2007年11月3日も日光市小来川(オコロガワ)地区の、主に庚申塔を主体とした石仏巡りに行きました。と言っても、それらのほとんどは過去に調査した所ばかりです。何しろ、前回に調査して10年を経ているものは再調査することにしましたので、今回も時間の無駄使いと判っていての再調査です。
最初は、南小来川地区長久保地区の庚申塚調査です。ここには合計6基の庚申塔がありあす。もちろん昭和55年庚申塔もあります。そして面白いのは、この地区では「猿田彦大神」と表記した庚申塔が中心となっていることです。今回は、前回には記録しなかった交名を中心に読みましたが、その作業の何と空しいこと。ましてその頭上には、おいしそうに熟れた柿が沢山なっているのですから、ついついそちらばかりに目がいってしまいました。
二番目は、この地区のお寺さんである天台宗円光寺へ行き、8基の庚申塔を調査しました。その中にある元文5庚申年塔の側面にある「三界万霊普□廻向」とある、□文字が読めていなかったので、手拓して永年放置していた再確認事項が解決しました。ちなみにそれは「三界万霊普皆廻向」の「皆」という文字でした。
三番目は、小来川から古峰ヶ原へと抜ける鹿沼日光線沿いにある庚申塚二箇所を、同時に再調査しました。距離にして、僅か20メートル程しか離れていない所にある庚申塚は、栃木県ではこの場所だけで、その意味では非常に珍しい場所です。片方の、宮下坪庚申塚には6基の庚申塔、そしてその隣の向原坪の庚申塚にも6基の庚申塔が並んでいます。この向原坪庚申塚には、延享四年銘の四角柱に偈頌らしきものが刻まれているので、その解読を中心にしましたが、どうにも読めずに今回も敗退です。もちろん手拓したが、私の解読学では読むことが出来ませんでした。まあ、暫く放置し時間が経てばある日突然読めるだろうと、軽く考えています。いずれにせよ、都合12基の庚申塔を再調査するのは疲れましたが、今日は秋晴れの最高の天候だけに山中での調査は気分が良くて終了後はここで昼食としました。また食後は、野鳥観察を兼ねてたっぷりと1時間ばかりのんびりした時間を過ごしました。
いよいよ午後の部、午後3時半には今日の石仏巡りは終了にしようと思っていたので余り時間が無く、予定では中小来川地区を巡る予定でしたが変更し、一気に滝ヶ原地区まで足を伸ばしました。その滝ヶ原の滝尾神社前に並ぶ8基の庚申塔も再調査してしまおうとしてのことです。現地に着けば、相変わらずの埃に汚れた碑塔となっていて、読むのも一苦労ですが、再調査ということでここは紀年銘などの再確認に終始して、あとは写真を撮っていない物の撮影で終了。この頃になると、対岸の山肌が西日を浴びて輝いていました。時間が少し余っていたので、同地にある八臂弁才天の写真を撮ったりしてのんびりし、その後は来た道を戻って今日はここまでで終了とた。
そんな次第で、今回も前回同様に調査用紙だけは42枚と多くなりましたが、この時点で目新しい碑塔には当然ながら1基も出会えませんでした。
その帰り道、西小来川のサイカチ原の下内地区で、山の中に何だか判らない石仏があるとの話しを聞いたので行ってみると、なるほど確かに地元の方でもその存在を知っている方は少ないと聞いていたが、ここ最近だれも足を踏み入れた形跡がない荒れた山の中に、不動明王が二つに折れて倒れていた。それを抱き起こしてつなぎ合わせ、綺麗に掃除してから撮影する。その脇にはこれも二つに折れている金剛界の大日如来像もあるが、それは顔部分の上部が見つからなかった。小さな氏神様の祠が近くにあるので、その関係の石仏と思われるが、その事に関してはの人は誰も知らないと言うことだった。結局、本日の新しい成果は最後になってこの2基だけだったが、新しい碑塔が加わっただけでも嬉しく思う。
