送電鉄塔の見える場所

稜線の向こうに消えてゆく鉄塔の列はどこへ続いているんだろう

南熊本松橋線と南熊本人吉線

2010-07-19 17:22:31 | 気になる鉄塔
6月初めにに南熊本イオンモール宇城バリュー線の名前が南熊本松橋線に変わった。
この路線については以前紹介したことがある。(「南熊本宇土線で南熊本イオンモール宇城バリュー線、だけど」)

     
             撮影日 5月13日                             撮影日 6月6日

南熊本変電所から18号までは回線の配置の仕方が不思議な4回線鉄塔の上段に架かっている。
あの時は「変わった配置だなぁ」と思っただけだったけど、そのあと色々な鉄塔を見ていくうちにこの併架路線の妙なところは
そこだけじゃないのが分かってきた。疑問点をまとめてみよう。

 ・下段の南熊本宇土線はなぜ普通と逆に№1回線がB脚側(送電先に向かって左)No.2回線がA脚側(同じく右)なのか。
 ・上下段とも110kV仕様だけどショッピングモールに110kV引込はありえない。上段は66kV運用?
 ・宇城バリュー線が66kV運用ならなぜ上段?塔高が無駄に高くならないよう電圧の低い方を下段にするものだろうに。
 ・2000年の九電の資料では電線路は宇城バリュー以南も八代まで続いているのにその部分は「事業外」となっている。

宇城バリュー線の運用開始が1997年なのに南熊本宇土線と分岐したあとの20号や21号が時代を感じさせる姿なのも気になる。
この路線には何か事情がありそうだ。


まずは松橋から先がどうなったかを確認しに行こう。22号から追跡を開始。ここからだと松橋変電所はほぼ真西なんだけど
鉄塔の列は南へ向かっている。宇城バリューに行くんだったら南でよかったんだけどねぇ。どこかでUターンするのかな。


  23-1号(枝番だ!)        24号            25号            27号             33号

電線路に沿って進むと今風な鉄塔とレトロの香り漂う鉄塔が入り混じって現れてくる。
古風な鉄塔には田んぼが似合うなぁ。心がなごむ。補助材の少ないトラス組みや腕金の形のせいで「ゆるキャラ」になっている。
近寄ってじっくり眺めたいけど時は田植えシーズン。直したばかりのの畦はまだ柔らかいから踏み込んで崩したりしたら大変だ。
今回は電線路自体がどうなったか分かればいいので鉄塔を1基ずつ見るのは稲刈りが終わってからだね。

             

34号で分岐だった。18号からここまで南向きに来た電線路と分かれ、西へと新設の鉄塔が立ち並んでいる。
新設鉄塔のほうが南熊本松橋線だった。この地点からだと松橋変電所へはかなり北へ戻らないと。
しかし・・・こっちでは新鉄塔建ててたのか。南熊本神水線の建替現場と違って囲いがないから基礎打ちも見られたかも。
いまさら知っても手遅れだ。残念~。

 
        懐かしい空気を漂わせる南行き                             鋭角的な西行き        

直進方向の鉄塔には真新しい「イオンモール宇城バリュー分岐線」の番号表示札。なるほど、そうなったんだ。
この日はそこまで見届けてチッソの水力センターへ行ったので宇城バリュー分岐線の追跡は2日目に。


   
      画面上方に行くのが「事業外」電線路                  イオンモール宇城バリューの変電施設

問題の「事業外」は宇城バリュー分岐線12号から分かれていた。「事業外」が古いタイプの鉄塔で直進なのに対して
12号以降の宇城バリュー分岐線は今風の鉄塔で進行方向もクランクになっているのでどっちが元々の線かは一目瞭然だ。
だけど「事業外」にはジャンパ線が繋がってない。架線はあっても電気が流れないようにしてある。
分岐線の方は12・13・14と1基ごとにジグザグに転進しながら送電線を最終の15号鉄塔から変電施設の鉄構へ引き渡していた。

