下橋(しものはし)中学校の校門の前には、啄木の歌と、啄木が晩年もっとも心を許しあい、啄木の最後をみとったといわれる若山牧水の歌が並んでいます。この歌碑は、平成9年、啄木生誕111年{啄木の本名一(はじめ)}を記念して、啄木と牧水の友情の歌碑として建立されました。下橋中学は下の橋(しものはし)の下流100mほどのところです。

教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝にゆきしかな
石川啄木(一握の砂)
城跡の古石垣にゐもたれて曠
聞くともなき
波の遠音かな
若山牧水(朝の歌)
向かって左側が啄木の歌、右側が若山牧水の歌。二つの歌の間には「啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を三度 訪れており、啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数百詠しております」と書かれています。
啄木のこの歌は雑誌「曠野」(明治43年11月号)、「スバル」(明治43年11月号)、「学生」(明治44年1月号)に発表され、一握の砂「煙一」に掲載。

下橋中学校の正門脇にある歌碑

歌碑は下の橋(しものはし)から100mほど下流です

歌碑のすぐ近くの「かわら橋 」

遠くに見える岩手山

教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝にゆきしかな
石川啄木(一握の砂)
城跡の古石垣にゐもたれて曠
聞くともなき
波の遠音かな
若山牧水(朝の歌)
向かって左側が啄木の歌、右側が若山牧水の歌。二つの歌の間には「啄木が晩年最も心を許し合った友人若山牧水は、盛岡を三度 訪れており、啄木がこよなく愛し歌った不来方城で、啄木を偲びながら数百詠しております」と書かれています。
啄木のこの歌は雑誌「曠野」(明治43年11月号)、「スバル」(明治43年11月号)、「学生」(明治44年1月号)に発表され、一握の砂「煙一」に掲載。

下橋中学校の正門脇にある歌碑

歌碑は下の橋(しものはし)から100mほど下流です

歌碑のすぐ近くの「かわら橋 」

遠くに見える岩手山