一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『焼肉ドラゴン』 ……『この世界の片隅に』に欠けていたものがここに……

2018年06月29日 | 映画


鄭義信(作・演出)による舞台『焼肉ドラゴン』は、
日本の新国立劇場と韓国の芸術の殿堂によるコラボレーション作品であり、
2008年に両劇場で上演された後、(韓国では梁正雄の演出)
2011年、2016年に再演されている。




2008年、初日の幕が開けた後、
瞬く間にその口コミが広がり、
チケットは争奪戦になり、
ソウルでは、感極まった観客の一人が過呼吸になり、
救急車で運ばれるという事態に……
朝日舞台芸術賞グランプリ、読売演劇大賞及び最優秀作品賞など、
数々の演劇賞を受賞したその『焼肉ドラゴン』が、
ついに映画化された。
監督は、舞台『焼肉ドラゴン』の生みの親である鄭義信。


【鄭義信】
1957年7月11日生まれ。兵庫県姫路市出身。
1993年に『ザ・寺山』で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。
その一方、映画に進出し、
同年『月はどっちに出ている』の脚本で、
毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。
1998年には、『愛を乞うひと』で、
キネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第一回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など数々の賞を受賞した。
『焼肉ドラゴン』では、
第8回朝日舞台芸術賞 グランプリ、第12回鶴屋南北戯曲賞、第16回読売演劇大賞 大賞・最優秀作品賞、第59回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞。
韓国演劇評論家協会の選ぶ2008年、今年の演劇ベスト3 。
韓国演劇協会が選ぶ 今年の演劇ベスト7。など、数々の演劇賞を総なめにした。
近年では『パーマ屋スミレ』『僕に炎の戦車を』『アジア温泉』『しゃばけ』『さらば八月の大地』『すべての四月のために』『密やかな結晶』『赤道の下のマクベス』と話題作を生み出している。
2014年春の紫綬褒章受賞。


演劇界では、一流の演出家で、
映画界でも、一流の脚本家である鄭義信が、
“還暦の新人監督”として、初監督に挑戦したのだという。


私の好きな女優である真木よう子、井上真央、桜庭ななみや
私が好感を抱いている大泉洋も出演している。
〈見たい〉
と思った。
で、公開されてすぐに、
映画館に駆けつけたのだった。



昭和44年(1969年)から、
万国博覧会が催された昭和45年(1970)へ。
高度経済成長に浮かれる時代の片隅。


関西の地方都市の一角で、
ちいさな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む亭主・龍吉(キム・サンホ)と、


妻・英順(イ・ジョンウン)は、


静花(真木よう子)、梨花(井上真央)、美花(桜庭ななみ)の三姉妹と、


一人息子・時生(大江晋平)の6人暮らし。


失くした故郷、
戦争で奪われた左腕。
つらい過去は決して消えないけれど、
「たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる」
それが龍吉のいつもの口癖だった。
そして店の中は、
静花の幼馴染・哲男(大泉洋)など、
騒がしい常連客たちでいつも賑わい。


ささいなことで、泣いたり笑ったり。
そんな何が起きても強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、
次第に時代の波が押し寄せてくるのだった……




1970年代には、まだ、
在日コリアンの人々が肩寄せ合って暮らす場所が全国各地にあった。
私が育った佐世保にもあったし、
映画の時代設定である1970年代、
私は中学生から高校生になる時期で、(映画だと時生の世代)
それらのことはとてもよく憶えている。
だが、時代と共にそれら集落は立ち退かされたりして減少し、
人々の記憶からも消え去ってしまった。
鄭義信監督によると、
そんな場所や人を記録したいという想いから始まったのが、
『焼肉ドラゴン』であるという。
私と鄭義信監督とはほぼ同年代であるし、
時代を共有しているので、共感できる部分が多く、
とても興味深く見ることができた。



長女・静花を演じた真木よう子。


在日コリアンの役といえば、
『パッチギ!』(2005年)でのチョン・ガンジャ役を思い出すが、


このときは、喧嘩の強いガラの悪い役であったが、
『焼肉ドラゴン』では、足の悪い、昔の思い出を引きずっているような、ちょっとナイーブな長女・静花を巧く演じていた。



次女・梨花を演じた井上真央。


ビックリさせられたのは、彼女のキスシーン。
これが彼女らしからぬ濃厚なものであったのだ。

井上さんのパブリック・イメージとは違うと思いつつも「ここは野獣のように積極的に」とお願いしたところ、体当たりで演じて下さった。尚且つ、井上さんらしさもちゃんと映っているんです。その女優魂に敬服しました。

と、鄭義信監督は語っていたが、


このキスシーンを見るだけでも、この映画を“見る価値あり”だ。
私の好きな西川美和監督も、

井上真央さんがキスをするカットは観ながら喉元が鳴りそうになりました。
山崎カメラマンの撮る画は、こういうところで異様な熱量を発揮するので、恐ろしいです。


とコメントしている。



三女・美花を演じた桜庭ななみ。


『最後の忠臣蔵』(2010年)を見て、
……桜庭ななみの比類無き美しさが傑作を生んだ……
とのタイトルでレビューを書いて以来、(コチラを参照)
ずっと気になる女優であったのだが、
私の中では清純なイメージが出来上がっていたので、
『焼肉ドラゴン』での奔放な三女・美花役はちょっと驚きであった。
長谷川(大谷亮平)とのキスシーンあり、
美根子(根岸季衣)との乱闘シーンありで、
私が抱いていた清純なイメージは打ち壊されてしまった。(笑)