12号の次の「事業外」最初の鉄塔は南熊本人吉線47号。1925年2月って大正14年・・・。
前日に水力センター近くで見た鉄塔が南熊本人吉線54号だった。あの時「ああ~そうだったのか!!」って心底驚いた。
始めに上げた謎のいくつかが解けた気がした。南熊本宇土線1Lと2Lの謎は未解決だけど。

         

大正期というのは電力需要が爆発的に大きくなっていった時代だ。
明治の中頃に都市部から使われ始めた電灯が農村部へも普及しただけでなくラジオなどの家電製品も登場してきた。
全国各地で電車も走り始めた。熊本では菊池軌道が1923年(大正12年)に電化、1924年に市電が開通している。
第1次大戦による戦争景気などを経て日本の産業の中心が農業から工業へ移り、京浜や阪神には工業地帯が生まれた。
どんどん増大する需要を充たすため水力を中心とした発電所建設ラッシュが起こり、熊本でも熊本電気や球磨川電気(ともに
後に九州内の他の電力会社との統合を繰り返して現在の九州電力に繋がっていく)・日本窒素肥料(後のチッソ)が
リードする形でさまざまな会社が次々と水力発電所を建設していた。
また熊本電気は1923年に新しい火力発電所も稼動させている。1956年まで玉名にあった高瀬火力発電所だ。

現・南熊本松橋線は元はそんな時代に建設された南熊本人吉線だった。最初から110kV規格だったんだろうか?
国内初の110kV送電が始まってからすでに10年以上経っていた。154kV送電だって実現していた時期だ。
送電技術的には可能だったろうし基幹路線なんだからそうであって欲しいんだけど110kVで送出してた発電所ってあったのかな?
現在残っている古い鉄塔が開通当時からのものだとすると今年で85歳。鉄塔の寿命はだいたい50年ぐらいらしい。
この路線が休止になったのはたぶん1973年。新設の220kV南熊本大平線・大平人吉線に役目を譲って引退したんだと思う。
路線開設から48年後にあたる。潮時だと判断されても不思議じゃない。
1960年頃から基幹系統は220kVへの移行が始まっている。今は基幹系統として扱われているのは500kVと220kVだけ。
110kV送電線は現在残っているものも順次減らしてゆくそうだ。

で、始めの疑問の答えを推測するとこうじゃないかな。
  1925年  南熊本人吉線運用開始 南熊本を起点に途中で八代へ分岐し人吉に至る
  (1942年または1955年  最初が110kV運用でなかったならば昇圧はこのあたり?)
  1972年  南熊本宇土線を併架するため18号までを4回線鉄塔に建替え、上段に南熊本人吉線、下段に南熊本宇土線を配置
  1973年  南熊本人吉線の八代までの部分を休止
  1997年  休止中の上段の北半分を66kV南熊本ダイヤモンドシティ線として再開
  2007年  南熊本ダイヤモンドシティ線を南熊本イオンモール宇城バリュー線に改称
  
これまで説明してませんでしたが「南熊本変電所」の所在地は旧・下益城郡城南町です。
今年3月に合併して「熊本市城南町」になったのかな。とにかくJR南熊本駅がある「熊本市南熊本」ではありません。
「変電所なんか知らないけど南熊本駅は知ってる」方は混乱されたかも m(_ _)m


追記1:記事中に根拠の不確かな推測によって書いてしまった部分がありましたので一部文章を差し替えました。(2010-07-24)
追記2:南熊本人吉線の歴史は上の推測とはかなり違ってました。関連記事はこちら。「大正14年の電線路」   (2012-07-07)

チッソ株式会社水力センター

2010-07-01 23:24:11 | 変電所
また寄り道です。というより今度は分岐になりそうな・・・(´Д`)
新しい世界への扉を開けてしまったような気がする今回のレポートです。


