くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

独りの差

2012年10月14日 | くない観
今月末から来月初めにかけて、ちょっとした年休があります。
この時を利用して、折よく開かれる京都御所一般公開目当てに例年上洛しています。
ただ、一昨年は私的と仕事で3か月の間に2度上洛したので、昨年は、単独では未踏の北陸道を攻めました。
そして、今年は最初東北、特に白河二本松会津若松の3か所で来年の大河とタイアップした戊辰戦争の企画展が開催されていたので興味があったんですが、、、
京都御所の開放と非公開文化財の特別公開に合わせて上洛することにしました。
進路を京都に決めたのは9月の初め頃で、積極的な情報収集は年休の概要が判ったその月の末。
複数の旅行会社のパンフから検討し、予算を勘案しながら大まかな旅程(プラン)を決めて手配しました。
しかし、さすがは秋の京都。
第一候補の宿は満室で、やむなく第二候補の宿で。
当初の見込と見積の額より高くなってしまったのが痛恨ですが、、、
手配は完了したので、上洛するその時まで、モチベーション高く仕事に、そして日々過ごせます(笑)

ただ、、、
やっぱり気になるのは今回の旅費。
2泊3日で(基本)総額4万3千円程度になりました(--ゞ

高いです。
正直高いです。

駅前のホテルで食事なし、往復の交通費(新幹線)込でこの金額です。
食事は別段なしでもかまわないのですが、無念なのは新幹線(代)。
東京発は、パック指定の1番列車を選択したんですが、残念ながら満席。
次の列車(同じく6時代)だと少々遅くなるので、空席の有った品川発の1番列車で行くことにしました。
寝坊は許されません、、、。
そして復路。
パックの指定時間内なら追加料金は掛からないんですが、、、
生憎、復路の金曜日は追加料金が必要で、[ のぞみ ]が3,200円もします
これはちょっと・・・と思い、逆にマイナスされる[ こだま ]の最終を選択するも・・・なんと満席!
その前のはどうか?!と調べてもらったら・・・これも満席で、やむなく、[ のぞみ ]より1,000円だけ安い[ ひかり ]で帰ることにしました。
両号([ こだま ])とも新大阪発ですが、みなさん、例え時間が掛かっても(京都→東京は4時間)構わない・・・ということでしょう。
乗ることになった[ ひかり ]も、多分、浜松と静岡で[ のぞみ ]に先を譲るようですが、差は20分。
大したことはありません。早ければいい・・・ってもんでも、ないかと思います。。。

昨年は、先にも触れました北陸道を、今回と同じ2泊3日で攻めました。
この時は、前々から目を付けていたJR東日本発行の“北陸フリーきっぷ”を最大限利用。
宿は金沢にして楽天で手配して、基本総額は3万5千円程度でした。
金額に差が有るのは一目瞭然なんですが、それよりもなおすごいのが“北陸フリーきっぷ”。
往復の上越新幹線は勿論、富山の黒部駅から福井駅までの区間内は特急の自由席が乗降自由!
しかも、“普通車”と“グリーン車”(どちらも往復のみ)2つのタイプがあるんですが、この差額はたった3千円!!(普21,500/グ24,100)
勿論私は“グリーン車”で、往路は上越新幹線と[特急|北越]で、復路は[特急|はくたか]と上越新幹線でグリーン車を体感しました。

方や京都。
往復切符は確かにありました。
往復新幹線新幹線とバスのセットなど。
けど、これほどまでお得な切符は・・・見当たらず。
金沢の時は駅直ぐ近くのホテルにしましたが、京都でそれを探すと中々どうして、結構します。
いいお値段します。
ゆえに、パックの中から選択せざるを得ないのです(--ゞ

しかも、独りのプランが極めて少ない。
私みたいに(一応)きままに出掛けるにも、これが無いのでいつも苦労します。
いつもいつも思います。
先に島根に行った時にも思いました。
観光を興したいのなら、もっともっと柔軟なプランが溢れていてもいいのでは・・・と。
独りで旅に出たい人、世の中にきっとたくさんおられると思いますから(TT)

今回の京都の金額だったら、きっと国外にふらっと行けますよ・・・ね。
さすがに独りで国外に行きたいとは思いませんが(^^ゞ

ちなみに。
3年前に上洛した時も2泊3日でして、その時は、大改修に入る前の姫路城に行き、大阪市内(通天閣下)にも初めて行きました。
今回は、進路を東に。
JR西日本が発行するフリー切符を利用して、未踏の城を次々と攻めてみたいと思っています。

