はじめに、以下にWolframAlphaのプリントスクリーンがいくつも出てくるが、Inputとなっている式だけを見て頂きたい。
サスペンションとは良く言った物で、自動車の車体は空中にサスペンドされている(日本語なら吊られている)。 吊られているというと、上から紐で吊られているイメージになるので、なんとなく車体が吊られているというのは分かりにくい。 それなので、敢えて英語のサスペンド(suspend)されているということにする。ちなみに、サスペンスドラマやサスペンス映画と言うものがあるが、このサスペンスとは気分が不安な状態にされるということで、動詞なら同じサスペンドである。気分が落ちついていない状態にあるということだ。 サスペンドのもう一つの名詞形がサスペンションである。 これは日本語に直すと懸架装置となる。
サスペンションの役割はいくつかあるのであるが、最も基本的な役割は、車体(及び車体に乗っているもの=エンジンやトランスミッション、人、荷物)を路面がデコボコしていてもそのデコボコが車体に伝わらないようにすることにある。 遠めから走っている車を見たときに、タイヤは上下に動くのだが、車体は一定の高さを維持することが理想である。 サスペンションが無い(=荷物を運ぶのに使う台車がそうである)と路面のデコボコに応じて車体もガタガタすることになる。 台車で物を運ぶときに、アスファルト舗装された路面でも台車に乗せた荷物がガタカガとする経験は多くの人があると思う。 でも、同じ路面を自動車で走っても、ガタガタはほとんど気にならないはずである。 それは、そう言う風にサスペンションが設計されているからである。
では、それをどうやって設計するか? もっともシンプルな場合で考えることにしたい。
図1自動車のポンチ絵
図1の自動車のポンチ絵は自動車を横から見たイメージである(我ながら汚い絵だと思うが)。 路面はデコボコしているが、車体はガタガタしないイメージを描いたつもりである(分かりにくいのは勘弁願いたい)。
乗用車の場合、車体は前後二本、合計4本のバネで車体ととタイヤ(厳密には車軸)が連結されている。 では、そのバネをどうやって設計したらいいだろうか? 難しく考えれば限がないし、ブログで早々細かいこととは書けないので、大雑把に最も基本的な設計手法を書くことにする。
前置きが長くなったが、下の図2にあるような、車体に相当する物体(質量m)が、フックの法則が適用できるバネ(バネ定数はk)で地面とつながっていると考えることにする。
図2 車体の最もシンプルなモデル
実際には路面がデコボコしてるので、路面を変化させるべきなのだが、簡単に考えるために、車体の方が揺れるということにする。 これは、実際になされれるサスペンション設計の検討項目である。
ここまで長々とサスペンションの話をしてきたのだが、実は、図2のバネと箱(厳密には質点)の図を出したかったのである。 図2は高校の物理で単振動として習う図であるが、実際にこの単振動を自動車のサスペンション設計では使っている。 ちなみ、図2でaは箱(質点)の揺れを表す加速度で、xは箱の上下の位置を表す。aもxも大きさと向きをもつ。こういうのをベクトル量と言うが、今は二次方程式の話をしようとしているので、読み飛ばして頂きたい。
さて、この辺も読み飛ばして頂きたいのだが、箱(質点)の上下の位置xが時間tでどのように変化するかを計算で示そうとすると、運動方程式と言う微分方方程式を立てることになる。 上の場合であれば、以下のようになる。
mx''(t)+kx(t)=ma(t)
ここで、mx''(t)はxを時間tの2階微分である。 これは箱(質点m)の実際に発生する加速度である。 a(t)は色んな場合があるので、一番簡単な場合を考える。 それはma(t)=0と考えることである。
そうなると、
mx''(t)+kx(t)=0
となる。
さぁ、問題はここからである。この式をどう解くか?ということだ。
誰が一番最初にしたのかは知らないのだが、先人達はこう言う解き方を見つけた。
x(t)=Csin(ωt)+Dcos(ωt)
としてみた。
そうすると、x(t)の一階微分(速度)は、
x(t)の二階微分(加速度)は
これを、
mx''(t)+kx(t)=0
に代入すると、
となって、ωの二次方程式が出てくる。 mx''(t)+kx(t)=-と言う微分方程式が、いつの間にかωの二次方程式になってしまったのである。
高校の物理の教科書で、単振動の共振周波数fはf=2πω、ω=√(k/m)と習うのであるが、この関係は上記のような関係からでてくる。
微分方程式は答えがあるとは限らないのだが、この単振動は厳密な答えが求まる稀な例である。そのため、理工系では頻繁に利用される。 その途中で二次方程式を使う。
結局x(t)は、
