くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

Let's 「江」 to 江戸博特別展

2011年03月01日 | 知識補給
巷で散々こき下ろされている今年の大河
のだめ”と遜色ない上野樹里の演技が、火に油を注いでいる感じ。
のだめからの脱却などを目論んだ・・・のかもしれませんが、それが返って逆効果に...。
女優としての株価値が大暴落の様相です(汗)

先日は、読売朝刊の中面にある“モニター”という記事で(読売編集委員に)“ご都合主義に違和感”とバッサリ。ザンネン!!
演出と脚本(家)の“所業”が列挙されていました(苦笑)
そして、この記事が載った日の大河を、たまたま家に居たのでリアルタイムで見たんですが...
この日の中心は、かの有名な清州会議でしたが、ここでもた~っくさん、余すところなく“ご都合主義”が発揮されていました。

まぁ、清州城内で羽柴一家と会う・・・までは良しとしましょう。
この他にも、ツッコミどころは多々ありましたが、まぁ、良しとしましょう。
しかし、清州会議を襖越しに(傍耳立てて)聞いていたのは・・・噴飯特盛級です。
記事を借りて言えば、どう考えてもあり得ない絵空事です。
ここまでするなら、番組の最後に“この物語はフィクションです。”と付けてほしいです。
尤も...
今回の脚本家が以前に担当した「篤姫」でもそうでしたが、ウラのビフォーアフターの「何ということでしょう...」が聞こえてくるくらい、閉口する場面が多々。
この時でもう、十二分に辟易としましたが、やはり今回も...。
脚本家が発表となった時に抱いた疑念と憂いがそのまま、面白いように出てきてます。

・・・ええ、何にもうれしくないです

本能寺の変当時10歳だったお江与を、法的な成人である上野樹里が演じることが、既に(あるニュースを借りて言えば)“ファンタジーの世界”です。

ただ、唯一の救いは脇役陣が重厚なこと。
・・・いや、確かに、権現様が信長の直臣が如き扱いを受けていたのには大いに不満!でしたが、何年か前に直江山城を主軸に取り上げたナントカという、稀に見る最ッ低な大河よりは、まだ救いな気が・・・とりあえずします。

そんな哀れな評価の尽きない今年の大河と連動して、江戸東京博物館では真面目に(笑)
「江~姫たちの戦国~」という、大河のタイトルそのまんまの特別展が開かれていたので見てきました。

いま、何かと話題な相撲のお膝元である両国。
駅と江戸博とを結ぶ通路の壁向こうが“国技館”ですが、とっても静かでした(苦笑)

常設展は、非常時には飛んでいく・・・とか言う都市伝説のある吹き抜けの上ですが、特別展示室があるのは吹き抜けの下の土台部分(笑)
自動改札擬きのカウンターで係員さんにチケットを呈示して、いざ展内へ!

さすがは戦国展・・・結構な人出で(^^ゞ
特に入り口付近は混み合うのが常で・・・趣旨説明などはパパッと読んで先へ先へ。

今回は、高校で英語を教えている大学以来の友達と見てきました。
高校教師
いい響きです・・・と、いうのは置いておいて(マテ)
さすがは本職。
流暢な英語と的確な英訳と解説は秀逸でした。
以前から、キャプションの英訳にも注目していたのと、いま、職場のネイティブから英語を徐々に徐々に教わっている最中なのでとてもいい勉強にもなり、いつもの3倍以上楽しめました。
しかし、我々共通の本業であった史学面,特に古文書は・・・よ、読めません(爆)。
この特別展では、数多くの文書類が展示されていましたが、中でも多かったのがかなの文書。
コンセプトが“姫たちの戦国”とあって、女性宛や女性同士の消息文書がありましたが、もう、とにかく読めません。
友達と一緒に、大学では中近世の文書類を取り扱った授業(古文書講読)を受けましたが・・・もう、読めぬモノは読めないのです。
勿論、史学出の人間として読み解く努力は十二分にしましたが・・・結局は、訳文のお世話になりました(^^ゞ
これなんだっけ?!っていうくずし字も中にはありましたが、かな文書・・・難しいです。
授業でも、いつも戦国史や古文書の研究会連中に後れを取っていましたから・・・仕方ありません(マテ)

