
イエローハウスの角を曲がり西へ進む。肉屋のオバハンは結局私の問いには回答しなかった。つまり年を食った彼女にとって遊廓の存在は負の歴史ということだろう。
私は川下地区の女性(2人)、そして門前町で会った男性からそれぞれ錦見に色街があったと聞いた。更に彼らは目印となる病院名まで教えてくれた。遊廓跡地からの距離によって住民感情には大きな温度差が生じていることを実感したのである。


「女性史から見た岩国米軍基地」という本に遊廓移転の政治的背景、基地問題との絡みが詳しく書かれているので重要な一節を引用させてもらおう。
…岩国のローカル新聞である『興風時報』の記事から様子を見てみよう。
岩国では錦見の一角にある登富町界隈に免許が下付され、大正末までに八軒ほどの貸座敷が営業を始めている。が、山口県内でも、下関はもとより山口、柳井、宇部、徳山などの他の都市に比べると、岩国遊郭の規模がごく小さいものであった。日中戦争が勃発する一九三七年七月頃、岩国遊郭では貸座敷が九軒、娼妓数は五〇人余りである。ところが、その頃から、遊郭を移転・拡張させるというプランが岩国町内のホットな話題になる。当時、帝人や東洋紡などの大工場の操業もあって岩国の町は景気がよく、遊郭はにぎわっていた。妓楼経営者たちは登富町では手狭であるということで、錦川を埋め立てた町有埋立地へ遊郭を移すことを願い出た。そこは四千数百坪にわたる広大な土地である。岩国町長、警察署長、町会議員たちはこぞって賛成した。というよりも、当時の岩国の政治指導者たちは遊郭業者たち以上にこのプランに熱心であった。業者たちが千五百坪で十分だというのに町会議員らはぜひ二千坪売却をと主張を譲らず、業者たち以上に移転拡張に執着した。
一九三九年六月十日付けで、山口県は岩国遊郭の移転を許可する。これに際して岩国警察署長は業者に対して「移転しない業者の営業は取り消される」と、強圧的ともいえる訓示を与えている。日中戦争下にあって、性病取り締まりが強化され、貸座敷や芸妓置屋など享楽産業の営業は制限されつつあった。だが、署長は「岩国地方は川下方面の重要工場の建設などがあるために他都市と趣を異にしているので、衛生検診の点さえ徹底すれば公認私娼制度が許されるのではないか」と考えていた…。折しも川下のデルタでは、海軍の飛行場が作られ、また山陽パルプ岩国工場が建設中であった。警察署長の念頭には、こうした海軍基地や工場建設でますます遊郭の需要が増えるという思惑があっただろう。…
『女性史から見た岩国米軍基地 / 藤目ゆき』


決して広いとは言えぬ通りには趣き深い建物が存在していた。くるりんバス停を過ぎた先で一本南の筋に入ると目を引く大きな木造建築が現れた。

私は川下地区の女性(2人)、そして門前町で会った男性からそれぞれ錦見に色街があったと聞いた。更に彼らは目印となる病院名まで教えてくれた。遊廓跡地からの距離によって住民感情には大きな温度差が生じていることを実感したのである。


「女性史から見た岩国米軍基地」という本に遊廓移転の政治的背景、基地問題との絡みが詳しく書かれているので重要な一節を引用させてもらおう。
…岩国のローカル新聞である『興風時報』の記事から様子を見てみよう。
岩国では錦見の一角にある登富町界隈に免許が下付され、大正末までに八軒ほどの貸座敷が営業を始めている。が、山口県内でも、下関はもとより山口、柳井、宇部、徳山などの他の都市に比べると、岩国遊郭の規模がごく小さいものであった。日中戦争が勃発する一九三七年七月頃、岩国遊郭では貸座敷が九軒、娼妓数は五〇人余りである。ところが、その頃から、遊郭を移転・拡張させるというプランが岩国町内のホットな話題になる。当時、帝人や東洋紡などの大工場の操業もあって岩国の町は景気がよく、遊郭はにぎわっていた。妓楼経営者たちは登富町では手狭であるということで、錦川を埋め立てた町有埋立地へ遊郭を移すことを願い出た。そこは四千数百坪にわたる広大な土地である。岩国町長、警察署長、町会議員たちはこぞって賛成した。というよりも、当時の岩国の政治指導者たちは遊郭業者たち以上にこのプランに熱心であった。業者たちが千五百坪で十分だというのに町会議員らはぜひ二千坪売却をと主張を譲らず、業者たち以上に移転拡張に執着した。
一九三九年六月十日付けで、山口県は岩国遊郭の移転を許可する。これに際して岩国警察署長は業者に対して「移転しない業者の営業は取り消される」と、強圧的ともいえる訓示を与えている。日中戦争下にあって、性病取り締まりが強化され、貸座敷や芸妓置屋など享楽産業の営業は制限されつつあった。だが、署長は「岩国地方は川下方面の重要工場の建設などがあるために他都市と趣を異にしているので、衛生検診の点さえ徹底すれば公認私娼制度が許されるのではないか」と考えていた…。折しも川下のデルタでは、海軍の飛行場が作られ、また山陽パルプ岩国工場が建設中であった。警察署長の念頭には、こうした海軍基地や工場建設でますます遊郭の需要が増えるという思惑があっただろう。…
『女性史から見た岩国米軍基地 / 藤目ゆき』


決して広いとは言えぬ通りには趣き深い建物が存在していた。くるりんバス停を過ぎた先で一本南の筋に入ると目を引く大きな木造建築が現れた。

