送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

大牟田の6回線鉄塔

2012-04-21 18:26:52 | 気になる鉄塔
南熊本松橋線の記事を作ってて頭が煮詰まってきたので気分転換に違うネタを上げてみます。去年の4月に出会った鉄塔です。

                 
福岡県は大牟田市、三池変電所近くの公園に建っているもの。熊本近辺では見かけない6回線だ。しかも形が思いっきり派手。
遠くからでも目立ってたんで寄ってみた。すぐそばまで行くと予想以上に見どころの多い1基だった。多回線で分岐で交差だよー。
上から110kV(だと思う)港三池新線、66kV三池三井化学横須線、22kV大牟田西鉄渡瀬線。w(゜ο゜)w 22kV!!

             
そこが最大の見どころだったかー!「22kVの送電線」は謎の存在だった。九州電力が公開している設備図でも大分支店のにしか
載ってない。他には断線事故の際にケーブルを使用して仮設したという情報があったくらい。普通は22kVなら配電線だもんねぇ。

       
ずっと気になってたので九電の人とお話しできた時に「こんなの見たんですけど」と切り出してみた。そしたら「碍子3個なら2万です
ね。そんなのがあるんですか・・・」みたいな反応が返ってきた。あ~、九電さんでもそう思うのか。やっぱりレアもの??
送電鉄塔には高圧配電線を共架してはいけないそうだ。以前Kitakumaさんに教えていただいた。これは全部送電線だからそこは
クリア。でもそれだけの理由でこんなことしないよね。鉄塔自体はそんなに古くない。線路の続きを見れば謎が解けるかな~。

            
他にも気になる点がある。上段の港三池新線の碍子連には長幹碍子が使われていること。画像では見たことあったけどな。
上部4回線は電気化学工業の横手をかすめていた線路の続きらしいこと。きっとこれも歴史のある電線路なんだろう。
大牟田はまたいずれ、天気のいい日に時間をかけて回りたい。どうしよう、行きたい所がいっぱいだ・・・( ̄◇ ̄;)

えー、それでは増強工事の記事作成に戻ります。数日中にアップできる・・・はず。です。 p( ̄∀ ̄)/  がんばろう自分。

  蛇足1 「港三池新線」というからには「港三池旧線」もある。
  蛇足2  大分にある22kV送電線はいずれも発電所どうしを結ぶ線路。 


宇土分岐線の現在と過去

2011-12-14 10:59:46 | 気になる鉄塔
【前回のあらすじ】
昨年秋に撤去されてしまった宇土分岐線の鉄塔。しかし18号以降は「宇土JR九州熊本総合車両所線」として現在も生きていた!

   

南側から見た熊本総合車両所。右奥にちょっとだけ見える陸橋の向こうに整備施設が5棟連なっている。それで変電所はどこー?

               

前回記事の画像では判りにくかったので9号の腕金をもう一度。送電線を吊る「腕」ではなくブッシングなどを載せるための「棚」。
足場も取り付けてあるから部材が多くて重量感がある。架空地線用腕金の形が謎だ。1本しかないのになぜこの形に・・・

                        

新幹線の高架を越えた空地に建つ8号。北と西が水路、南が工場、東が民家という鉄壁の構え。工場と民家の間にある入口には
ロープが張られている。「絶対に入れてやらん!」という決意が感じられる( ̄▽ ̄;)
これも作りが新しい。高架の建設に合わせて建て替えられたんだろうか。9号と同じ時かなぁ。あ~、近寄れないのが悔しいw

  

8号は諦めて次へ行く。7号はひねりの入った2段重ねの台座つき。本体も66kV鉄塔としては高い方なのでとても偉そうに見える。
番号札がB脚ではなくD脚に付いていた。送電方向が逆転したのに標示の位置がそのままなんだ。そういうのは時々ある。
番号札に記された年月が建設時だったり路線開通時だったりするのは過去記事のとおり。路線の開通が1990年じゃないことは
判ってるからこれは建設年月と考えていい。8号の建て替えはこっちと同時期の可能性もあるか。

        

