根白石バイパスの伸びた先、泉区福岡浄水場入口の脇に「雷(なりがみ)神社」がある。
鼻を擦るほど急な石段を上り切ると割と広い境内に社を中心に両側に大小様々な石碑が立っていた。
天照皇太后、湯殿山、金華山、古峯神社峰、馬頭観世音、などなど・・・・
中には倒れている大きな石像もあった。おそらく大震災によるものと思われる。
市の史跡説明書きによると
この付近は昔から落雷が多く、さまざまの被害に対する恐怖と稲作に恵みを与える降雨祈願(日照り時の雨ごい)とが結びつき、この神社が建立されたと伝えられている。
「雷の多い年は豊作になる」と歓迎されたが「春雷(寒冷前線の通過などに伴って春になる雷)」については「鎌いらず(稲刈りの必要がなくなるという意味)」といって、その年の不作を知る手立てとされていたようだ。
造られた時期など明確なものはなかったが、石の手水鉢に刻まれた日付は文久4年(1864年)だった。
振り返ってみると、田園の真ん中を真っ直ぐ通るバイパスと遠く中山の観音様も一望できる所だった。
桜の美しい場所だというが、周りはまだ蕾の状態だった。。
鼻を擦るほど急な石段を上り切ると割と広い境内に社を中心に両側に大小様々な石碑が立っていた。
天照皇太后、湯殿山、金華山、古峯神社峰、馬頭観世音、などなど・・・・
中には倒れている大きな石像もあった。おそらく大震災によるものと思われる。
市の史跡説明書きによると
この付近は昔から落雷が多く、さまざまの被害に対する恐怖と稲作に恵みを与える降雨祈願(日照り時の雨ごい)とが結びつき、この神社が建立されたと伝えられている。
「雷の多い年は豊作になる」と歓迎されたが「春雷(寒冷前線の通過などに伴って春になる雷)」については「鎌いらず(稲刈りの必要がなくなるという意味)」といって、その年の不作を知る手立てとされていたようだ。
造られた時期など明確なものはなかったが、石の手水鉢に刻まれた日付は文久4年(1864年)だった。
振り返ってみると、田園の真ん中を真っ直ぐ通るバイパスと遠く中山の観音様も一望できる所だった。
桜の美しい場所だというが、周りはまだ蕾の状態だった。。