たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

小樽公園の啄木歌碑

2012-10-15 | 啄木歌碑

小樽公園の歌碑

石川啄木は、明治40年9月から小樽日報社に勤めることになり、三面記事の記者、歌壇の選者として才筆を振るいましたが、同年12月に約3ヶ月で退社して翌年1月には小樽を離れてしまいます。上司との意見の対立があったようです。小樽公園の啄木歌碑は昭和26年に公園入口の高台海向きに建てられている。












こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて
死なむと思う
啄木




この歌は、一握の砂「我を愛する歌」に掲載されている。



小樽駅前の啄木歌碑

2012-09-08 | 啄木歌碑

歌碑は小樽駅の、駅前広場から三角市場に上る階段脇にあります。平成17年10月に建立されています。啄木は「小樽日報」の記者として小樽に赴任してきた際、姉トラの夫で、中央小樽駅(現・小樽駅)駅長の山本千三郎の家に滞在していました。当時、駅長官舎は駅前にあり、この三角市場あたりにあったため、縁の深い場所として選ばれたようです。














子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
啄木



この歌は、一握の砂「忘れがたき人人一」に掲載。
啄木は、明治40年9月に小樽に来、当時の小樽日報社務めたが、社内での争いで退社、わずか4ヶ月足らずの小樽生活だった。翌年1月に、釧路新聞社に勤務が決定し、釧路に向かう啄木を、節子は送りに来た。その釧路へ去って行く時の駅での情景を詠んだ歌です。


美唄の啄木歌碑

2012-08-25 | 啄木歌碑
北海道函館本線の美唄駅は札幌から特急で40分ほどの所です。美唄駅前広場に啄木歌碑が建立されています。この歌碑は平成15年、美唄ロータリークラブが30周年を記念して、石川啄木の歌碑を建立し美唄市に寄贈したものです。歌の中に「美国」とありますが、石狩地方に「美国」という駅名は存在しないため、「美唄」駅ではないのかといわれているようです。



美唄駅






駅前広場の啄木歌碑





石狩の美国といへる停車場の
柵に乾してありし
赤き布片かな
      啄木




この歌は、一握の砂「忘れがたき人人(一)」に掲載されている。






柵といえば、以前よく線路への侵入を防ぐため、枕木と同じように太い角材を地面に打ちめぐらしていた柵が思い出されます。

「美国」については、「美唄」を指すのが定説だなどとも言われていますが、啄木さんが何処をさしたのかは本人しかわからないことです。また、歌の解釈などをする専門家と称する方がおられますが、文学は工学とは違い、答えは一つではなく、歌を詠んだ人が、その時の状況で感じた解釈が正解なのでしょう。


啄木の歌には、盛岡の天満宮の狛犬を見て、間違うはずのない石馬と称した歌もあります。。







 

「夏木立中の社の石馬も 汗する日なり 君をゆめみむ」
「松の風夜晝ひびきぬ 人訪はぬ山の祠の 石馬の耳に」




馬ではない犬だとさわぐのも変なことです。あまり、文字にこだわらず、歌を楽しんだ方がよいのです。





駅から5分ほどにある美唄市郷土史料館






秦野市本町中学校の啄木歌碑

2012-08-17 | 啄木歌碑
神奈川県秦野市富士見町の本町中学校に昭和39年に建立された啄木歌碑があります。秦野までは新宿から小田急急行、小田原行きで1時間10分ほどです。秦野駅から本町中学までは歩くと30分ほどです。バスの利用が良いでしょう。本町中学校の正門から入ると左側に庭園があり、歌碑はそこにあるのだろうと探し ましたが、なかなか見つかりません。小学生の女の子二人も手伝ってくれ、やっと子供たちが見つけてくれました。大きな木の下で、枝が垂れていたので、なかなか見つからなかったし、歌碑の文字もはっきり見えませんでした。 





本町中学校



庭園



啄木歌碑





あたたかき飯を
子に盛り
古飯に湯を
かけたまふ
母の白髪

啄木




この歌は、明治41年啄木歌ノート「暇ナ時」(6月25日)にある。






船岡の啄木歌碑

2012-08-06 | 啄木歌碑


宮城県の啄木歌碑というと、啄木が立ち寄った石巻にありますが、ここ船岡にも啄木歌碑があります。船岡は山本周五郎作の「樅の木は残った」で有名になった町ですが、桜の町としても名が知られております。この町に啄木が立ち寄ったというわけではありませんが、啄木の友人吉野白村が宮城県柴田郡船岡村出身でありその時から百年の歳月が流れ、それを記念して平成15年2月に、船岡駅の上り線のホームに建立しております。船岡駅は仙台と福島を結ぶJR東北本線の駅で、仙台から30分ほどのところの駅です。





船岡駅


駅待合室


一番ホーム(電車の前に歌碑がある)











汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも

啄木


この歌は、スバル(明治43年11月号)に発表、一握の砂に掲載