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寮管理人の呟き

滋賀県草津市の矢橋公園(矢橋湊跡)で往時の賑わいを思い浮かべる

鞭崎神社御旅所(浜の町御旅所)の先から道は二手に分かれる。私は右の道を歩き矢橋湊跡に付いた。湾港北側の石積台場に枯れ松に囲まれて建つ常夜灯。弘化3年(1846)年に再建されたもので当時はこの辺りまで船が入っていたようである。

矢橋湊の常夜灯(弘化3年に再建された)

当時を偲ぶものはこれらとイチョウの巨木くらいで若干の寂しさを覚えるが、公園内で歌川広重の浮世絵「矢橋の帰帆」を見て自分なりに想像すればいい。

大津石場と行き交う船で賑わった矢橋は徳川幕府瓦解後の近代化政策として鉄道が敷かれたことで急速に衰退する。船による物流が鉄道そして自動車にとって代わったのである。これは琵琶湖だけの話ではなく、広島県の多くの港町で同様の状況が生じた。
矢橋公園(矢橋湊跡)

矢橋公園に設置された歌川広重の浮世絵のパネル

私は蕪村の俳句「菜の花や みな出はらひし 矢走舟」を声に出して詠み矢橋浜から対岸を望んだ。現在視界に入るのは下水処理施設の矢橋帰帆島(人工島)と矢橋大橋である。私の立ち位置に昔葭が生い茂っていたと思うと感慨深いものがあった。

矢橋公園にある蕪村の句碑

矢橋浜から矢橋帰帆島を望む

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