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お人がいいことで、、、。

2012年09月30日 | くない観
沖縄から攻め上がってきた台風17号。
昼過ぎまではなんてことなかったのに、夕方前から俄かに雲行きが。
そして、陽が暮れる頃から、遂に雨が降り出しました。
けど、それもあっという間。
一時は、強風に煽られた雨が、まるでオーロラかカーテンの様に降ってきましたが、21時過ぎにはほど止んでいて、時折、速い流れの雲の隙間から、中秋の名月を拝むこともできました。
方や地上では、、、
この間の民主党代表選後の内閣改造が話題で。
文科相には田中真紀子氏の起用で人気取りを狙う!とかとらないとか。
そんなことだからか、野田さんの支持率はちょっと上がっているようですね。
一方、同じ時期に代表(総裁)が変わった自民党。
下馬評では石原さんが就任していましたが、蓋を開けてみたら、あらびっくり!
何もかも投げ出してトンズラしやがったあべしんぞーちゃんが決選投票の結果就いちゃいましたね。
石破さんは、目つきこそ非常に悪いですが、まぁまぁ、言ってることはよかったです。
何より、過去の自民党の諸行を悔い改める気概があったようなので。
だから、地方の人々は選択したのでは・・・と、忖度します。
が、結果はトンズラ元総理。
世間一般受けはいいようで、自民党の支持率は10%も上がっているとか。

もう、夢見てるみたいです、悪い意味で。

口先だけのリーダーなんて、誰も望んでいませんよ。
民主党批難する前に、トンズラしやがった自分の諸行を猛省してもらいたいです。

よく、病だったから仕方がない・・・って聞きますけど、体調不良は8月からだったとか。
なら、その時に決断すればよかったんです。
これ、再三書いてますが
内閣を改造し、所信表明を国会で述べて、国家国民に対してやる気を見せておきながら辞める、このタイミングが許せないんです。
ギリギリまで考えたとか何とか言ってますが、要は、決断力がないんですね、きっと。

今度の衆院選で、自民復権の見方が強いですが、そうなると、いまの総裁が総理に成る・・・ってことは、全く以て恐ろしく嘆かわしい・・・と、思う今日この頃です。


※これは鑑主の私論です。悪しからず<m(_ _)m>

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感情の心源知

2012年03月13日 | くない観
以前にも同じ、もしくは似たタイトルで日記を上げた記憶が、微かにありますが...
ここ最近、どうにも勘弁ならぬことが続いてます(^^ゞ
ただ、職場でのことはグッと飲み込みました。
ただ、消化出来なかった部分は形を変えて、管理職に向かって吐き出してみましたが(笑)
(その後に面談があり、その日の夕方から一つ変化がありました。)
けど、当事者(着火人)は、そんなことなど露程も感じていないでしょうね(苦笑)
私は、(時と場合によりますが)怒りほど無駄で無益で無意味なモノはないと思っています。
ましてや、言い争い等は論外。
この間も、ただ一方的に言うのを聞いていただけで、反論は一切しませんでした。
しようとすれば、勿論出来ました。
けど、ここでムキになり、剥き出しの怒気を顕しても、空しく不毛に終わるのは必定。
ならば、無抵抗主義を貫いた方が得策と判断して、黙して一切語らず。
100歩以上譲って、引き下がりました。
内心、忸怩たる思い、無念たる思いは勿論あります。
けど、後先の事を最優先に考え、所詮はこの程度の人物・・・と、心中蔑んで、溜飲を下げています。

一方でまた、人から見れば大変些細なことなんでしょうが、どうにも堪忍ならぬことが1つありました。
これは、身内で起きたことだからか、沸き上がる怒りは若干吹きこぼれ気味。
多少モノにあたって怒気を吹き出しました。
けど、中々どうして怒気は容易に収まらず。
最後に、まだ入っていなかった風呂に入って、収まるように試みました。
そこでは湯舟に浸かり、目をつぶって入ってくる情報量を制限してみると...
心奥から、何かが沸き上がっている「ような」感覚がありました。
最初ははっきりとあったそれも次第に収まり、いつしか消えていました。
合わせて、怒気もすっかり収まっていました。

それが何なのか。
なんだったのか。
自分のことなのによく解らないないですが、少しだけ、心源知に近づいたのかも・・・しれません。
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イチネン

2012年03月11日 | くない観
あの日、空は一面雲に覆われていました。
薄日も射さず、風の冷たい日でした。

あれから1年。
地震が起きた時と同じ、金曜日。
関東は、あの時と同じく、一面雲に覆われていて、冷たい雨が降り続いていました。
そして11日も、あの時と似て、空には多くの雲が浮かんでいました。
薄日が僅かに射す、肌寒い1日でした。

あの時私は、職場の一室で研修中でした。
次第に強まる地震に、比較的私は冷静でした。
どうせ、直ぐに収まるだろう・・・と。
しかし、その後の混乱と現実は、今もなお、はっきりと記憶しています。
それこそ、昨日のことのようにはっきりと、、、。
これを記している時分のちょうど1年前は、帰路が断たれて職場に居残った人々と、断続的に続く余震と、刻々と入る信じ難い情報に、ただただ茫然としていました。

そして、、、
今年の3月11日14時46分頃、私は北隣の街のショッピングモールにいました。
館内には、アナウンスで黙とうの呼び掛けがありました。
ちょっと、段取りがイマイチだったのは残念でしたが、歩きを止めて、暫し黙とうを奉げました。
そこに様々な思いを込め、奉げました。