となる。 CとDはt=0のときに箱(質点m)がどういう状態(これを初期条件と言う)で決まる。
これは、物理や機械のことを専門に大学で学んだ人ならば常識なのであるので、二次方程式は非常に身近な式である。 ところが、高校までは、二次方程式の解の公式、
を覚えろとしか言われないので、√や虚数単位iが出てきたりして、何がなんだか分からない。
ちなみに、これは、二次方程式の最も簡単な応用例である。
ω=√(k/m)もどういう性質を持つのかの説明も必要だろう。 これは、いずれするつもりである。
長々と書いて来たが、二次方程式の応用の結果を使って、自動車の基本設計がなされている。 自動車だけでなく、バネやゴムを使って振動を抑える機械は全てそうである。 これから先は専門的になるので、またの機会にする。
この記事でひとつだけ理解して欲しいのは、機械を作るのに、二次方程式が使えることが必要であるということである。 それ以外は無視して頂いて構わない。
次回は、別の二次方程式の応用を書きたいと思う。 多分、行列とベクトルとの関係になると思う。
最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。
質問があれば、コメントでお願いします。
サスペンションとは良く言った物で、自動車の車体は空中にサスペンドされている(日本語なら吊られている)。 吊られているというと、上から紐で吊られているイメージになるので、なんとなく車体が吊られているというのは分かりにくい。 それなので、敢えて英語のサスペンド(suspend)されているということにする。ちなみに、サスペンスドラマやサスペンス映画と言うものがあるが、このサスペンスとは気分が不安な状態にされるということで、動詞なら同じサスペンドである。気分が落ちついていない状態にあるということだ。 サスペンドのもう一つの名詞形がサスペンションである。 これは日本語に直すと懸架装置となる。
サスペンションの役割はいくつかあるのであるが、最も基本的な役割は、車体(及び車体に乗っているもの=エンジンやトランスミッション、人、荷物)を路面がデコボコしていてもそのデコボコが車体に伝わらないようにすることにある。 遠めから走っている車を見たときに、タイヤは上下に動くのだが、車体は一定の高さを維持することが理想である。 サスペンションが無い(=荷物を運ぶのに使う台車がそうである)と路面のデコボコに応じて車体もガタガタすることになる。 台車で物を運ぶときに、アスファルト舗装された路面でも台車に乗せた荷物がガタカガとする経験は多くの人があると思う。 でも、同じ路面を自動車で走っても、ガタガタはほとんど気にならないはずである。 それは、そう言う風にサスペンションが設計されているからである。
では、それをどうやって設計するか? もっともシンプルな場合で考えることにしたい。
図1自動車のポンチ絵
図1の自動車のポンチ絵は自動車を横から見たイメージである(我ながら汚い絵だと思うが)。 路面はデコボコしているが、車体はガタガタしないイメージを描いたつもりである(分かりにくいのは勘弁願いたい)。
乗用車の場合、車体は前後二本、合計4本のバネで車体ととタイヤ(厳密には車軸)が連結されている。 では、そのバネをどうやって設計したらいいだろうか? 難しく考えれば限がないし、ブログで早々細かいこととは書けないので、大雑把に最も基本的な設計手法を書くことにする。
前置きが長くなったが、下の図2にあるような、車体に相当する物体(質量m)が、フックの法則が適用できるバネ(バネ定数はk)で地面とつながっていると考えることにする。
図2 車体の最もシンプルなモデル
実際には路面がデコボコしてるので、路面を変化させるべきなのだが、簡単に考えるために、車体の方が揺れるということにする。 これは、実際になされれるサスペンション設計の検討項目である。
ここまで長々とサスペンションの話をしてきたのだが、実は、図2のバネと箱(厳密には質点)の図を出したかったのである。 図2は高校の物理で単振動として習う図であるが、実際にこの単振動を自動車のサスペンション設計では使っている。 ちなみ、図2でaは箱(質点)の揺れを表す加速度で、xは箱の上下の位置を表す。aもxも大きさと向きをもつ。こういうのをベクトル量と言うが、今は二次方程式の話をしようとしているので、読み飛ばして頂きたい。
さて、この辺も読み飛ばして頂きたいのだが、箱(質点)の上下の位置xが時間tでどのように変化するかを計算で示そうとすると、運動方程式と言う微分方方程式を立てることになる。 上の場合であれば、以下のようになる。
mx''(t)+kx(t)=ma(t)
ここで、mx''(t)はxを時間tの2階微分である。 これは箱(質点m)の実際に発生する加速度である。 a(t)は色んな場合があるので、一番簡単な場合を考える。 それはma(t)=0と考えることである。