続く鉄塔は住宅地の中だ。昔のものでもない。通行人(子供と高齢者と犬)の多いくねくねした路地へ車で入りたくなかったんで
それはパスして古そうな鉄塔を見かけた記憶のあるJA前へ行ってみることにした。時間に余裕があったら徒歩で戻ってもいいし。

                 

で、その古い鉄塔がこれなんですが。(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ-、ますますエラそうだぁ~
今度は建物正面、駐車場の真ん中に堂々と芝生の台座付き。どこにも「立入禁止」とは出てなかったので人目の少ないのを幸い
しっかり上がり込んで結界撮影もしてきました。オバチャンって恐いねぇww

      

1941年!宇土分岐線の消えた鉄塔の建設年月もこれだったんだろうか?年号でいうと昭和16年。ブライヒ結構誕生の年かぁ。
その頃ここはどんな場所だったのかな。たぶん元は台座なんて無かった。これは周囲が整地された時に取り残された島だ。
鉄塔の内側の低い位置に×を描く鋼材がよく見える。この×は大淀幹線の古鉄塔のほとんどに入っている。だからブライヒより
前の鉄塔には付き物だと思ってたんだけど解体されてしまった鉄塔には入ってなかったような気がするな。数本入った垂直材も
戦前の鉄塔の特徴だ。この3号では昇塔防止器の上下に斜めの部材もあってブライヒっぽくも見える。この斜材は後で付け加え
られたんじゃないかと考えてるんだけど、どうやって確かめたもんか・・・九電に訊いてみるしかないか・・・

       

3号には注意看板がにぎやかに取り付けられている。農協ビルの駐車場なんていう人の出はいりの多い場所だからねぇ。
「あぶない のぼるのはやめよう!!」の札のマスコットキャラが古い3号では現在の「みらいくん」なのに1990年製の7号では
昔の「九電坊や」(右の画像)だったのが自分としてはとても感慨深い。先代の鉄塔に付いてたものなんだろうなー。

   

田植えされたばかりの田んぼに立っていた2号もプラット結構とブライヒ結構の折衷みたいな構造だった。行った時期がマズくて
結界に入れなかったのが残念。鉄塔巡りを始めて2年。フィールドワークは10月~5月に行うべきだっていうのがよく解った。夏場は
鉄塔に近寄れないとか陽射しが強すぎるとか虫が多いとか、あれこれ厄介だ・・・
ヘリ巡視用の番号札が「25」だった。宇土分岐線時代の番号だ。こういうのは放置してていいんですか?紛らわしくない?そういや
5号は飛ばしてきちゃったからヘリ番がちゃんと付いてたかどうか見てない~。

        

畦から撮ったので番号札が遠い。思いっきり逆光だし。文字が読めなくてごめんなさい。これも「1941.4」でした。m(__)m

    

いよいよ1号。変電所のフェンス際じゃない。なぜか間に民家がある。宇土変電所って周囲ぐるっとこうなんだよな・・・
またもプラットとブライヒごたまぜの構造。今度の画像だとよく解るでしょ?白っぽいから重たくは感じないけど妙に部材が多い。
鉄構を挟んで反対側にも66kV鉄塔が建っている。この配置・・・線路の途中に後から変電所ができたんじゃないの?実はあっちの
線路にも1941年製の鉄塔がある。白状するとそれを先に見てたから宇土分岐線に引っかかってたっていうのが本当のところだ。
最初がどういう線路だったかは大淀幹線について調べていた時に判った。1941年どころじゃない。これも大正期の線路だった。
ただ当時の鉄塔は残ってないようだ。建て替え後の鉄塔が1941年製なら「それでもいいか」としか言えないけど、見たかったなー。
元々は三里木駅付近にあった境の松開閉所から弓削開閉所を経て松橋変電所に至る2代目「松橋送電幹線」。1925年8月完成。
初代松橋送電線はルートが違うので別物と考えたい。初代が木柱で1回線だったのに対し2代目は鉄塔の2回線と進化した。
宇土分岐線になるまでには何度もの改変を経ているはずだ。途中いくつかあった開閉所はなくなったり変電所になったりしている。
出発点が弓削に変わっている。分割もされている。送電方向が反転したところもある。宇土変電所はやっぱり後から造られている。
そして昭和後半のどこかでこの線を横切る新線路ができ、その交差点から宇土までが「宇土分岐線」になった。そして今はそれも
半分がなくなってしまい、残った半分が「宇土JR九州熊本総合車両所線」だ。最初の線路の他の部分もそれぞれ形を変えながら
ほとんどがまだ生きている。
まだ解決してない疑問点は「宇土変電所の竣工がいつだったのか」。もしかしたらその答えが「1941年」なのかもしれない。

