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たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

東北道(上り)岩手山S.A.の啄木歌碑

2011-12-16 | 啄木歌碑
大分寒くなり、盛岡の朝は氷点下になってきました。お正月やお盆には高速道路を利用して里帰りの人が多いですが、十分気をつけて運転しましょう。特に冬道は滑って危ないですから慎重な運転を心がけ、早めにサービスエリアで休息をとりましょう。サービスエリアにも啄木歌碑が建立しているところがあります。日本道路公団は、昭和から平成への改元にあたって、啄木と故郷のえにしを記念し、平成元年5月、東北自動車道上下線の岩手山サービスエリアに歌碑を建立しました。

東北道上り線岩手山サービスエリアの歌碑









神無月
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ

啄木







石川啄木が深い悲しみを抱いて北海道へ移住したのは明治40年5月4日のことである。以後27歳で客死するまで二度と故郷に帰ることはなかった。しかし東京時代の啄木は岩手の山河を思い浮べ尽せぬ望郷の念を短歌に託し歌集『一握の砂』を編んだ。これが無二のものとして現代人の心を打つのである。
昭和から平成への改元にあたって日本道路公団は啄木と故郷のえにしを記念し、歌碑を建立して天才のおもかげを永く世に伝える。歌碑の歌は明治41年10月23日東京本郷森川町の下宿蓋平館別荘での作歌で、啄木自筆の原稿ノートより採録した。
                      平成元年4月20日 日本大学教授文学博士 岩城之徳



この歌は、明治41年啄木歌ノート(10月23日)、新渡戸仙岳宛手紙(明治41年10月26日)にあり、岩手日報(明治41年11月3日)「小春日」、明星(明治41年11月号(終刊号))に発表、一握の砂「秋風のこころよさに」に掲載している。




巖手日報 明治41年11月3日



笹平の啄木歌碑

2011-12-09 | 啄木歌碑
歌碑のあるこの場所は盛岡市玉山区門前寺字笹平で、奥州街道(道中)の小野松一里塚と笹平(ささだいら)一里塚の間にあり、笹平一里塚のすぐ傍です。門前寺村は明治22年に渋民村等と合併し渋民村になり、昭和29年に渋民村は玉山村と合併し新しい玉山村になった。現在は盛岡市玉山区門前寺になっている。四十四田ダム完成により旧街道ルートはダム底に沈んだため、奥州街道は大分移動され、その際に岩洞湖より取水している丹藤川第2水力発電所をまたぐ橋が架けられた。その橋「笹平大橋」の両側の橋柱に、平成5年11月に、啄木の歌を刻んだ銅板がはめ込まれた。


盛岡側の橋柱の歌









ほたる狩
川にゆかむといふ我を
山路にさそふ人にてありき

啄木


この歌は、一握の砂「煙二」に掲載されている。




渋民側の橋柱の歌







岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聴くらむ

啄木


この歌は、明治41年歌ノート「暇ナ時」にあり、雑誌「春潮」(明治41年10月号)に発表、「一握の砂」に掲載されている。





笹平大橋から見た北上川



発電所水路









北海道岩見沢の啄木歌碑

2011-12-01 | 啄木歌碑
岩見沢にも啄木の歌碑があります。札幌での用事を済ませ、翌日岩見沢の啄木歌碑を訪れました。岩見沢駅の観光案内で聞けば場所が分かると思い、バスターミナルにある観光案内所を訪ねたが、観光案内書にも書かれてなく、案内所の人もわからないということでした。私が持っていった資料に所在地は北村豊里と書かれていたので、豊里行きのバスに乗り40分ほどで豊里停留所に着いたので、そこで降りた。停留所のすぐ前に野球場があり、少年野球がちょうど終わったばかりのようで、少年のおかあさんに啄木歌碑の場所を聞いたら、もう少し先にあるということで、5分ほど歩いていたら、先ほどのおかあさんが車で来て、歌碑の場所まで送ってやるということで、送ってもらうことにしました。私が降りた停車場は2つ手前のようで、歌碑まではかなりの距離があり、あのまま歩けば1時間はかかったでしょう。名前もきかず別れてしまいました。おかあさん本当にありがとうございました。










石狩の空知群の牧場の
お嫁さんより送り来し
バタかな

石川啄木
「悲しき玩具より」



この歌は、一握の砂以後(明治43年11月末より)にあり、雑誌創作(明治44年2月号)に掲載、悲しき玩具に掲載された。


碑文によると、石川啄木があこがれた橘智惠(戸籍はチヱ)は、札幌農学校で兄の学友であった若き牧場主北村謹のもとへ嫁ぐことになり、明治四十三年五月石狩川を汽船で遡って、空知郡北村の北村農牧場(後の北村牧場)に来たのであった。
 啄木は明治43年末に出版した処女歌集『一握の砂』を智恵に贈ったが、この歌集に収められた「忘れがたき人々二」二十二首は、智恵を歌ったものである。
 後に智恵は、啄木が東京で肺を患い、栄養もままならない貧困の生活をおくっていることを風の便りに聞き、当時高価で入手難だったバターを、かつての同僚に贈った、とある。


  


バス停は「牧場入口」で、ここで降りれば、すぐ前に啄木歌碑があります。





バス停前の歌碑案内表示



実は当初、砂川駅に降りました。降りてすぐに電車に忘れ物?をし、駅員さんに事情を話したら列車に連絡をしてくれ、忘れ物は列車にあったので、旭川までとりに行ってくれということで、砂川駅では構内から出ずに、すぐに旭川に向かい、忘れ物をいただきました。旭川では三浦綾子記念文学館に行きました。その日は天気が良かったので氷点橋を渡り歩いて行きましたが30分ほどかかったような気がします。その後、岩見沢の啄木歌碑を訪れました。




旭川駅から三浦綾子記念文学館への途中の氷点橋
















玉山小学校の啄木歌碑

2011-11-25 | 啄木歌碑
玉山小学校は盛岡市玉山区日戸にある。日戸村は啄木が生まれた村で、明治22年に玉山村と合併し玉山村になった。学校の位置は、県道盛岡-渋民線の旧玉山公民館付近から東方に600メートルほど進むと、小高い丘の上にあります。啄木が生まれた常光寺へ行く途中にある。この歌碑は、校舎の右側に、啄木生誕118年にあたる2004年2月建立された。
 






或る時のわれのこころを
焼きたての
パンに似たりと思いけるかな

啄木




この歌は、啄木歌ノート(明治43年10月13日)にあり、一握の砂「我を愛する歌」に掲載されている。





玉山小学校は常光寺の方に進むと、この信号から600mほどの所です。






玉山小学校











旧玉山公民館前の啄木歌碑

2011-11-17 | 啄木歌碑
旧玉山公民館は盛岡市玉山区日戸にあり、県道盛岡-渋民線にあります。公民館の脇道を進むと玉山中学校に行く。この歌碑は、玉山公民館が庭園を造ったときの記念として昭和48年7月に建立したもので、"ふるさとの山に向ひて"の歌と、造園に協力した人たちの氏名が刻まれている。なお、啄木が生まれた日戸村は明治22年玉山村と合併し玉山村になっている。











ふるさとの
山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山は
ありがたきかな

啄木



この歌は、啄木歌ノート(明治43年8月28日)にあり、「一握の砂」に掲載。



なお、玉山中学校の校歌は

「啄木生みて 永久なるところ」・・・と始まっている。



旧玉山公民館前の案内表示