文書類では、この他に多かったのが竹生島を巡るモノ。
浅井家は、琵琶湖に浮かぶこの島を篤く庇護していたので、浅井家は勿論、その没後に入った信長や秀吉の文書も多くありました。
しかし、裏を返せばこれほど多くの文書類があるということは、如何に強い権力、武力を擁していても、寺社の力は無視出来ず、侮りがたい存在であったか・・・ということかと思います。

今回の特別展は、戦国時代を取り上げてはいますが、甲冑などの武具類は少なく、その分、文書類や什器が多くありました。
文書類・・・に関連付けていえば、絵や肖像画もまた、今回結構多く展示されていました。
信長や秀吉、家康公、秀忠公、家光公は勿論ですが、教科書などでは見たことのある浅井長政、朝倉義景、お江与の方、春日局に、滅多に見られないであろう柴田勝家や京極高次まで。
肖像画好きには溜まりませんでした。
それと、歴博が有する重文の「江戸図屏風」も今回展示されていましたが・・・これは、何度見ても素晴らしいです。
方や同じ絵画でも、とても印象的だったのが一点。
史料名は確か・・・「瑞泉寺縁起絵巻」なる、木屋町通三条(中京区)の慈舟山瑞泉寺に伝わる絵巻物。
そこに描かれていたのは、関白秀次の縁者である女子供が処刑されている“現場”。
首一つとなった関白秀次の前で次々と執行される無情な処罰に、居合わせた執行役人ですら涙を流しているのが描かれていました。
これは、今まで見た絵や巻物の中で、一番ショッキングで、また、強烈な印象を残しました。
この事件の特異性と、残忍さ、無情さが感じられる絵巻物です。
ちなみに、この絵巻物が伝わっている瑞泉寺は、非業の死を遂げた関白秀次一族を弔うために、江戸初期に京商人の角倉了以が建立したお寺です。

また、戦国と言えば“城”ですが、これに関する展示史料として...
安土大坂伏見、北ノ庄などの城址から出土した瓦や什器、または城下町などの絵図面がありました。
・・・が、この類で一番関心を寄せたのは浅井家の拠点であった小谷城の絵図面。
いまだ現地に行ったことがないのが残念ですが、織田と浅井の攻防戦を、この絵図面から暫し想像することができました(笑)

この他にも、数多の史料が展示されていて、非常に見応えのあった特別展でした。
その中で、今回2つ、初めて知ったことが。
その1つ目は...
お江与の方の初婚の相手、佐治一成の出自。
織田一門だということを、今回初めて知りました。
正直、どこの馬の骨だか全く知りませんでしたが、まさか、母親が信長の妹の犬(佐治信方→細川昭元)で、お江与の方とはいとこ同士だったとは。。。
これが一番最初に紹介されていて、初手から面喰いました。
また、これは特別展中盤だったんですが、若狭美浜の龍澤寺に眠る「くす」という女性に関する展示(史料)が複数ありました・・・が、この「くす」なる女性、秀吉側室の松の丸殿の乳母であり、実は、浅井長政の妾腹の“娘”らしいんです。
そして、この「くす」が「そうしんさま」なる人物に手紙を送っているんですが、その人物は女性で、どうやら母、即ち浅井長政の側室?!らしいそうです。

お江与や市、初に淀などは、時の権力者、有力者と縁を結んだからこそ今にも知られていますが、「くす」と「そうしん」の様な女性は、とてもたくさんいるような気が・・・します。

今年の大河、もう、食傷気味・・・ですが(笑)
大河で注目されると、いろいろな“発見”があります。
この特別展の最後、正に“メイン”としてあったのが、つい先日話題となった目黒の明顕山祐天寺に有る崇源院宮殿(―くでん)。
お江与を祀る厨子が、非業の最期を遂げた駿河大納言忠長卿が、領地の駿府に建てた母の霊屋に納めたものだと判ったとか。
新聞でこの経緯を知っていたので、その感慨も一入でしたが、実に立派で綺麗でした。
多少デフォルメありますが、忠長卿の、実母への一途な思いの深さを感じられた・・・気がします。

この特別展は、この後福井と長浜の博物館でも開かれるとか。
お近くの方は、是非是非。
先に挙げたナントカっていう大河と連動してミッドタウンサントリー美術館で開かれた特別展同様、とても真面目で見応えのある内容ですから。

ちなみに...
この後、遅い昼餉を取るために東京駅に移動して、エキナカの【利休】で牛タンを堪能しました。
久しぶりの牛タン定食、美味かった。。。
そして、ビールによく合う!
もう、サイッコーです!!(笑)


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