宇土分岐線の消滅と転生

2011-11-20 23:52:16 | 気になる鉄塔
通勤途中の道から見える元の大淀幹線(この名称で確定です!)の鉄塔で建替工事の準備が始まった。ついに来たか・・・
春先あたりから「その時」が近いことを匂わせる兆候はあった。予期していてもいざ目の前で工事が始まると動揺してしまうなぁ。
そう、古い鉄塔はいつかは撤去されてしまう。去年の秋にも鉄塔が消えていくところを見たんです・・・

      
        最初に見つけた宇土分岐線2号。建設年月が消されてるのが気になる。198・・・いや199X?

麦畑に架線のない鉄塔を見つけたのは昨年の春も終わりの頃だった。路線名を確認し、九電HPの供給設備図を思い浮かべる。
あれかぁ。廃線になってたのか。(ここで頭に浮かんでるのは一昨年のもの。今年更新された設備図にはもう載ってません。)
すでに1号鉄塔は無かった。全部消えてしまうのも時間の問題、まだあるうちに見ておかなきゃ。そう思ってたのに。

     
    南熊本緑川線の手前に立つ宇土分岐線の廃鉄塔。右端の鉄塔と隣の2号の間に以前は1号鉄塔があったはず。

再訪した時は田植えの季節に突入していた。麦畑は水田に変わって空を映している。ちょうど作業中で周囲に苗の入ったトレイや
田植え機が並べられ、人も集まってて近寄ることができなかった鉄塔もあった。
稲刈りを待って改めて訪れてみれば、ああ、もう残り3本になってる!前回遠く眺めた鉄塔たちは跡形もなく消え失せていた。

      

2号と3号は残っていた。電線はなくなってるのに「電線注意」の文字が鮮やかだ。ヘリ番の位置には「危険」の表示札もある。
九電では分岐や交差に近い鉄塔には「注意」「危険」の札が付いている。頂部だけを赤や黄に塗装というのは見かけない。年月が
経つと鉄塔全体をベージュや薄緑に塗り替えるからなのか。濃い茶色の塗装なんてのもあったしな~。

   

4号はなかった。春にも見なかったと思う。5号は撤去作業の準備中。作業員さんがいらっしゃったので少しお話させていただいた。
1日に2基づつ解体しているのだそうだ。結構ハイペース!後の処理にもう数日かけるとのこと。周囲を含めて整地をしたり機材を
運び出したり、後片付けがいろいろあるんだろう。架線がいつまであったのかはご存じなかった。かなり前からなくなってたのか、
違うところが担当したのか・・・

      

6月には間違いなく存在していた6号もきれいさっぱり消えていた。湿気の多い結界だった場所は乾いた更地になっていた。
改めて画像を見ると番号札の下に古い札を外した形跡がある。そうだよな、最初から「宇土分岐線」だったわけじゃない。その横の
腹材は塗装されてないのであとから補強したものだと推測できる。いつ建てられたんだろう?大正の鉄塔とはたたずまいが違う。
でもかなり古そうだよね。ブライヒ結構じゃないっぽいし。なぜ年月表示を消してあるんだ~???llllll(-_-)llllll

    

7号は整地の真っ最中。重機が忙しく動き回っていて、この日の作業が終わる頃には残る工程はあらかたなくなったように見えた。
翌日には敷かれた鉄板も片付けられてしまったんかなぁ。続くはずの8号9号は6月の時点ですでに見あたらなかった(気がする)。

       

