くない鑑

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歴博企画展「西のみやこ 東のみやこ」へいざ!(下-1)

2007年05月05日 | 知識補給
総州佐倉城址に建つ歴史民俗博物館
ここで5月6日(日)まで開催されている表題の企画展,
西のみやこ 東のみやこ-描かれた中・近世都市-」を、これから2週間前程前の土曜日に観てきました。
ちなみに...
歴博では(大体)企画展期間中の土曜日,その手の専門家による展示解説が行われますが、その日に行ったのはこれ,尚且つ、予々存じ上げていた日本近世史(地域社会)が専門の久留島浩歴博教授されるので行ってきました。

歴博には10時前に着き、まず、予習も兼ねて一頻り観てから11時からのギャラリートークに帯同しました。

企画展示室の最初,プロローグは「京図・所領図・名所図」
これらの多くは、権力や支配の象徴として作成されたとか。
ゆえに、実証性が必要で、所領図には街道や宿場(塔中)などが細かく記されています。
展示史料の一つ,「相模国浄光明寺境内絵図」には、赤線で囲まれた寺領域と、それを安堵する証としての花押が(朱線の上)随所に記されています。
ちなみに...
絵図が作成されたのは鎌倉幕府と北條家が滅亡した後,バックボーンを失った浄光明寺が次に庇護を求めたのが鎌倉府執権の足利直義(左馬頭)。
但し、花王の主はその従兄弟で関東廂番として鎌倉に居た上杉重能(直義派)だそうです。



さて次,プロローグに続いてあるのが第1部「洛中洛外図屏風とその周辺」へ...
・・・と行く前に,まずここで簡単に屏風の解説(見方)をば・・・

屏風は6面1組(六曲一雙)から成り、(1)面を“扇(せん)”と言い、右から左に第一扇から六扇へと構成されています。
そして、この屏風にとって欠かせないものが“2つ”あります。
まずは、その一つ目が・・・“金雲”です。
これを描くことによって“異時同図”即ち,六曲一雙の屏風の中で、正月から大晦日までの歳時を、時間と空間を飛んで書き描くことが可能になる・・・と、いうことなのです。
(私も)前々から「これは一体何なんだろう?!」と思っていたのですが、この日,漸くその疑問が解け、正に目から鱗の気分でした。
そしてもう一つが・・・行列です。
これは、描かれた街の賑わいや繁栄を表しているそうです。

ここで話を「洛中洛外図屏風」に戻して,こうした視点で見てみると、面白さも倍増します。
例えば...
歳時で観ると、京都の代表的な疫病除けの祭「祇園祭」が描かれている一方で、正月の風物詩・左義長が描かれていたりします。
行列面では、祇園祭はここでも“町衆”の代表であり、方や為政者側では、天皇の二条城行幸が描かれており、そのことによって“権力”を表すことが出来る・・・と、いう構図のようです。

さて,この「洛中洛外図屏風」に関してもう一つ。
この屏風,左右二雙で完全版なのですが、それぞれ描かれている世界がすみ分けされており、左雙には武家,右雙には公家の世界を中心に構成されています。
これらは、解説を聞いて初めて知りました(^^ゞ...

なお、この第1部にはこの他にも―――
江戸末期に作られた「京都名所図屏風」は、名所以外の殆どは眩い金雲に覆われています。
まぁ、これはこれである意味見事!でした。
そして、私的に目を見張ったのが「修学院御行御道筋図巻」。
これは文政7年,幕府(徳川家斉)によって修復された修学院離宮へ光格天皇が御幸された際の“道筋”描いたもの・・・ですが、まず,天皇が御所を出て御幸したことにまずびっくり!
ただ昨秋,新史料から江戸期の朝廷の実像が明らかに!・・・については、また後日。
続いて、御幸される道に“白砂”が敷かれていることにびっくり!!しました。
実は昔,高貴な御方が通る際には白砂を敷いたそうで、まき砂,もり砂ともいうとか。
初めて知りました!(爆)
なお、道に敷かれる白砂は鴨川から採って来たそうです。
また、この絵図には人が一切描かれていない(そう)ですが、その代わり,白砂のこと含めて“警備”の様子も細かく書かれていて、篝火や(高)堤燈の位置までが朱丸などで指示されていました。

第二部「大江戸名所案内」以降は(下-2)へ・・・>>>>>>> 続く >>>>>>>・・・


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