たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

福島県の啄木歌碑

2012-07-23 | 啄木歌碑
福島県会津美里町雀林の法用寺境内に啄木歌碑があります。啄木が小樽日報に勤めていた時の先輩である中野(旧小林)寅吉は会津美里町(旧会津高田町)雀林出身で、晩年この法用寺の住職を務めました。そのような関係から、啄木生誕100年を記念して昭和60年に会津啄木会が歌碑を建立した。
法用寺は会津三十三観音の29番札所で、ご本尊は十一面観音菩薩です。法用寺の仁王門の左右には重要文化財に指定されている阿吽像があるが、現在そのパネルが置かれている。門をくぐると観音堂があり、観音堂と三重塔の間に啄木歌碑が二つ並んでいる。
法用寺まではJR只見線の会津高田駅または根岸駅から行けます。法用寺からの帰りに根岸駅まで歩きましたがかなりの距離でした。
























敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに

啄木

この歌は、スバル(明治43年11月号)に発表、一握の砂「忘れがたき人人」に掲載。







あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ

啄木


この歌は、東京朝日新聞(明治43年5月8日)に発表、一握の砂「忘れがたき人人」に掲載。








歌碑に向かって左側には福島県指定重要文化財(建造物)の法用寺三重塔が建っている。









法用寺から根岸駅までは歩いて30分ほどです







南部富士カントリークラブの啄木歌碑

2012-07-13 | 啄木歌碑
南部富士カントリークラブは、岩手県八幡平市大更にあり、西根インターチェンジから10㎞、JR好摩駅から5㎞ほどの所にあります。ここには昭和51年2月21日に建立された石川啄木の歌碑があります。














かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川

石川啄木



この歌は、一握の砂「煙二」に掲載されている。








東北自動車道(下り)岩手山S.A.の啄木歌碑

2012-07-03 | 啄木歌碑
岩手県八幡平市にある東北自動車道下り線の岩手山SAに啄木歌碑があります。この歌碑は、日本道路公団が昭和から平成への改元にあたって啄木と故郷のえにしを記念し建立しております。










故郷の山尓向ひて
いふ事なし
故郷の山は有りがたきかな

啄木




この歌は、明治43年啄木歌ノート(8月28日)にあり、一握の砂「煙二」に掲載された。


石川啄木が深い悲しみを抱いて北海道へ移住したのは明治40年5月4日のことである。以後27歳で客死するまで二度と故郷に帰ることはなかった。しかし東京時代の啄木は岩手の山河を思い浮べ尽せぬ望郷の念を短歌に託し歌集『一握の砂』を編んだ。これが無二のものとして現代人の心を打つのである。
昭和から平成への改元にあたって日本道路公団は啄木と故郷のえにしを記念し、歌碑を建立して天才のおもかげを永く世に伝える。
      歌碑の歌は明治43年8月28日東京本郷弓町時代の作歌で、啄木自筆の原稿ノートより採録した。
                   平成元年4月20日 日本大学教授文学博士 岩城之徳





西根第一中学校の啄木歌碑

2012-06-25 | 啄木歌碑
八幡平市立西根第一中学校は平舘駅から2kmほどの所で、岩手県道17号沿いの高台にあり、前方には岩手山がそびえ立っています。この道路を進んで行くと七時雨温泉に通じます。同市には西根中学校もありますので間違わないように。八幡平市は西根町・松尾町・安比町の三つの町が合併してできた市ですが、現在は旧町の名前が住所から消えていますが、中学の名前等はそのままになっています。この歌碑は昭和55年に建立されています。








ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

啄木


この歌は、啄木歌ノート(明治43年8月28日)にあり、一握の砂「煙二」に掲載されている。








新山の啄木歌碑

2012-06-14 | 啄木歌碑
この歌碑は岩手県八幡平市平舘新山にあり、盛岡から国道282号線を北上して行くと平舘公民館前のバス停があるので、その先の信号を左折すると左側に平舘高校があり、高校から50mほど進むと左側にこの歌碑がある。昭和39年12月に建立された。  







かの家の
かの窓にこそ
春の夜を
秀子とともに
蛙聴きけれ

啄木



この歌は、、雑誌「スバル」(明治43年11月号)に発表、一握の砂「煙二」に掲載されている。

秀子は明治37年4月平館小学校教師として勤務し、一禎の生家の隣に下宿していた。後に渋民小学校に転任し、ここで啄木と親しくなった。啄木が故郷渋民を去り、函館に向かう前夜、秀子を訪れ、田圃で鳴く蛙の声を一緒に聞いたときの歌といわれている。


5月の中ころになると、歌碑の近くに、一本の木から三色の花が咲く梅の木?があります。