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「英雄は自分のできる事をした人だ。凡人はできる事をせずに、できもしない事を望む。」byロマン・ロラン

『花の慶次―雲のかなたに―』

2006年09月28日 01時18分40秒 | 徒然駄弁―書評編
花の慶次―雲のかなたに (1)

集英社

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 今日は、久々にコミックを一冊紹介しよう。今回取り上げるのは、『花の慶次―雲の彼方に―』(以後、主題のみ。)、である。といっても、以前紹介した"EDEN"のようなどちらかと言えばマイナーな作品ではなく、1990年代前半に週間『ジャンプ』に連載されていたメジャーなコミックである。隆慶一郎の原作を、『北斗の拳』の作画を務めた原哲夫が担当している。それ故、リアルタイムで読まれた方も多いだろう。したがって、本稿では、簡単な紹介と感想だけ記すこととする。
 さて、『花の慶次』は、歴史上の人物の生涯を描いた作品である。まだお読みになられていない方でも、戦国時代の歴史に少々の知識をお持ちであれば、慶次と聞いて主人公の正体が分かるだろう。そう、前田慶次こと前田慶次郎利益(利益は、「とします」と読む。以後、前田慶次。)である。滝川益氏の次男として生まれ、前田利家の兄利久の養子として育った。『花の慶次』は、前田家を代表する武将であった前田慶次の生涯を描いている。
 また、前田慶次の生涯を通して、一人の人間としての生き様を描いている。前田慶次は、当時としては相当大柄であったと言われており、大柄を生かした勇壮さと怪力で名を馳せた。こう書くと、知らない人には相当の荒くれ者のように思われるかもしれないが、実のところ優れた教養人としても知られており、相当の男前だったとの話もある。作中でも、その豪快で時に繊細な立ち振る舞いがよく描かれており、痛快な時代活劇としても面白さがある。
 さらに、前田慶次の最も有名な特徴は、当時髄一の傾奇者(かぶきもの)であった事実である。若かりし頃の織田信長を訪仏されるその常軌を逸した振る舞いと自由奔放さが、多くの人を魅了し、他方で多くの人から憎まれた。といっても、ただ奇抜なだけではなく、傾奇の裏には前田慶次の深い信条があった。それは、一人の人間としてのあるべき姿であり、武士の在り方を問うた結果であった。美学とも言える傾奇ぶりは、豊臣秀吉をしていつどこの誰に対してもかぶき通してよいと言わしめ、「傾奇御免状」を貰い受けるに至った。
 『花の慶次』は、かような前田慶次の生き様をありありと描いている。脚本と絵が良くて、前田慶次が道中に会う多くの人々との接点を通じて、彼が採った行動を丁寧に再現しつつ、その裏にある彼の信条を上手く炙り出している。ハードボイルド的な渋さがあり、心が打たれる場面も多くある。時には、今の自分の生き方にも内省を迫る。それ故、一見軽そうなストーリーに思えるが、コミックにしては随分重い内容になっている。
 個人的な感想を述べれば、前田慶次の信条は現在にも通ずるだろう。他人と違うことを為し、世間から良い意味で浮くのも、相当の実力と人間としての魅力を要する。ただ奇抜な振る舞いをし、大声を発し、目立つだけでは何の益もない。往々にして、出る杭は打たれる。それ故、傾き(かぶき)には、常に命の危険が付き纏う。世の流れからはみ出る以上、常に死を覚悟し、単独で生きる実力を身に付けなければならない。そして、後悔しないこと。前田慶次は、それを実践した。
 常々、他人と違う道を歩くのには、相当の意志と力が必要とされると思う。きょうび何やらどこまで他人と違うことをするかが問われているが、前田慶次の信条は、かような現在の生き方の根本を問うているように思える。つまるところ、一人の人間として、一人の職業人として、あるべき姿をとことん突き詰めること。そして、哲学を持って行動すること。うわべだけでは、身を滅ぼす。差異が好まれる現代だからこそ、かようなそもそも論が有効なのだろう。
 コミックの紹介というより前田慶次の紹介になった感が否めないが、『花の慶次』は、大変良い作品である。たかが漫画と切り捨てるには、随分もったいない。前田慶次の生き方と同じく、軽快さと重みを併せ持っている故、読み応えがあって且楽しく読める作品である。きょうびの軽くて薄い漫画に飽きた人には、是非お勧めしたいコミックである。
 
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