開設して1年が経ちました。だんだん訪れて下さる方も増えてきています。誰も来なくても情報を出し続けるつもりで
始めた事でしたが、やっぱり来て頂けると嬉しいものですね。とても励みになります。
内容は相変わらずの妄想炸裂&写真がダメダメ&更新が遅くて申し訳ありません。少しずつでもレベルアップしていきたいなぁ。
どうやら年明けに自分専用のPCが手に入りそうなので更新頻度はちょっぴり改善できる・・・かな?

      

第1回の記事は「紅白鉄塔の謎」。でも謎を解決しようって内容じゃなかったし。あの時先送りにした問題は解決できたのか?
1年の間にいろいろなことを知ったので改めて取り上げてみた。ほったらかしてた訳じゃないんですよ~。
あの時点では答を見つけられなかった「紅白の鉄塔って何?」については、その後「航空法」「航空障害灯」「昼間障害標識」という
キーワードにたどりついて大体分かってきた。つまりこういうことらしい。
「航空法の規定で、高さ60m以上の鉄塔には紅白塗装を施し夜間は赤色のライトを点灯して航空機からはっきり視認できるように
しなければならない。ただし数年前の法改正で昼間でも白色のストロボを点滅させれば紅白塗装はしなくてもよいと変わった。」
なるほど~。鉄塔自体の高さなのか。山の頂上だからとかじゃないんだ。紅白塗装(昼間障害標識)と赤ライト(航空障害灯)とが
セットな訳ね。でも赤ライトにも点滅するのとしないのとがある。それに赤ライトのない紅白鉄塔も存在してるよ。どういうこと?

         
            手前から220kV熊本緑川線36号、35号、34号。           若番方向から35号と36号。

ライトの点滅のことはすぐ判った。塔高が60m以上90m未満なら点滅なし、90m以上150m未満なら頂部のライトが点滅あり。
150m以上になるとストロボ設置が必須で紅白鉄塔ではなくなってしまう。
航空障害灯が免除になる場合もある。平地に紅白が並ぶ時は両側を紅白に挟まれた1本には取り付けしなくてもいい。
上の画像がその例。3連続紅白のまん中のに航空障害灯がない。右の画像で奥の鉄塔にだけ点灯してるのが見えるかな・・・
以前の記事(2010-09-28「もうひとつの苓北火力線」)でちょっと触れた苓北火力線旧206号も似たような例だと思うんだけど
あれは平地じゃないし一直線上でもないし。いささか疑問。別の条件があるんだろうか。

  

で、これが解らない。川を挟んで立つ500kV中九州幹線92号(左)と93号(右)。どっちにも航空障害灯はない。夜は真っ暗だ。

           
          
この2本だけが紅白で前後はライトグレーだからさっきの例とは違う。そもそもこの2本、とても60m以上あるようには見えない。
最下段の腕金なんて塔高の半分より下だし、見た目も明らかに91号や94号より低いのに。なぜこれが紅白なんだろう???
 
 
                  下流の橋から見た220kV熊本南熊本線125号(白い方)と126号(紅白)

同じく謎の鉄塔。こっちは60mあるのかな?微妙だなぁ。川越えの鉄塔という共通点があるので河川管理関係でも建築物の
塗装について規定があるのかと思ってざっと調べてみたんだけど、そういうのでもないみたい。
もうこうなったら原点からアプローチするしかない。まずは航空法をきちんと読んでみよう。
白状すると航空法は全部は読んでません。でも第五十一条(航空障害燈)と第五十一条の二(昼間障害標識)は読んだからね。
法律そのものは「骨」であってそれだけでは具体的なことは分からない。なので次に施行規則を見る。こっちはかなり具体的だ。
ふむふむ。塗色の仕方も灯火の種類や位置もめちゃくちゃ細かく決まっているんだな。
あれ?「昼間障害標識を設置しなければならない物件」の中に「国土交通大臣が告示で定める架空線 」っていうのがある。
もしかしてこれかな?さて、どう定められてるんだろう。さらにほじくり返していたら「航空障害灯/昼間障害標識の設置等に関する
解説・実施要領」というものを見つけた。これは細かい!表や図解で詳しく説明してあって素人にも(どうにかこうにか)理解できる。
これを読むと告示で定める架空線とは「次の図に示す区域内にあり」、主要な道路・河川・鉄道などと交差しているもの、海上に
あるもの、を指すようだ。「次の図」は東京か大阪の航空局でしか見ることができないようなので絶対これだと断言はできないけど
これっぽいとは言えるだろう。
中九州幹線も熊本南熊本線も跨ぎ越しているのは一級河川緑川。主要と見なしてもいいんじゃないかな。鉄塔そのものは60mも
なくても川岸の小高い場所に建っているから最上段の架線は水面から60m以上ありそうだ。ならば架空線の両端の支持物つまり
鉄塔に塗色をしなければならない。航空障害灯についての規定はないので設置は不要。これにて一件落着~。
・・・してないじゃん!中九州幹線の例はいいとして熊本南熊本線。片っぽだけが紅白ってのは両端とは言わないよ?

