どんぐりくんのすばらしい季節

季節のよろこびをさがします
きっといつも あなたが 気がついてくれるのをまっています
タシャ・チューダー

祈り

2014-07-03 21:00:00 | おもう事・エッセイ
         この僕に何ができるのであろうか
          全てのことが中途半端な人間で
          何一つやり遂げる事が出来ない  この僕が

          「楽になりたい」と常々想っていても
          支えてくれた多くの方がたの お顔が浮かんでくる

          どんなに辛くても生きなければならない



          「時が来ないのに あなたは あなた自身を滅するのか」
          「
なぜ あなたは 死のうとするのか」



          あらゆる事象には「時」がある
          ・・・・・・・・・・・・・・・(略)
          時にかなって美しい


                          伝道者の書(コトレハの言葉)


          そう
          僕には まだ 「時」は来ない(来ていない)
          ただ こんな 言葉がある。


          それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、
          凡(おおよ)そはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、
          幻の如くなる一期なり。
          されば未だ万歳(ばんざい)の人身をうけたりという事を聞かず。
          一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
          我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先立つ人は、
          本の雫(もとのしずく)・末の露(すえのつゆ)よりもし繁しといえり。
          されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
          すでに無常の風来りぬれば、すなわち二つ(ふたつ)の眼たちまちに閉じ、
          一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装いを失いぬるときは、
          六親(ろくしん)・眷属(けんぞく)集まりて嘆き悲しめども、
          さらにその甲斐あるべからず。
          さてしもあるべき事ならねばとて、
          野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、
          ただ白骨のみぞ残れり。
          あわれというも中々おろかなり。
          されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、
          誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
          阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
          あなかしこ。あなかしこ。


          自分の命が明日どうなるか など
          だれにも 解らない


          その日が来るまで
          僕は生きて 祈ろう


          僕の大切な人々のために





          綺麗ごとって言われるかもね。。。
          「生」と「死」を意識始めて
          その「概念」に気づいた時


          もっと安らかな「心」になれるかもしれない




                                     JUDA

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