大分寒くなり、盛岡の朝は氷点下になってきました。お正月やお盆には高速道路を利用して里帰りの人が多いですが、十分気をつけて運転しましょう。特に冬道は滑って危ないですから慎重な運転を心がけ、早めにサービスエリアで休息をとりましょう。サービスエリアにも啄木歌碑が建立しているところがあります。日本道路公団は、昭和から平成への改元にあたって、啄木と故郷のえにしを記念し、平成元年5月、東北自動車道上下線の岩手山サービスエリアに歌碑を建立しました。
東北道上り線岩手山サービスエリアの歌碑




石川啄木が深い悲しみを抱いて北海道へ移住したのは明治40年5月4日のことである。以後27歳で客死するまで二度と故郷に帰ることはなかった。しかし東京時代の啄木は岩手の山河を思い浮べ尽せぬ望郷の念を短歌に託し歌集『一握の砂』を編んだ。これが無二のものとして現代人の心を打つのである。
昭和から平成への改元にあたって日本道路公団は啄木と故郷のえにしを記念し、歌碑を建立して天才のおもかげを永く世に伝える。歌碑の歌は明治41年10月23日東京本郷森川町の下宿蓋平館別荘での作歌で、啄木自筆の原稿ノートより採録した。
平成元年4月20日 日本大学教授文学博士 岩城之徳
この歌は、明治41年啄木歌ノート(10月23日)、新渡戸仙岳宛手紙(明治41年10月26日)にあり、岩手日報(明治41年11月3日)「小春日」、明星(明治41年11月号(終刊号))に発表、一握の砂「秋風のこころよさに」に掲載している。

巖手日報 明治41年11月3日
東北道上り線岩手山サービスエリアの歌碑



神無月
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
啄木
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
啄木

石川啄木が深い悲しみを抱いて北海道へ移住したのは明治40年5月4日のことである。以後27歳で客死するまで二度と故郷に帰ることはなかった。しかし東京時代の啄木は岩手の山河を思い浮べ尽せぬ望郷の念を短歌に託し歌集『一握の砂』を編んだ。これが無二のものとして現代人の心を打つのである。
昭和から平成への改元にあたって日本道路公団は啄木と故郷のえにしを記念し、歌碑を建立して天才のおもかげを永く世に伝える。歌碑の歌は明治41年10月23日東京本郷森川町の下宿蓋平館別荘での作歌で、啄木自筆の原稿ノートより採録した。
平成元年4月20日 日本大学教授文学博士 岩城之徳
この歌は、明治41年啄木歌ノート(10月23日)、新渡戸仙岳宛手紙(明治41年10月26日)にあり、岩手日報(明治41年11月3日)「小春日」、明星(明治41年11月号(終刊号))に発表、一握の砂「秋風のこころよさに」に掲載している。

巖手日報 明治41年11月3日