10号。もう鉄塔が建っていたことをうかがわせるものは何もない。じきに近所の人にだって「鉄塔?ここに?そうでしたっけ?」って
言われちゃったりするんだろうな・・・

     

13号の敷地跡もこんなんですもん。わりと高くて目立つ鉄塔だったんだけど。画像奥側の(たぶん)14号はどこにあったのかすら
はっきりしないorz この辺りは若番方面より早くから撤去が始まってたようだ。建ってた姿を見てない鉄塔は痕跡も捜せない・・・

           

宇土変電所に向かってさらに西へ進む。前回はこの先には行ってない。新幹線の高架の手前で真新しい異様な鉄塔に出会った。
これ、国道から見たことがある。携帯の中継塔でもないし何だろうと思ったんだった。ここまでは電線が来てる。つまりこの先はまだ
生きてるんだ。腕金のあたりがごちゃごちゃしてるのはブッシングが突き出しているから。ここでケーブルに変わって地下に入って
いく。ふーん、3相を撚り合わせてまとめちゃうんだ。架空線だとあんなに間隔が必要なのに。確かにものすごくコンパクトになる。
街中だと大きな鉄塔を建てて架線するよりケーブルを埋設する方がいろいろと簡単っていうのが納得できる。まず用地が要らない、
苦情が出にくい、補償金も要らない、送電線の経路がまるわかりってこともない。でも見る楽しみがないなーw

  

えらく長い路線名で読みにくい。どうやら「宇土JR九州熊本総合車両所線」と書いてあるようだ。えぇぇぇー!!そうなの!
熊本総合車両所といえば新幹線の車両基地ですよ。また意外なモノに行き当たったなー。
航空写真で確認すると元は宇土分岐線18号のあった位置。いや、ちょびっと移動してるかな。前のは隣の畑に建ってますね。
(2011年11月現在、goo地図の航空写真ではまだ全基が揃ってます。)


さて、ここまできたところで。一気に宇土変電所まで行っちゃう予定だったんですが・・・まだ先が長いんです・・・( ̄▽ ̄;)
なので2回に分けることにしました。次回は、いまだ現役の鉄塔たちの現在と過去、そして宇土分岐線の成り立ちについて。

南熊本松橋線と南熊本人吉線

2010-07-19 17:22:31 | 気になる鉄塔
6月初めにに南熊本イオンモール宇城バリュー線の名前が南熊本松橋線に変わった。
この路線については以前紹介したことがある。(「南熊本宇土線で南熊本イオンモール宇城バリュー線、だけど」)

     
             撮影日 5月13日                             撮影日 6月6日

南熊本変電所から18号までは回線の配置の仕方が不思議な4回線鉄塔の上段に架かっている。
あの時は「変わった配置だなぁ」と思っただけだったけど、そのあと色々な鉄塔を見ていくうちにこの併架路線の妙なところは
そこだけじゃないのが分かってきた。疑問点をまとめてみよう。

 ・下段の南熊本宇土線はなぜ普通と逆に№1回線がB脚側(送電先に向かって左)No.2回線がA脚側(同じく右)なのか。
 ・上下段とも110kV仕様だけどショッピングモールに110kV引込はありえない。上段は66kV運用?
 ・宇城バリュー線が66kV運用ならなぜ上段?塔高が無駄に高くならないよう電圧の低い方を下段にするものだろうに。
 ・2000年の九電の資料では電線路は宇城バリュー以南も八代まで続いているのにその部分は「事業外」となっている。

宇城バリュー線の運用開始が1997年なのに南熊本宇土線と分岐したあとの20号や21号が時代を感じさせる姿なのも気になる。
この路線には何か事情がありそうだ。


まずは松橋から先がどうなったかを確認しに行こう。22号から追跡を開始。ここからだと松橋変電所はほぼ真西なんだけど
鉄塔の列は南へ向かっている。宇城バリューに行くんだったら南でよかったんだけどねぇ。どこかでUターンするのかな。