そうなると、
mx''(t)+kx(t)=0
となる。
さぁ、問題はここからである。この式をどう解くか?ということだ。
誰が一番最初にしたのかは知らないのだが、先人達はこう言う解き方を見つけた。
x(t)=Csin(ωt)+Dcos(ωt)
としてみた。
そうすると、x(t)の一階微分(速度)は、
x(t)の二階微分(加速度)は
これを、
mx''(t)+kx(t)=0
に代入すると、
となって、ωの二次方程式が出てくる。 mx''(t)+kx(t)=-と言う微分方程式が、いつの間にかωの二次方程式になってしまったのである。
高校の物理の教科書で、単振動の共振周波数fはf=2πω、ω=√(k/m)と習うのであるが、この関係は上記のような関係からでてくる。
微分方程式は答えがあるとは限らないのだが、この単振動は厳密な答えが求まる稀な例である。そのため、理工系では頻繁に利用される。 その途中で二次方程式を使う。
結局x(t)は、
となる。 CとDはt=0のときに箱(質点m)がどういう状態(これを初期条件と言う)で決まる。
これは、物理や機械のことを専門に大学で学んだ人ならば常識なのであるので、二次方程式は非常に身近な式である。 ところが、高校までは、二次方程式の解の公式、
を覚えろとしか言われないので、√や虚数単位iが出てきたりして、何がなんだか分からない。
ちなみに、これは、二次方程式の最も簡単な応用例である。
ω=√(k/m)もどういう性質を持つのかの説明も必要だろう。 これは、いずれするつもりである。
長々と書いて来たが、二次方程式の応用の結果を使って、自動車の基本設計がなされている。 自動車だけでなく、バネやゴムを使って振動を抑える機械は全てそうである。 これから先は専門的になるので、またの機会にする。
この記事でひとつだけ理解して欲しいのは、機械を作るのに、二次方程式が使えることが必要であるということである。 それ以外は無視して頂いて構わない。
次回は、別の二次方程式の応用を書きたいと思う。 多分、行列とベクトルとの関係になると思う。
最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。
質問があれば、コメントでお願いします。
ウェットティッシュのビニ-ル袋から,ティッシュをうまく取り出すという現象(応力ひずみ?)を記述する最も簡単な方法が微分方程式であり,それは天気予報なんかにも使われていると何かで読んだことがあります。
ただ,多くの微分方程式はコンピュ-タを使わないと解けないため,現在では高校で教えることはなくなり,理系の大学でしか教えないと。
技術の世界で,実際に使われているレベルの数学とは,微分方程式より高いレベルのものであり,中学で1次関数や1次方程式からはじまって,高校で三角関数や高次方程式くらいまで学習をするのは,「実際に使われているレベルの数学(微分方程式など)を理解するための基礎を作っている」という理解でよろしいのでしょうか。
中島さんにとっては当たり前のことを聞いているようで恐縮ですが,よろしくお願いいたします。
コメありがとうございます。
高校までの数学か、大学以降で学ぶための基礎を作っている事は間違い有りません。
でも、私はそれだけではないと思っています。
大人になると教養と言うものが要求されます。一般常識と言っても良いでしょう。
国語、英語、歴史、芸術は社会生活をして行く上で最低限の知識は必要ですよね。体育も同様で、プロスポーツのファイルプレーに感動を覚えるかと言えば、サッカーでも陸上でも経験してるから、スーパープレーに感動できます。
国語、英語、歴史、芸術は大人になってからも学ぶ機会が沢山有ります。スポーツも同様です。自習でもどうにかなります。
数学と理科も同様に教養のひとつだと思っています。
ところが、大人になってから数学や理科を勉強し直そうとすると、非常にハードルが高いと思ています。学び直す場もほとんど有りません。世にはy=2xのグラフが描けないひとが多勢います。このことを、私個人として非常に不幸なことと思っています。
トルストイの戦争と平和にでて来る貴族のお嬢様が家庭教師からフランス語と歴史と数学を学ぶと言う場面が有ります。あくまで教養として学んでた訳です。
私は意識付けのため、応用から話を組み立てていますが、決して本意では有りません。日本人の平均的教養が高校卒業レベルにあるのならば、良いのですが、実際は文系も理系科目も高校卒業レベルに無いと思っています。
高校までの数学は、大学理系進学のためだけのものでは有りません。
日本人の知的レベルをある一定に維持するための教養のひとつだと思っています。
答えになってるでしょうか?
