
個人的に首をながーくしていた立秋も終わり、季節の速さを感じておるよ。まだ残暑だね、あつーい。
二十四節気の立秋、今年2019年は8月8日(木)から8月22日(木)だった。
なぜ首を長くして立秋待ちしてたかというと、持病のある猫の体調が大きく崩れていたから。暦で考えると小暑・大暑はかなりつらいときだから。
実際どうなったか。
立秋で体調がひとまず落ち着いた。うれしい。ほんとうにびっくりするくらい落ち着いた。暦が変わるタイミングでいろいろ変わったのもあるけれど、なんというかそれも含めてすべてがエネルギー。
どうもありとう。
⇒猫のためにペット用在宅酸素室をレンタルして20日が経過したよ
うれしいけれど慣れずに不安で、そわそわしていたら立秋が終わった。そんな2週間だったかな。
あと立秋を境に、植木の手入れを始めることが多く、今年もそんな年だった。なんでなんだろうね、意識しているわけではないのに、その傾向がある。
⇒庭の草を刈ったり、植木の剪定をしたり、ただひたすらに毎日ごみ袋5枚目標
まだまだ残暑厳しく、どこが秋なの? とおもわれるかもしれない。けれども大地の底では秋は始まり、あたしたちが知覚している表面はほんのわずかな世界かもしれないよ。
だって地球にしたって、中身ぎっしりですものね。
立秋は、緊張を緩め、ぽわんと脱力すればいいときだけど、冷え(力み、偏り)があると上手に脱力しにくい。心、体、魂全部。
自身も振り返れば、立秋中に、何度か湯たんぽ、電気ゆたんぽ、足湯キット使って身体温めたな。冷房で疲れていたんだろうね。
立秋は夏と秋の間の小休止というか休符というか、土用明けて、ふーっと脱力、きもちいいのだ。
でも脱力できるのはその前頑張っていたからであって、立秋そのものがどうこうというよりは、その前の結果が出るときでもある。
ヨガの考えがわかりやすいかも。ヨガだとサバーサナ(休憩・屍のポーズ)の期間だけど、そうやって脱力ができるのは、ポーズをとって静止していた、緊張をしていたという期間があってこそ。
だからこそ、乾いたぼろ雑巾がほどけるようにくちゃっと脱力できる。
身体、健康、人間関係、何か成し遂げたいこと。
すべてにいえることだけど、何かが起こったときその瞬間に原因があることは稀であって、長年の蓄積なんだよね。
お疲れ様でございましたー
うれしいニュースじゃない方もいるかもしれない。
けれども何かが起こったときに、自分を責め過ぎに、今じゃなくて過去の結果だからと、ここからまた丁寧に生きていく気持ちがあればだいぶ楽なんじゃないかなとおもっておる。
今年はそうじゃないけれど、うん、自分にそういってあげたいときもある。
今年は二科展入選の知らせまでいただいたなあ。ほんとうはみなさまもう少し早いのだけれど、郵送トラブルが少しだけあって、あたしの場合は立秋後に入選を知った。うれしかった。
⇒二科展に入選いたしました。うれしい 第104回(2019年)二科展デザイン部
自分自身についても、大切な人についても、世の中には変えられない流れもある。
父が他界したのは8月28日だった。あと2日後が命日。毎年この時期は今でもどこかしんみりする。
その頃はまだ暦を意識して生きていなかったけれど、今振り返ると、立秋が来たから体調が好転したわけではない。
むしろ俯瞰すれば、死にゆくことを選んだといえるのかもしれない。
もちろん年月が経とうと、そんなに突き放して考えられるほどの出来事ではないし。
だからね、立秋はしあわせなニュースばかりじゃないんだろうなとおもうんだ、少なくとも表面的には。
父の命日までに部屋の中をきれいにしたいな。というわけで少し掃除をしようー
ではまた
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
~身体の健康と無意識のパワーへ Have a Beautiful Day~