Welcome to TANN'S_blog(中島富男)

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せっかくなので、文明論と科学論などを(一回では終わらないでしょうが)

2009-11-01 05:33:44 | 少し理屈ぽいこと
mizunoさんと地球温暖化に関するコメントとTBのやり取りができたので、個人的に考える文明論と科学論なんかについて書いてみようと思う。

前置きも無くいきなり本題に入る。

文明も科学も漸進的には本質的な変革は起きない。

現代文明は、17世紀にイギリスのニュートンが、自然は数学という言語で書かれていることを示したことを起源とする。

現代においても科学的とは理論=数学的表現と実験的事実が一致することである。

ニュートンが大陸で宗教戦争が激しい時代に、少し離れたイギリス人であったことと、18世紀の産業革命もイギリスから始まったと言うことは無縁ではないだろう。

ニュートン以前は観察が主であった。 ガリレオやケプラーにせよ、観察の結果である。

ところが、ニュートン以降は、思考と実験から自然を積極的に読むと言うことが始まった。

今の文明の基礎である熱機関でさえ、カルノー等の理論的考察があって発展したのである。

しかし、この科学や文明にも限界が見えてきた。 それは過去に滅んだ文明と同じように、ある一定の数のヒトしか養えないと言うことである。

ヨーロッパとアメリカ(ついでに日本)位の人口を賄うには余裕があったが、地球上に住む全てのヒトを同じ文明水準にするには、ニュートン以降の科学と文明は力不足であることが20世紀半ばからはっきりしてきた。

地球温室効果ガスの増加であっても、ヨーロッパとアメリカの人口を対象にするなら大きな問題ではないであろうと思う。 問題は60億人ものヒトをどうするかが現代文明が限界に近づいていいると言う問題の根源である。。

これをどうするかはの答え持っていないが、科学的方向性なら無いわけではない。 それは次回に。

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