数学はからっきし苦手な私でも,理科は物理,化学,生物,地学に至るまで,教養として知識を得ることそれ自体を楽しむことができます。テレビの科学番組なんかもよく見る方だと思います。
しかし,数学だけは教養としてどんな面白さと言いますか,魅力があるのかいまだよく分かりません。
おそらく,意味も分からず公式を丸暗記したり,定型的な問題を素早く正確に解いたりすることが数学であるというような固定観念があるためだと自己分析しています。
きっと,数学には豊かな意味や,知的好奇心をくすぐる魅力がたくさんあるであろうことは直感していますが,仰るとおり,あらためて勉強し直そうとすると非常にとっつきにくい。どこから手を付けるべきか検討もつかないですし,中学校一年生レベルからじっくりやり直すのには躊躇してしまいます。
数学が好きな人たちは,どんな魅力にとりつかれているのか,なにがきっかけで虜になったのかとても興味があります。
そしていつか数学の楽しさや魅力が分かるようになりたいと思っています。
Reコメありがとうございます。
私も数学って面白いとは思って無いんですよ。
大学の1年生のときに、解析学(微分積分)を厳密に習いました。本屋で立ち読みして見てください。ε-δ法と言うので解説されているはずです。高校の数学で習う極限を一般化した方法ですが、これが実に分からない。 今もε-δ法での定理の証明は私はできません(変に胸を張ります)。
併せて、線形代数と言うのも習いました。これは、行列とベクトルの一般化ですが、これも分からない。 定理の証明が分からないならまだ良いのですが、定理の意味さえ分からない。
二つとも必修科目なので、どうにか単位は取りましたが、苦労しました。
大学院に進むための受験勉強のために演習書(=問題集)をしこたま読んで、どうにか滑り込みましたが、未だに純粋に数学を理解しているかと言えば、できていません。
統計・確率も苦手です。
でも、自然(=nature)は不思議なことに数学で記述できているんですね。
学生時代、生物学(古典生物学でなくて当時最先端の分子生物学)を専門にしている後輩とこんな議論をしたことがあります。もう25年も前ですが。
『生物は器官でできている。器官は細胞でできている。 細胞はといえばリボソームだのRNAだのDNAだのでできている。 それらは分子でできている。 分子とは原子核の質量数と最外殻価電子のの量子的な問題であり、物理学では当に解決されたものである。』。後輩は、『生物とはそんな簡単なもんではない。計算で解けるようなものではない』と強く主張しました。 当時、私は量子力学をきちんと理解しておらず、生物を形作っている原子の全てを計算することが如何に大変なことか分かっていませんでした。
今、彼の言っていたことが理解できるようになったと思っています。
それでも、やはり、自然は数学と言う『言語』で書かれていると思っています。 自然が数学と言う『言語』で記述されているということは、奇跡的なことだと思っています。
カオスと言う言葉あります。 一般には秩序の無い無茶苦茶な状態を表す単語として使われますが、物理学で言うカオスとは『秩序ある混沌』となります。 たとえばパン生地捏ねは、パン生地をたたんでは延ばすを言う単純な繰り返しですが、その過程で小麦粉、イースト、バター、タマゴ、塩が混沌とした状態に混ざって行きます。 これを不思議に思うか、当たり前だと思うかは個人の自由ですが、混沌が簡単な繰り返しから生まれると言うのはとっても面白いと思います。
コーヒーにミルクをたらしても面白いです。 ホットコーヒーにミルクをゆっくりとたらして、ミルクが混ざってしまう前にミルクをスプーンの先端ですーとなでると、スプーンの後ろに渦ができます。カルマン渦と言う流体力学上有名な現象です。 これはナビエ・ストークスの方程式で表されます。また、アイスコーヒーならミルクをたらしてストローでかき混ぜずにじーと下に落ちていくのを待ちます。ミルクはゆっくりゆっくりと下に落ちていきますが、その過程で一部に固まっていたミルクが縦方向に分布するようになって層ができていきます。冷たいアイスコーヒーでも熱拡散が起きていることを示す例ですが、これは拡散方程式で表されます。
最近は新薬の開発に分子シミュレータと言うのが使われるそうですね。 昔私が言っていたことが、現実にできるようになってきました。
純粋な数学は万人には決して面白いもんではなないと思います。 でも、高校までの数学を知っているだけでも、自然と接することができるという楽しさがあります。
私は良く、高校までの数学は算数だというのですが、それは、自分の身の回りとの接点を持つための道具として数学が不可欠だと思っているためです。
『地球温暖化』って不思議に思いませんか? 地球温暖化のキーワードは『地球全体の平均気温』と言うスカラー量です。 テンソルでもなく、ベクトルでもなく、スカラー量ですよ。 気温とは空気の運動エネルギーの平均値を代表する量で、さらにそれを人為的(自然ではなく)に定義された『平均気温』と言うスカラー量が高くなると大変だというのが、『地球温暖化問題』です。 不思議ではありませんか?
数学の勉強は退屈です。 数学だけの勉強はより退屈です。 でも、自然と向き合うためには、数学と言う『言語』が不可欠になります。 たとえば、キャプテン翼でロベルトが『ボールは友達』にと言ったの同じように、自然と友達になるには、植樹を手伝うだけでなく、数学を友達にすることだって必要なことだと思っています。
すこし、強引でしたでしょうか?
これに懲りずに、当ブログをご贔屓いただければ幸いです。 よろしくお願いします。