桜庭ななみさんはとにかくフレッシュ。経験値が高いとは言えないけれど、撮影が進むほど尻上がりに良くなっていき、ラストの、恋人・長谷川の妻役である根岸季衣さんとの乱闘シーンは一発OKにしてくれました。若い方の伸びしろはやはりスゴい。

と、鄭義信監督は語っていたが、
この役を経たことで、女優としてさらに飛躍していくことだろう。



静花の幼馴染・哲男を演じた大泉洋。


舞台『焼肉ドラゴン』の2011年の再演時に、
(他の会場ではチケットが取れなかったので)北九州まで舞台を観に行って、ボロ泣きし、   
純粋に作品のファンだったとのことで、
映画のオファーがきたときは、正直「恐かった」そうだ。
責任重大だし、
クオリティを下げてはいけないというプレッシャーを感じたという。
静花(真木よう子)の幼なじみで、
ずっと静花に思いを寄せているという役で、


コミカルな面を持ちながらも、
一本気で猪突猛進な性格も併せ持つという難役を好演しており、
『恋は雨上がりのように』での店長役を見たばかりであるが、
これまでの大泉洋とは違った“顔”を見ることができて嬉しかった。



映画を見終わって感じたのは、
〈あの『この世界の片隅に』に欠けていたものがここにある……〉
ということだった。
私が書いた『この世界の片隅に』のレビューは、
今でもアクセスが多く、最も読まれているレビューのひとつであるのだが、
そこで、私は、こう指摘している。

『この世界の片隅に』は、
実際は、
「この日本の片隅に」であり、
「この広島の片隅に」であったと思う。
そして、すずのような温厚で善良な国民が、戦争を支えていたという事実。
「本当の悪は平凡な人間の凡庸な悪」という言葉を思い出す。
恐ろしいのは、こんな穏やかな日常が、戦争と直結しているということなのだ。
物語は、すずの視点で進むので、
その恐ろしさが見る者に伝わってこないし、
「Yahoo!映画」のユーザーレビューにあった、
「普通というしあわせがここに描かれている」
などといった呑気な感想が生まれる要因にもなっている。
勿論、戦争の悲惨さも描かれており、
食糧難、
そして、空襲や原爆が、登場人物たちを苦しめる。
亡くなる人もいるし、
すずも片腕を失う。
だが、いずれも、被害者としての日本人の描き方だし、
同じ広島の地に住んでいた(抑圧されていた)他国の人々のことはまったく描かれていない。

(全文はコチラから)

この描かれていなかった「(抑圧されていた)他国の人々のこと」のひとつが、
(時代は違うが)まさに『焼肉ドラゴン』であったように感じた。
『この世界の片隅に』のすずは、落ちてきた時限爆弾で片腕を失うが、
「焼肉ドラゴン」を営む龍吉(キム・サンホ)も、
日本兵として戦争に行き、片腕を失う。
それでも日本を恨むことなく、
日本の社会に溶け込もうと努力し、
息子・時生(大江晋平)にも日本の教育を受けさせようとする。
だが、日本社会は、そんな龍吉や時生を差別し、拒絶する。
後半に、龍吉による3分ほどのロングテイクシーンがある。
そこで語られる言葉に、見る者は涙を禁じ得ない。

そのワンシーンを6時間にわたって撮影したのですが、終わった瞬間、撮影監督をはじめ、スタッフさんたちとも抱きしめながら喚声を上げていました。あの瞬間は、俳優として最高の瞬間であり、永遠に忘れられない瞬間。この場を借りてすべての方々にもう一度深い感謝の気持ちを伝えたいです。この映画の中には人間の生と、涙と、感動があります。必ず見に来てほしい。感動と面白さを必ず約束します。

と、龍吉を演じたキム・サンホは語る。
この3分間の龍吉の言葉の中に、
小さな焼肉屋の、大きな歴史があり、
関西の“片隅”で生きてきた小さな一人の人間の、壮大な物語がある。
『この世界の片隅に』に感動した人にこそ、
ぜひ本作を見てもらいたいと思う所以である。


この映画には、様々な人がコメントを寄せている。
そのほとんどが、私の好きな監督や作家であることが嬉しい。

『繕い裁つ人』『幼な子われらに生まれ』の三島有紀子監督。


『フラガール』『悪人』『怒り』の李相日監督。


『ゆれる』『夢売るふたり』『永い言い訳』の西川美和監督。


『妊娠カレンダー』『博士の愛した数式』の作家・小川洋子。


『ホテルローヤル』『起終点駅(ターミナル)』の作家・桜木紫乃。


そして、キャスター・堀尾正明の最後の言葉に共感する。
「この国に住む人は観る義務さえあると思う」



70年代の時代の記憶、
人々のぬくもりが鮮明に蘇り、
明日を生きるエネルギーで溢れる人生讃歌『焼肉ドラゴン』。
映画館で、ぜひぜひ。


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