小来川地区の庚申塔、今年になって実見していないのは所在地があやふやな物も含めてあと23基のみ。今年の内に全て再調査を完了させてしまいたく、次回もこの小来川地区へ行くことになるだろう。それと、出来れば愛宕山へも暫くぶりに登ろうと思っている。
最初は、南小来川地区長久保地区の庚申塚調査です。ここには合計6基の庚申塔がありあす。もちろん昭和55年庚申塔もあります。そして面白いのは、この地区では「猿田彦大神」と表記した庚申塔が中心となっていることです。今回は、前回には記録しなかった交名を中心に読みましたが、その作業の何と空しいこと。ましてその頭上には、おいしそうに熟れた柿が沢山なっているのですから、ついついそちらばかりに目がいってしまいました。
二番目は、この地区のお寺さんである天台宗円光寺へ行き、8基の庚申塔を調査しました。その中にある元文5庚申年塔の側面にある「三界万霊普□廻向」とある、□文字が読めていなかったので、手拓して永年放置していた再確認事項が解決しました。ちなみにそれは「三界万霊普皆廻向」の「皆」という文字でした。
三番目は、小来川から古峰ヶ原へと抜ける鹿沼日光線沿いにある庚申塚二箇所を、同時に再調査しました。距離にして、僅か20メートル程しか離れていない所にある庚申塚は、栃木県ではこの場所だけで、その意味では非常に珍しい場所です。片方の、宮下坪庚申塚には6基の庚申塔、そしてその隣の向原坪の庚申塚にも6基の庚申塔が並んでいます。この向原坪庚申塚には、延享四年銘の四角柱に偈頌らしきものが刻まれているので、その解読を中心にしましたが、どうにも読めずに今回も敗退です。もちろん手拓したが、私の解読学では読むことが出来ませんでした。まあ、暫く放置し時間が経てばある日突然読めるだろうと、軽く考えています。いずれにせよ、都合12基の庚申塔を再調査するのは疲れましたが、今日は秋晴れの最高の天候だけに山中での調査は気分が良くて終了後はここで昼食としました。また食後は、野鳥観察を兼ねてたっぷりと1時間ばかりのんびりした時間を過ごしました。
いよいよ午後の部、午後3時半には今日の石仏巡りは終了にしようと思っていたので余り時間が無く、予定では中小来川地区を巡る予定でしたが変更し、一気に滝ヶ原地区まで足を伸ばしました。その滝ヶ原の滝尾神社前に並ぶ8基の庚申塔も再調査してしまおうとしてのことです。現地に着けば、相変わらずの埃に汚れた碑塔となっていて、読むのも一苦労ですが、再調査ということでここは紀年銘などの再確認に終始して、あとは写真を撮っていない物の撮影で終了。この頃になると、対岸の山肌が西日を浴びて輝いていました。時間が少し余っていたので、同地にある八臂弁才天の写真を撮ったりしてのんびりし、その後は来た道を戻って今日はここまでで終了とた。
そんな次第で、今回も前回同様に調査用紙だけは42枚と多くなりましたが、この時点で目新しい碑塔には当然ながら1基も出会えませんでした。
その帰り道、西小来川のサイカチ原の下内地区で、山の中に何だか判らない石仏があるとの話しを聞いたので行ってみると、なるほど確かに地元の方でもその存在を知っている方は少ないと聞いていたが、ここ最近だれも足を踏み入れた形跡がない荒れた山の中に、不動明王が二つに折れて倒れていた。それを抱き起こしてつなぎ合わせ、綺麗に掃除してから撮影する。その脇にはこれも二つに折れている金剛界の大日如来像もあるが、それは顔部分の上部が見つからなかった。小さな氏神様の祠が近くにあるので、その関係の石仏と思われるが、その事に関してはの人は誰も知らないと言うことだった。結局、本日の新しい成果は最後になってこの2基だけだったが、新しい碑塔が加わっただけでも嬉しく思う。
小来川地区の庚申塔、今年になって実見していないのは所在地があやふやな物も含めてあと23基のみ。今年の内に全て再調査を完了させてしまいたく、次回もこの小来川地区へ行くことになるだろう。それと、出来れば愛宕山へも暫くぶりに登ろうと思っている。