 2回線鉄塔は南熊本緑川線、4回線鉄塔が南熊本宇土・南熊本松橋線。廃止された路線は右端の鉄塔の手前を通っていた。

1/25000地形図には南熊本変電所の西側に苓北火力線その他の電線路と交差し国道をまたぐ送電線が載っている。
毎日通る国道だけどその場所に現物はない。地形図の情報が少し古いのは分かっている。廃線だろうか?
たどってみると阿蘇への入口、立野の近くにある白川発電所を出発して宇城市小川町にある変電所へと入っていくようだ。
白川発電所ってロードマップには載っているけど九州電力の設備図にも熊本県企業局やJ-パワーのリストにもないんだよね。
どこのだろう?変電所も九電のじゃない。
「白川発電所」で検索してみたら・・・えー!大正3年建設のチッソの発電所!?あのチッソ?
水俣病の原因となった化学工業会社だとしか知らなかったけど、その母体は明治期に設立された水力発電会社なんだそうだ。
現在も熊本・鹿児島・宮崎の3県に計13ヵ所の水力発電所を持っていて水俣製造所の使用電力すべてをまかなっている。
たしかに地図上の送電線は小川からさらに水俣へと延びている。

このチッソ送電線の鉄塔がつい数年前まで熊本空港から程近い場所に残っていた。
産業遺産・近代化遺産のサイト「九州ヘリテージ」の管理人ゴン太さんからそういう情報を頂いた。
一部なりと鉄塔そのものが最近まであったのなら南熊本変電所周辺にも基礎や敷地の痕跡くらいは残っているかもしれない。
そう考えて苓北火力線の旅のついでにそれっぽいあたりを見に行ったのだが。探し物は見つからず、別の発見をしてしまった。
あまりにも長い名前がお気に入りだった「南熊本イオンモール宇城バリュー線」が「南熊本松橋線」に変わっている!
引込先が松橋変電所になったのか。松橋変電所は宇城バリューよりも手前だ。その先はどうなったんだろう。
宇城バリューがあるのも小川。小川に行ってみようか。

というわけで小雨のぱらつく仕事帰りに名前の変わった電線路に沿って南へ走った。
道々チェックした元・南熊本イオンモール宇城バリュー線のことは次回に。簡単に流すことのできない展開になったからね。

日没の遅い6月とはいえ雨模様の夕暮れだ。撮影もしようと思うなら時間の余裕はない。変電所に通じるはずの道を急ぐ。
どうにか明るさのあるうちに鉄塔が集まって立っているのが見えてきた。鉄構もある。
しかし周囲に駐車できる場所がない。川の向こうの次の鉄塔付近に車を置いて歩いて来た方が良さそうだ。

        
              左が九電、右がチッソの送電線              振り返って水力センターと1号鉄塔

山腹の果樹園の中に鉄塔が2本。大きい方は九電の110kV2回線、これは鉄構には繋がっておらず上を素通りしている。
位置と方向からして「あれ」の続きだな。鉄塔番号札を確認してびっくり!「南熊本人吉線 1925.2」って…
もう1本の腕金の配置が変則的な1回線鉄塔がチッソのものだった。碍子は5個。66kVだ。避雷碍子も付いている。
しかしなぜ空きも含めて腕金が全部片側に?そうなってるのは1号と2号だけだから鉄構との位置関係からなんだろうけど
そんなに角度ついてるかなぁ?上下回線とも2段腕金の三角配置にすれば鉄塔高を抑えられると思うのはシロウト考え?
段々畑の中だから若番側の脚2本と老番側の2本に段差がある。下のB脚に鉄塔番号札が2枚掲げられていた。
ずいぶんシンプルな表示だな。小川線かぁ。架線が外されてしまっている下段に以前は「小谷送電線」があったようだ。

 

