松山往来の本町筋、現住所:総社1丁目14‐20のお宅の前に「頼山陽来遊の元夷屋跡」を示す石柱が建っている。道の向かい(南)が「肉の三協(同4‐15)」だ。

旧賀陽郡八田部村の豪商元戎屋・亀山徳右衛門道本(号は北翁)は頼山陽と親交があった人物。郷土の偉人・雪舟の碑を宝福寺へ建立することを念願し、師の国学者・藤井高尚(たかなお)に撰文を依頼し、頼山陽に揮毫してもらった。ただし、碑が完成するまでには相当の年月が流れている。

石碑から西へ約50mの地点に白壁の美しい「井上老松園(同14‐26)」がある。「瓊乃柚(たまのゆ)」という小洒落た和菓子で有名な店だ。

菓子屋の隣が総社カルチャーセンター(同14‐1)。この対面に位置する「かめや呉服店(同4‐8)」はモルタル建築と思われる。昭和30年頃の総社商店街絵図ではセンターの場所が総社郵便局建設予定地となっていたが、真相はどうなのだろうか?


旧賀陽郡八田部村の豪商元戎屋・亀山徳右衛門道本(号は北翁)は頼山陽と親交があった人物。郷土の偉人・雪舟の碑を宝福寺へ建立することを念願し、師の国学者・藤井高尚(たかなお)に撰文を依頼し、頼山陽に揮毫してもらった。ただし、碑が完成するまでには相当の年月が流れている。

石碑から西へ約50mの地点に白壁の美しい「井上老松園(同14‐26)」がある。「瓊乃柚(たまのゆ)」という小洒落た和菓子で有名な店だ。

菓子屋の隣が総社カルチャーセンター(同14‐1)。この対面に位置する「かめや呉服店(同4‐8)」はモルタル建築と思われる。昭和30年頃の総社商店街絵図ではセンターの場所が総社郵便局建設予定地となっていたが、真相はどうなのだろうか?

