何年ぶりだろうか、
8月6日8時15分を広島市内で迎えた。
広島大学霞キャンパス内、レジデントハウスで、ひとり黙とうをした。
8月6日は言うまでもなく、
世界にとって、日本にとって、とりわけここ広島にとっては特別な日だ。
官公庁は休日、学校は登校日。
私も小学生時代、8月6日は夏休み中だが登校日だった。
私はこの日が嫌いだった。
毎年毎年、怖い白黒写真を見て、怖い映画を見て、怖い話を聞かされた。
その日の夜は、決まって、怖くて一人では眠れず、両親の寝室を訪れた。
「燃える8月の朝、朝まで燃え・・・」
脳裏の焼きついて離れないフレーズ。
私は10年くらい広島に住み、その後何度も広島を訪れているが、
実は平和記念公園をゆっくりあるいたことも、原爆資料館に行ったこともない。
広島大学病院は今新しくうまれかわっている。
私が実習へ行っていたころ、大学病院は裏から見ると廃屋のように古かった。
天井も低くて、ちょっと背の高い人では頭を打ちそうだった。
中央配管も飛び出ていた。
聞いた話によると、この辺りは比治山のおかげで原爆の被害から免れたらしい。
今、病棟も外来棟も全部新しくなった。
あのころのおんぼろ病院はもう無くなった。
原爆から生き残ったあの建物は、もう無くなろうとしている。
日本では原発事故が起きた。
今年私は放射線看護学会へ入会した。
2013年8月6日
広島で、何を思う、私・・・。