     

見てのとおり125号と126号は高さが全然違う。125号は220kV鉄塔としては低い部類。しかも126号の敷地が丘の上なのに対して
125号のは堤防の下だ。堤防の上の道路に立つと鉄塔上部までが異様に近い。ヘリ巡視用番号札の存在に初めて気付いたのも
この125号だった。塔高が低くて上空からよく見えないのなら塗色なんか無意味ってことなのかな。実際、橋の上からだと下1/3は
見えないでしょ?規定には視認可能な部分が30m未満なら塗色は省略できると書いてある。代わりに架線に直径50cm以上の
赤と白の玉を45m間隔で交互に設置すればいい。でも、そんなもんどこにも付いてませんけどー?
これが未だに残った問題なんです。どなたかお解りの方いらっしゃいますか?

夏の思い出

2010-10-12 08:25:54 | 雑記
 
                  積乱雲と苓北火力線180番台の鉄塔。なんというか・・・空が熱帯です。

今年の夏には参りました~。ようやく涼しくなってホッとしてます。
暑かった間はあまり外に出て行く気力も湧かなかったんですが、多少は過ごしやすい夕方には近場をうろつき回ってました。
だって鉄塔見に行かないとよけいイライラするでしょー?もう電線依存症ですよ。外にいれば電線見てる、家にいれば電気使うw
そんなんでまた画像が溜まってきました。そろそろ整理しとかなきゃ。まとまった記事にできるのはいつになるやら分からない、
細かい部分が判りにくいので記事中では使わないだろう、そんな画像の中から季節感のあるものをいくつか拾ってみました。

 
       南熊本松橋線39号         苓北火力線181・南熊本宇土線36号   イオンモール宇城バリュー分岐線6号

田植え時の水田風景が好きだ。小さな苗がお行儀よく並んだ水の表に空が映って光に満ちた不思議な空間ができあがっている。
左は水に浮かんだ白いステージと水面の鉄塔が印象的だったので。稲が育つと水面もステージも隠れてしまう。そうなるとよくある
田んぼの中の鉄塔と見分けがつかない。再びステージが現れる時はこれまたよくある土の上のコンクリート結界になってるはず。
水上ステージが見られるのはこの時期だけだ。
中央は、うーん、ミニスカートをはいた鉄塔?チュチュを付けたバレリーナにも見える。下段はここで方向転換なので胴を回り込む
ために腕金が縁側状態になってしまっている。この画像では判りにくいけど長幹碍子がずらりと並ぶ。この鉄塔に関してはいずれ
きっちり紹介しますから。(っていつだよ?25本先だぁ~。さっさと進めないと1号鉄塔に行き着けなくなるぞぉ。)
右は捻架鉄塔!道の先にその奇妙なシルエットが見えた瞬間「あれってもしかして・・・」。もう視線くぎ付け。
上線と中線だけが入れ替えてあって下線はなぜかそのまま。結線の仕方も面白いと思ったんだけど縮小したら電線が見えなく
なっちゃったよ。これもそのうちちゃんと紹介しますからね。おそらく1925年(大正14年)建設と思われる1本。  

     

ウバユリとネジバナはよく見かける。キヌガサタケの実物に出会ったのはこれが初めてで感激だった。梅雨時の薄暗い林の中に
レースの傘を拡げた姿はとても神秘的。でも生ゴミ臭がして小バエが集まってて・・・写真で見るだけの方がイメージ良かったなw。
この夏の「感動の出会い」にはもうひとつ、青いミミズとの遭遇というのもあった。話には聞いていたカンタロウミミズだ。
本当にハッとするようなメタリックブルー。写真も撮ったけどそっち系はダメな方もいらっしゃると思うのでここには載せません。
興味があればカンタロウ(カンタロー・カンタロ)またはシーボルトミミズで検索してみてください。