ざっと鉄塔を見てからさっきの場所へ戻る。門の横の電柱が変だ。送電線との間隔を保つためか配電線の高さを下げてある。
えらく低く見えるけど大丈夫なん?いやシロウトですから余計な心配は止めますw
門柱に「チッソ株式会社 水力センター」、街灯には「チッソ(株)小川開閉所」と出ている。変電所ではなく開閉所だった。
左側の建物は社宅でその奥が事務所と制御施設らしい。営業車っぽい車が停まっているけど人の気配はしない。
連絡先の書かれた看板があるということはここも今では無人化されてるんだろう。

 
                      門扉のところから撮影。大きく写っている鉄塔は九電のもの。

門の右側が小川線1号鉄塔だ。外からだと番号札は見えない。先に路線名を確認しておいてよかった。
鉄構には南側の小川線の他に東側からも1回線鉄塔が繋がれている。あと2回線分空いているところには小谷送電線と
白川発電所からの路線とが入っていたのかも。
鉄構の様子は隣の畑の方向からならもっとよく判りそうだった。だけどもう薄暗かったし小止みだった雨がまた落ち始めていて
とてもケータイで撮影できるコンディションじゃなかった。ということでこの日はここまでで終了。

帰って地形図で確認すると東側の送電線は目丸発電所から出発し内大臣川発電所を経由、緑川ダムの南岸を下って来ていた。
内大臣川発電所は大正期に作られたチッソ所有の発電所だ。歴史のある路線なんだな。
小谷送電線の方はなぜか山の上で突然終わっている。地形図が改訂された時期にはすでにその先が撤去されていたんだろう。

翌日には天気も回復した。見残した東側が気になって休日まで待ちきれず、また仕事帰りに出掛けて行った。
初日に撮った画像は光量不足で画質の粗いのが多かったんで今回使ったのはほとんど2日目のもの。いいデジカメ欲しいよ~。

 
       東からの路線は内大臣川線という。96号が最終鉄塔。鉄構の下には避雷器・断路器・遮断器が並んでいる。

  
                内大臣川線96号                  美里町の山中に立つ内大臣川線66号(手前)と67号
                                             左の大きいのは上空を通過する500kV南九州幹線

ゴン太さんから教えていただいたサイトで無くなってしまった白川発電所からの路線の画像を見ることができた。
架空地線のない小さくて古風な鉄塔で最初「もしかして22kVの鉄柱!?」と思ったがあれはやっぱり66kVの鉄塔かもしれない。
九電の66kV電線路でそれよりやや現代風ではあるけど似たタイプの鉄塔がまだ残っているのを見つけたから。
でもその起点の発電所は2年後の増強工事開始が決まっていて鉄塔も建て替えられる可能性が高い。現役だから仕方ないね。
小川線も内大臣川線も古い路線だけど鉄塔は現代の仕様だ。チッソの他の路線でもたぶん同じ。

                     
                              架空地線ありの66kV甲佐支線2号

見た目では判らなくても長い歴史を持つ電線路がある。追っていくと違った姿が浮かんでくる。今回そういう世界を覗いてしまった。
次回もそういう世界の話。次の次は苓北火力線に戻ります。でもね、苓北火力線にもいろんな過去があるんですよ。ふふっ♪


追記:目丸発電所は1965年運転開始、内大臣川発電所は1916年運転開始と開設時期にかなりの開きがあります。
    目丸‐内大臣川の間は路線としては内大臣川線とは別かもしれません。距離と鉄塔基数から推測してもその可能性が
    高いです。しかし送電経路としては連続しています。
    一方、内大臣川発電所の対岸に同じくチッソの津留発電所(1920年運転開始)があります。
    川を挟んでいるとはいえ目と鼻の先なのに、こちらは内大臣川線とは連系しておらず九州電力の送電線に繋がっています。
    九電のも1927年開設の古い路線ですが津留発電所よりは新しいですし、完成当時の津留発電所は八代方面に向けて
    送電していたようなので、元々は内大臣川線との連系だったかもしれません。そのあたりは今後の調査課題です。
                                                                   (2010-08-25)