送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

鉄塔の立場

2012-05-31 23:14:28 | 雑記
先日、調べ物のために県立図書館から九州電力の社史を借りた。社史は1951年の会社創設以来10年ごとに5冊出ている。
それとは別に「九州地方電気事業史」という本があって、全体を見渡したい時にはこれが重宝なんだけど、さすがに主要な事柄に
しか触れてない。調べようとしてたのがローカルな設備のことだったんで、もうちょっと詳しく書かれたものを探してたというわけだ。
5冊といえばかなりの分量。全部読めるはずもなく設備関係のところだけ拾い読み。それでいくつかの「?」が解決しました♪

               
               解決した問題その1。宇土変電所の完成はやはり1941年。造ったのは「九州電気」。 

10年の間隔をおいて編まれた5冊はそれぞれ違う色合いを持っていた。各時代の夢と課題が行間から滲み出ていた。鉄塔マニア
目線の自分にとって印象的だったのは鉄塔の地位の変化。電力不足解消に必死だった50年代、増え続ける需用に追いまくられて
いた60年代、送電線は大威張りだ。70年代には用地の取得に苦労している気配はあるけどまだまだ「鉄塔様」。それが80年代に
入るとあちこちで迷惑施設扱いされ始める。90年代には完全に肩身が狭くなっている。巨大化した鉄塔に威圧や恐怖を感じる人が
増えたこと、地権者や周辺住民の権利意識が強くなったことが主な理由だという。
世間一般ではそんなに邪魔者扱いされてるんだ・・・。「鉄塔をどけて欲しいとはよく言われるんですけどね、わざわざ見に来る人は
珍しいですねぇ。」工事現場でお会いした九電さんの言葉だ。「でも鉄塔はきれいですよねー。」と言ったら驚かれたw

               
          解決した問題その2。南熊本変電所の完成は1972年。玄海原発と大平揚水発電所が建設中だった頃。

美観や電磁波の問題は主観的な部分が大きくてややこしすぎるので横に置いといて。送電線下の土地利用について。
送電線の下には地主であっても好き勝手に建物を造ることはできない。電圧が170kV以下なら線下の建造物の高さを制限する。
170kVを越える電線の下なら問答無用で建築不可。そういう規則がある。実際には「ここは平屋なら建ててもいいんだけど気持ち
悪いからやめとこう」と考える地主さんもいるだろう。そんな土地が何十km何百kmと帯状に続く。関係する土地の所有者は膨大な
数だ。もっとも電力会社が他人の土地利用を一方的に制限できるわけではない。普通は地権者と交渉して鉄塔用地を買い上げ、
線下地には地役権を設定して「電線を通過させていただく見返りにこれこれを補償します」という契約を結ぶ。しかし70年代あたり
までは「鉄塔用地は賃貸で地役権もなし」なんてザラだったらしい。昭和も終わりが近づく頃から土地の取得と地役権取り付けが
進められてきた。旧32号の建ってた家の方がおっしゃってた「20年位前に鉄塔の下を売った」っていうのはこのことだったのかー。

               
        解決した問題その3。今の大井早発電所の出力が完成当時より小さいのは最初の建屋がダムに沈んだから。
                     高い位置に移転して落差が小さくなっている。

こういう交渉、山林の場合は問題も起こりにくいけど開発が絡むような土地だと延々とモメ続けて送電線建設が進まなくなることが
ある。そうなると費やす時間とコストが跳ね上がるので鉄塔用地には将来にわたっても開発されそうにない土地を選ぶ。公園の中
だとか水路の上だとか急傾斜地だとか。これまで何度も感じてきた「なんでこんな場所に?」の疑問。やっと腑に落ちた。そういう事情だったのね・・・( ̄▽ ̄;)

                         
          なんだか無理やりな鉄塔用地の例。線路幅を小さくするためにモノポール鉄塔にしたようだけど・・・

工事現場を見に行くと「どのようなご用件でしょうか?」と身構えられてしまうのが普通だ。「なんか苦情を言いに来た」と思われて
いる。そうではないと判るとみなさん笑顔が出る。うーむ。大正期ならそんなことにまで気を遣う必要はなかっただろうに。今の時代
そうはいかないもんな。技術は発達したけれど世の中はややこしくなりましたね。本当にお疲れさまです m(__)m

             
               もうひとつ、無理やりな鉄塔用地の例。深礎基礎を擁壁で押さえ込んでる?

     参考文献:九州電力株式会社「九州電力10年史」(1961年)
                       「九州電力20年のあゆみ」(1971年)
                       「九州電力三十年史」(1982年)
                       「九州電力四十年史」(1991年)
                       「九州電力50年史」(2001年)