        甲佐支線8号                西日本製鋼分岐線6号           西日本製鋼分岐線5号

1回線鉄塔いろいろ。この夏は1回線鉄塔にもたくさん出会った。特に山の中は1回線の王国だった。
甲佐支線の鉄塔の小ささは前に載せた画像よりこっちが分かりやすいと思う。(2010-07-01「チッソ株式会社水力センター」)
結界は電話ボックスサイズ。中に立つと「嵌まっている」感覚になる。小さくても基礎はちゃんと4つ。鉄柱ではなく鉄塔だ。
このタイプはこれまでに5本見つけた。うち3本には支えのワイヤ。根開きが少ない分、安定が悪いんだろうな。建設は1951年。
ああそうだ、支線というのは変電所には入らずに送電線に合流していく路線。たいてい出発点の発電所の名が取ってある。
中央のは一気に大きくなって110kV。110kVで1回線て珍しいよね?工場地帯にならあるんかな。110kV路線自体が少ないか。
右は同じ西日本製鋼分岐線の新幹線高架越え。こうなると1回線でもかなり大きい。さすがに紅白とまではいかないけれど。


       緑川第一支線7号               緑川第一支線4号            チッソ 内大臣川線40号

今度は高原の1回線鉄塔。どれも標高500m近い場所なので雲が近い。でもこういう鉄塔には空よりも森や水のイメージがある。
基幹系統は風の音が聞こえる「空の鉄塔」、山奥の水力発電所からやって来る流れる水の音のする「森の鉄塔」、家々の屋根を
越えて続くざわめきに満ちた「街の鉄塔」。自分の中ではそういう分類ができている。実際にはよっぽど川べりにあるのでもない
限り水の音までは聞こえないとは思う。急流の瀬音や水力発電所の轟音からの連想ってことで。
左は標準的な「森の鉄塔」。休耕地に立っているのに草が深くて近づけなかった。夏は鉄塔巡りには不向きな季節だ。
中央、これも1回線。2つの電線路が合流する地点だ。画面奥に緑川第一発電所、右方向に緑川第二発電所があり、双方からの
送電線がひとつになって左方向へ続いている。それぞれの架線を受け取るために下段と中段の腕が90度捩れているのが楽しい。
遠くからだと見る角度によって全然違う鉄塔みたい。
右の画像は後光が射してて神々しいでしょ。チッソの鉄塔は1回線でも腕が両側に3段ずつのものが多い。なんでだろう?
碍子交換なんかの時に架線を別の腕に移すためか、それとも将来2回線にする計画でもあるのかな。

 

帰省した時に見た広島港沖に浮かぶ島に建っていた鉄塔。紅白のドナウが2本!走る車の中から撮ったので歪んでるぅ~。
一人で「おお~!」と叫んでいたら同乗の家族に怪訝な顔をされた。他人の運転だと好きなだけよそ見できるのがいいなぁ♪
移動の列車の窓からは線路跡を跨ぐ開脚鉄塔や門型鉄塔の行列etc.を見た。撮影できなかったのが残念。次の時・・・あ、
来年行くときは新幹線だ。新幹線の窓からは何が見えるだろう。
それと今回初めて頭部だけが赤や黄色の鉄塔を見た。熊本ではそういう塗色は見たことがない。関門海峡を越えてから次々と
目に入ってきた。戻りにも注意していたけど九州に入ってからは気付かなかったから九州電力では採用してないっぽい。
そうそう、博多駅からちょっと小倉寄りの場所に脚部の赤とその次の白だけ塗装されてるのがあった。あれって何だったんだ?

 
                     最初の画像の続き。この日が夏の最終日だった気がする。

9月も半ばになると仕事帰りにちょっと鉄塔って訳にはいかなくなりました。今では帰り道は真っ暗。でも去年と違って道の両側に
現れるいくつもの航空障害灯、それが何線の何号のものでどんな場所にあるのか全部知っています。友達が増えた気分です。
そんなのは一方的な思い入れで鉄塔の知ったこっちゃないのは承知の上。それで幸せになれるんだから素敵じゃないですか。
さあ、また晴れたらどんどん出掛けていくぞ~ (⌒▽⌒ )ノ