  23-1号(枝番だ!)        24号            25号            27号             33号

電線路に沿って進むと今風な鉄塔とレトロの香り漂う鉄塔が入り混じって現れてくる。
古風な鉄塔には田んぼが似合うなぁ。心がなごむ。補助材の少ないトラス組みや腕金の形のせいで「ゆるキャラ」になっている。
近寄ってじっくり眺めたいけど時は田植えシーズン。直したばかりのの畦はまだ柔らかいから踏み込んで崩したりしたら大変だ。
今回は電線路自体がどうなったか分かればいいので鉄塔を1基ずつ見るのは稲刈りが終わってからだね。

             

34号で分岐だった。18号からここまで南向きに来た電線路と分かれ、西へと新設の鉄塔が立ち並んでいる。
新設鉄塔のほうが南熊本松橋線だった。この地点からだと松橋変電所へはかなり北へ戻らないと。
しかし・・・こっちでは新鉄塔建ててたのか。南熊本神水線の建替現場と違って囲いがないから基礎打ちも見られたかも。
いまさら知っても手遅れだ。残念~。

 
        懐かしい空気を漂わせる南行き                             鋭角的な西行き        

直進方向の鉄塔には真新しい「イオンモール宇城バリュー分岐線」の番号表示札。なるほど、そうなったんだ。
この日はそこまで見届けてチッソの水力センターへ行ったので宇城バリュー分岐線の追跡は2日目に。


   
      画面上方に行くのが「事業外」電線路                  イオンモール宇城バリューの変電施設

問題の「事業外」は宇城バリュー分岐線12号から分かれていた。「事業外」が古いタイプの鉄塔で直進なのに対して
12号以降の宇城バリュー分岐線は今風の鉄塔で進行方向もクランクになっているのでどっちが元々の線かは一目瞭然だ。
だけど「事業外」にはジャンパ線が繋がってない。架線はあっても電気が流れないようにしてある。
分岐線の方は12・13・14と1基ごとにジグザグに転進しながら送電線を最終の15号鉄塔から変電施設の鉄構へ引き渡していた。

12号の次の「事業外」最初の鉄塔は南熊本人吉線47号。1925年2月って大正14年・・・。
前日に水力センター近くで見た鉄塔が南熊本人吉線54号だった。あの時「ああ~そうだったのか!!」って心底驚いた。
始めに上げた謎のいくつかが解けた気がした。南熊本宇土線1Lと2Lの謎は未解決だけど。

         

大正期というのは電力需要が爆発的に大きくなっていった時代だ。
明治の中頃に都市部から使われ始めた電灯が農村部へも普及しただけでなくラジオなどの家電製品も登場してきた。
全国各地で電車も走り始めた。熊本では菊池軌道が1923年(大正12年)に電化、1924年に市電が開通している。
第1次大戦による戦争景気などを経て日本の産業の中心が農業から工業へ移り、京浜や阪神には工業地帯が生まれた。
どんどん増大する需要を充たすため水力を中心とした発電所建設ラッシュが起こり、熊本でも熊本電気や球磨川電気(ともに
後に九州内の他の電力会社との統合を繰り返して現在の九州電力に繋がっていく)・日本窒素肥料(後のチッソ)が
リードする形でさまざまな会社が次々と水力発電所を建設していた。
また熊本電気は1923年に新しい火力発電所も稼動させている。1956年まで玉名にあった高瀬火力発電所だ。

現・南熊本松橋線は元はそんな時代に建設された南熊本人吉線だった。最初から110kV規格だったんだろうか?
国内初の110kV送電が始まってからすでに10年以上経っていた。154kV送電だって実現していた時期だ。
送電技術的には可能だったろうし基幹路線なんだからそうであって欲しいんだけど110kVで送出してた発電所ってあったのかな?
現在残っている古い鉄塔が開通当時からのものだとすると今年で85歳。鉄塔の寿命はだいたい50年ぐらいらしい。
この路線が休止になったのはたぶん1973年。新設の220kV南熊本大平線・大平人吉線に役目を譲って引退したんだと思う。
路線開設から48年後にあたる。潮時だと判断されても不思議じゃない。
1960年頃から基幹系統は220kVへの移行が始まっている。今は基幹系統として扱われているのは500kVと220kVだけ。
110kV送電線は現在残っているものも順次減らしてゆくそうだ。

