くない鑑

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米沢から会津に、いざ!学舎日新館へ

2012年06月25日 | 参陣記
2年ぶりに参陣した上杉まつり。
翌日の復路は、米沢市中を巡ったあとに南進。
大峠道路を通って飯豊連峰を抜け、会津へ向かいました。

途中、熱塩温泉の足湯に浸かって癒しとまどろみの時を過ごし、喜多方の【はせ川】でラーメンに舌鼓を打って行ったので、会津には14時過ぎに着きました。

まず最初に行ったのは、会津若松の中心から少し離れたところに在る【會津藩校日新館】です。

その名のとおり、家中の子弟を教育する藩校として寛政10年に企画され、享和3年に鶴ヶ城の西隣に成って開学しました。
[5代目当主・肥後守容頌公治世期。家老・田中玄宰が企画。]

往時の日新館は、極めて無念で理不尽な会津戦争によって灰燼と化してしまいましたが、それから120余年を経た昭和末期、今の地に復元されました。
そう知ると、どうなんだろう?!
往時を無視して現代に迎合した造りになっていないか?!と疑いますが...
いざ中に入ってみると、往時からここに在ったかのような風格と趣きがあります。
雨ゆえか、それとも不便ゆえか(苦笑)
人が疎らだったことも幸いして、とても落ち着きのある雰囲気でした。


入館してすぐ見えるのは「戟門」。時を知らせる太鼓がありました。
順路はこの左手、映写室から始まり、まずは日新館の概要などを見ることになります。
けど、ちょっと見て次へ(^^ゞ
戟門の右側に在る東塾から始まります。
中はいくつかの部屋に仕切られていて、素読、講釈の授業が行われていました。

日新館は、会津戦争の悲劇の象徴として取り上げられる白虎隊の士達が(ちょうど)学んでいたこともあって、それぞれの部屋に、隊士たちを模した人形と解説がありました。

ここでは学問だけではなく、武術の鍛錬もできます。
これはその一つ、泳ぎの鍛錬も為されていました。

権現様も、逃げる時は己の力で為さねば成らぬ!と、子達に水練を学ばせたと・・・聞きます。

ここは大成殿。

この大成殿は、儒学の祖である孔子を祀っています。

日新館の中核的建物であり、入って正面、戟門の向こう側に威風堂々と建っています。

大成殿より戟門を望む。

ここでは弓道体験が200円で出来ます。

憧れの弓道を初体験し、指南役には「筋がいい」と誉められておまけに射させてもらえましたが、中々どうして、真ん中は射ぬけませんでした(汗)


日新館の一画に設けられている天文台より。
入った時は気が付きませんでしたが、瓦の色が、噂に聞く、鶴ヶ城と同じ赤でした。
不思議と背筋が伸び、凛とした雰囲気、印象を感じました。
復元された日新館は、会津盆地の北側,河東の高台に建っているので、ご城下が一望できます。

大気が雨で洗われて、くっきりと見合わせたました。
ただ、、、
先に述べましたが、雨天の為か郊外だからか、訪れている人は疎らでした。
駐車場も広々としていて結構な容量がありますが、疎ら。
震災の影響か、はたまは原発事故の余波なのか、実に、実に勿体ないです。
はせ川の賑わいを見た後なので、余計に感じました。


このあとの予定もあって少々駆け足で見て回り、次、会津武家屋敷へ向かいました。

▼ いざ、喜多方の【はせ川】へ ▼会津の武家屋敷へ、いざ! ▲


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