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たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

東京銀座の啄木歌碑

2011-11-07 | 啄木歌碑
昨日テレビを見ていたら関口宏の銀座今昔物語が放映されており、銀座5丁目の三笠会館も訪ねておりました。私も先週の2日に三笠会館で集まりがあったので、銀座5丁目にある啄木歌碑を訪れました。啄木は滝山町の朝日新聞社に明治42年12月から45年4月13日までの約3年間勤務した。短い生涯の大半を放浪のうちに過ごした啄木は、故郷を思い、優れた望郷の歌を数多く残しております。











         
京橋の瀧山町の
新聞社
灯ともる頃のいそがしさかな
啄木



この歌は、東京朝日新聞(明治43年5月5日)に発表、一握の砂に掲載。


石川啄木が瀧山町の朝日新聞社に勤務したのは 明治42年3月から45年4月13日、27歳でこの世を去るまでの約3年間である。この間彼は佐藤真一編集長を始めとする朝日の上司や同僚の厚意と恩情にまもられて 歌集「一握の砂」「悲しき玩具」 詩集「呼子と口笛」など多くの名作を残し庶民の生活の哀歓を歌うとともに時代閉塞の現状を批判した。銀座の人びとが啄木没後満60年を記念して朝日新聞社跡に歌碑を建立したのはこの由緒によるものである。
昭和48年4月1日 日本大学教授 文学博士 岩城之徳


京橋の瀧山町の由来
京橋の名は維新後の明治11年に新たに制定された区名で昭和22年に現在の中央区に改められるまで70年の間都民にしたしまれてきた区名です。瀧山町の名は江戸開府ののちこの地を開拓した名主瀧山藤吉の名を偲ぶもので昭和5年銀座6丁目に改称されるまで徳川時代から続いた由緒のある町名です。 現在は中央区銀座6丁目と又新しく表示されております。
昭和48年4月1日
歌の書体は歌集「一握の砂」初版本の活字を拡大して用いました



啄木が銀座を素材にして詠んだ歌としては、次の歌があります。


春の雪
銀座 の裏の三階の煉瓦造に
やはらかに降る

≪一握の砂≫



春の雪滝山町の三階の煉瓦造によこさまに降る
≪東京朝日新聞(明治43年5月16日)≫








川崎展望地の啄木歌碑

2011-10-31 | 啄木歌碑

川崎展望地は、盛岡市玉山区下田にある。下田村は明治22年渋民村と合併し渋民になっている。川崎展望台は北上川の対岸に位置し、姫神山を背景にした渋民の街並みを一望できます。この歌碑は平成3年10月に建立されている。






今日ひょいと山が恋しくて
山に来ぬ。
去年腰掛けし石をさがすかな


この歌は、啄木歌ノート「一握の砂以後」(明治43年11月末より)にあり、悲しき玩具に掲載されている。





川崎展望台から見た北上川と姫神山











啄木団地の啄木歌碑

2011-10-22 | 啄木歌碑
岩手銀河鉄道渋民駅の裏に渋民団地があり、団地の中に啄木歌碑が建立されている。この歌碑は昭和38年に建立され、現在は町内会で管理しているようです。台座もだいぶいたんでおります。







かにかくに渋民村は戀しかり
おもいでの山
おもいでの川

石川啄木



この歌は、一握の砂「煙二」に掲載されている。



この歌碑は啄木団地造成を記念し、昭和38年に建立された。建立当時は歌碑の上に啄木の胸像がのっていたが、その後台座の歌碑は団地に残し、胸像は旧啄木記念館に保管されているとのことです。



渋民駅の啄木歌碑

2011-10-14 | 啄木歌碑
渋民駅は玉山区下田にある。下田村は明治22年渋民村と合併し、渋民村になっている。この地に、渋民駅が開業されたのは昭和25年(1950年)で、啄木の時代には「渋民駅」は存在しなかった。啄木が歌に詠んだ 故郷の「停車場」とは、隣村の好摩駅を指している。この歌碑は、玉山村合併50周年記念として、平成16年5月にに建立された。   




IGRいわて銀河鉄道渋民駅



IGRいわて銀河鉄道渋民駅前の駅前公園に、歌人石川啄木の歌碑が建立され、平成16年5月に除幕式が行われた。文字は啄木の直筆ノートから写し取った。歌碑の傍には「雲は天才である」と刻まれた碑が立っている。










なつかしき
故郷にかへる思ひあり、
久し振りにて汽車に乗りしに。

啄木



この歌は、啄木歌ノート「一握の砂以後」(明治43年11月末より)にあり、悲しき玩具に掲載されている。


啄木小説名の碑





この碑は、平成3年12月27日、JR渋民駅前の広場に、この浪漫ロマン的小説名を刻だ碑が建立された。











渋民「大前田」の啄木歌碑

2011-10-06 | 啄木歌碑
渋民駅から啄木記念館の方に歩くと10分ほどで、道路の右側に、この歌碑があります。渋民街の入口です。車で行くと見落としがちです。
この歌碑は、以前この地で「啄木ドライブイン」を経営していた方が、昭和53年4月に建立したもので、碑文は啄木自筆からの集字拡大である。









神無月
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ

啄木


この歌は、啄木歌ノート(明治41年10月23日)、新渡戸仙岳宛の手紙(明治41年10月26日)にあり、岩手日報(明治41年11月3日)、雑誌明星(明治41年11月号)に発表し、一握の砂「秋風のこころよさに」に掲載した。