で、始めの疑問の答えを推測するとこうじゃないかな。
  1925年  南熊本人吉線運用開始 南熊本を起点に途中で八代へ分岐し人吉に至る
  (1942年または1955年  最初が110kV運用でなかったならば昇圧はこのあたり?)
  1972年  南熊本宇土線を併架するため18号までを4回線鉄塔に建替え、上段に南熊本人吉線、下段に南熊本宇土線を配置
  1973年  南熊本人吉線の八代までの部分を休止
  1997年  休止中の上段の北半分を66kV南熊本ダイヤモンドシティ線として再開
  2007年  南熊本ダイヤモンドシティ線を南熊本イオンモール宇城バリュー線に改称
  
これまで説明してませんでしたが「南熊本変電所」の所在地は旧・下益城郡城南町です。
今年3月に合併して「熊本市城南町」になったのかな。とにかくJR南熊本駅がある「熊本市南熊本」ではありません。
「変電所なんか知らないけど南熊本駅は知ってる」方は混乱されたかも m(_ _)m


追記1:記事中に根拠の不確かな推測によって書いてしまった部分がありましたので一部文章を差し替えました。(2010-07-24)
追記2:南熊本人吉線の歴史は上の推測とはかなり違ってました。関連記事はこちら。「大正14年の電線路」   (2012-07-07)

南熊本宇土線で南熊本イオンモール宇城バリュー線、だけど

2010-02-14 16:15:14 | 気になる鉄塔
前々回の続き。
南熊本宇土線19号の腕金をもう一度見てきた。

                  

画像の上が若番側。右腕は部材が多いし補強までしてあって左腕よりずいぶん重そうだ。
送電線の走る向きがそれほど変わっていくところでもないのにどうして違えてあるんだろう。
よく見るとジャンパ線中央の長幹碍子(LP碍子かも。どう見分けたらいいんでしょう? )には右側のにだけツノが生えている。
画像では判り難いけど上下に2個連結した細長い碍子のそれぞれにアークホーンに似た金具が十字に取り付けてある。
こんなあっちもこっちもアシンメトリーな設計にしてあるのはやはり18号のせい?
18号との径間が約100mと普通より短いのも意味ありげだ。


         

問題の18号鉄塔。4回線でやって来た送電線がここで分岐している。
手前に延びてきているのが南熊本宇土線。右へ竹薮を越えていくのが南熊本イオンモール宇城バリュー線。
名前なげーよw 行き先はめっちゃ判り易いけどww
碍子数はどちらも1列8個×2列、ということはイオンモール行きも同じ110kVだな。
この18号、腕の数が多いしジャンパ線を大回りさせるため碍子もたくさんだし、これまでの鉄塔より中身が詰まっている感じ。

   
  結界に立つと「詰まっている」感さらにアップw                       結界の中心。下は中央部分の拡大。


しかしこの鉄塔(というかこれより若番の鉄塔)の最大の不思議はこっちだろう。

   
           B脚のプレート                                 A脚のプレート

回線表示札が変。上の路線と下の路線で回線の配置が反対だ。
まだ記事にしてない他路線も見た範囲で分かってきた限りではA脚側に1L、B脚側に2Lというのが普通なのだ。
南熊本宇土線は逆になっている。
いままでに見た他の併架鉄塔では上下とも同じ回線配置だったし、宇土線が1972年設置、宇城バリュー線が1997年設置で
宇土線の方が古いので「併架だから」という理由でこうなっている訳ではない。
宇土変電所まで行けばその理由が分かるんだろうか。

ご愛嬌なのが鉄塔番号札の宇城バリュー線の名前がシールで訂正されていることw 以前はダイヤモンドシティ線だったようだ。
そうそう、2年くらい前だったか店舗の名称変更があったから、それで路線名も変わったんだな。
大切な大口顧客様なんだから「旧店名でもいいだろ」って訳にはいかないよなぁ。
でも回線表示札と黄色い注意札の訂正にまでは手が回らなかったらしい。
路線の鉄塔全基に訂正シール貼った巡視員の方、お疲れ様でした。