くない鑑

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歴博企画展「西のみやこ 東のみやこ」へいざ!(下-2)

2007年05月06日 | 知識補給
国立歴史民俗博物館で5月6日(日)まで開かれていた企画展「西のみやこ 東のみやこ
この第2部(第二展示室)は「大江戸名所案内」
その目玉は、色彩鮮やかで絢爛豪華!な「江戸図屏風」です。
これは寛永17年,世に知恵伊豆として名高い大河内流松平伊豆守信綱が、主君たる3代将軍家光公の為に制作させたものとか。
その保存状態は極めて良好で、ギャラリートークにて展示解説を務められた久留島浩歴博教授曰く...
「これは、家光公が伊豆守信綱邸へ御成の時に、お持て成しの一つとして披露された・・・のでは?!」とのこと。
現に・・・この屏風には、実に20余箇所で家光公が登場,その内18箇所余で東照宮に参詣しているそうで、如何に家康公を崇敬していたかが伺えます。
また、屏風と言えば・・・先に上げた通り,行列がキーポイントなりますが、ここでも勿論,2種類のが描かれています。
まず一つが山王祭の祭礼,そしてもう一つが朝鮮通信使が江戸城へ入る場面です。
この場面からは、江戸の賑わいと繁栄は元より,幕府の御威光が、国内のみならず海外にまで及んでいることを表している・・・と、言う事を描いています。
この他にも、日本橋や上野,浅草や愛宕等々・・・活気溢れる江戸の様子が、見事に美しく,活き活きと描かれています。
今の東京とオーバーラップさせながら観るのもまた、面白かったです(笑)
勿論?!江戸と言えば・・・“富士山”もしっかりと描かれています。

ただ一方で...
少々きな臭い場面も描かれています。それは...
左雙第一扇上に描かれている駿河大納言徳川忠長邸と、その左斜め上に在る邸の様子。
前者の邸門は、他家とは異なり囲いがされていて、邸内の障子なども固く閉ざされている様子で、そうした只ならぬ気配を感じた人々が集まっています。
この後,周知の通りに大納言忠長卿は改易され、翌年,蟄居先の高崎城内にて自刃(寛永10年)しますが、後者,2丁の駕籠が有る邸では、この処分に関する内談が為されていた?!と、久留島先生は解説します。
その,御三家邸と軒を連ねる邸の主を久留島先生は「春日局」と推察されています。

ちなみに...
研究者諸士の間では、誰がこの制作を命じたのかが不明確だったそうです。
その謎を解く鍵に成ったのは、金雲(の随所)に施されていた蝶の紋。
これには2種類,丸に蝶が1羽と2羽とがあり、これがより、悩むところだったそうですが、見方を少し変えて,1(羽)と2(羽)を足してみて...!!
3連蝶の家紋を有す大河内松平家の伊豆守信綱を割り出した・・・と、いうことのようです。
それともう一つ,
近年この補修作業が為されたそうで、これによって、制作当時の史料(紙背文書)が出てくることを期待したそうですが、出てきたのは大正時代に修復したという証くらいだった・・・そうです。

この他にも,この第2部には見所満載!
特に、近世史を中心に学んでいた私にとっては垂涎の史料ばかり。
「江戸図屏風」の次に目を見張ったのは、弘化4年に制作された「江戸城途上図屏風」。
これはその題の通り,大手門前での光景が描かれており、大名行列や登城時の成り,大名が登城して城内にいる間の供揃えの有り様などが描かれていて、これらを当て込んだ出店(屋台)が出ていたり、博打に興じる者・・・などなど、その当時を様子を垣間見ることの出来る、実に興味深い屏風でした。
ただ、屏風中には参勤年次の違う大名間が描かれている・・・そうです。
また、これに関連してあったのが、江戸詰めの大名家士が遺した日記などの史料。
その主は、奥州は八戸南部家で御納戸役を勤めた遠山屯(たむろ:150石取,1861年没)
それには、例えば勤務,早出(8-14)⇒休息⇒泊(18-8)⇒休息⇒跡(14-18)⇒非番・・・という、今で言うならシフト制だったようです。
その内,屋敷から出掛けることは余り無かったようで、私事での外出で一日可なのは月3日(夏は5日),洗湯出は2~4日以内と厳しく制限されていたようです。
ただ、出掛けるにあたっては、国元から受けた日用品の買出しや、近隣での御開帳を観に詣でたり、物見遊山をしたりする・・・こともあったようです。
そういえば,以前読んだ氏家幹人著『江戸藩邸物語』(中公新書)でも、同じような事が書かれていた・・・と、記憶しています。

お江戸は幕府開闢以来,“武家のみやこ”として発展してきたので、上記,大名行列や各家の武家屋敷なども“名所”だったようです。
そうした、御府内の様子を“泥絵”という技法で描かれた史料が幾点か展示されていました。
それらは、先の江戸図屏風の“価値”に比べれば、出来具合も然程・・・なので、何十分の1か何百分の1程度のものらしいのですが、歴史的価値は(歴博的には)ある!見込んで、積極的に収集し所蔵しているそうです。

また、江戸時代は町人が“文化”の担い手となった時代でもあり、それを描いた浮世絵や歌舞伎の様子,世に名高き料亭「八百善」の紹介なども合わせて展示されており、こうしたところからも、江戸が如何に繁栄し、活況に呈していたかを垣間見ました。

第三部「三つの港町-長崎・堺・横浜-」と第四部「描かれたみやこで遊ぼう」はこのあと(下-3)にて。

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