黙とうを捧げたのは、勿論、私のみならず。
周りでも、多くの人が黙とうを捧げていました。

職場は、震災後に様々な被災地域支援を行っています。
私も、僅かならそれに助力しています。
東北は、私的にも思入れの強い地域。
元の通りではなく、元以上の復活復興を遂げられることを、強く、強く願います。

しかし、その障害として立ちはだかっているのが、がれきだと聞きました。
その処分を巡って、他の地域で反対運動が起こっているようです。
特に今アツイのが神奈川の横須賀。
「県内の産廃以外は持ち込まない」条件で作られた産廃処分場に、宮城の震災がれきを持ち込むことに対して反対しているようです。
原則は尤もですが、ここは・・・・・・はと、私的には思います。
我が街にそれが来ることになれば、どうするか?!
私は勿論、賛成したいと思います。
ただ、前々から思っているのですが、あれを、土地の嵩上げや防潮築堤の資材として使えないのか・・・な?!ということ。
あのがれきの定義上、いろいろな法的な拘束がある・・・とも聞きましたが、少々安直かもしれませんが、そうすれば、有効活用になる・・・と思うのは、私だけなのでしょうか。。。

ところで。
職場には先日、所管官庁から弔旗と黙とうの協力要請(通達)がありました。
そこには、以下の様な文章が付けられていました。
---------------
弔旗掲揚については、「大喪中ノ国旗掲揚ノ件」(大正元年7月30日閣令第1号)に準拠し、竿球は黒布をもって覆い、旗竿の上部は黒布を付することとする、が、弔旗として半旗掲揚の慣行のあるところでは、それに従ってもよい。
---------------
これは、明治天皇の崩御を受けて発令されたものですが、半旗以外に、こうした作法があったことは、正直、知りませんでした。
ゆえに、その一文を記録してここに掲載しました。
しかも、ちょうど今から100年も前に発令された閣令(現在の内閣府令に相当)が、今もなお、政府通達に引用されていることに、驚きました。
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ジャストミーーート!

2012年02月09日 | くない観
最新に言っておきます。
「申し訳ございません!」と。

昨日の仕事帰りの電車内で。
ワインレッドの(フレーム)メガネを掛けた二十歳過ぎくらいの女性が、熱心に紙ファイルの資料を読んでいました。

けど、そのメガネは顔より少し、ホンの少し大きく見えました。

・・・うん、それダメです。
ホント、ダメです!

何がって?!
理由は上手く説明できませんが(^^ゞ
理屈抜きに、琴線に触れるからです。

けど、掛けているだけなら、ただ単に萌えるだけ。
まだ、まだまだ普通。
穏やかに、心潤し癒す程度です。
・・・が、暫くすると、メガネが鼻頭までずり落ちてくるんです!

ここでまず、萌えが燻り始めます。

そしてこの後、メガネを中指(支点)で直す時の仕草がまた!
ええ、危険です。
極めて危険です!!
これ、かなり萌え上がりました!!

私も愛用者ですが、メガネはいいです
実にいいです!
とてもいいです!!
ビバ!メガネ!!

失礼いたしましたm(_ _;)m
少々取り乱してしまいました。
35直前の、真冬の空気くらいに心がカラッカラな男子の戯言です。
どうか、ご寛恕の程を(苦笑)
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辛卯の今年

2011年12月31日 | くない観
最早最後の日。
締め括りの時が来ました。
思い起こせば、今年は災厄の年でした。。。
大震災然り、、、
自分が生きている間に、あれほどの大災害に遭遇するとは、全く、想像すらしていませんでした。
縁に纏わることも然り、、、
出会いがあれば別れあり。
去る命あれば、生まれる命あり。
いろいろ、考えさせられる1年でした。
また、仕事面でも。
大震災の影響然り。
立場的なモノ然り。
種々の担当業務も2年目に入り、それなりにテキパキと熟せる様になりました。
担当業務で一番の懸案事項であった所管省庁への申請関係も、紆余曲折、叱咤激励の数々を乗り越えて、多少無理矢理なところもありまたが(^^ゞ
無事遂げられました。
あとは、、、
今年含めて、ここ数年で失ったモノがいくつかあります。
それを、まずは己を来し方を見つめ直して、、、
新たな年には回復させたり、整理させたりしたと思います。
3度目の年男を迎える再来年の前に、これを成し遂げたいと思います。

ではでは。
よいお年をm(_ _)m
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あっち、こっち、そっち・・・どっち?!

2011年09月11日 | くない観
「こっち」になりました。
・・・何がって?!それは、とある町の“選択”の結果なんですが。。。
それを知ったのは、この間のお盆の時。
そこには、母方の親戚が住んでいて、多くの世間様と同じく、お盆休みを利用して行ってきた時のことです。
いつもの通り、車で町に入ったら...

少なくとも2つの主張の看板が、正に林立していました。
それも、仮に2つの主張をAとBとすると、Aの看板が、またはBの看板が1本でも刺さっていると、それを打ち消すが如くその周りに、違う主張の看板が刺さる有様。

また、親戚宅もそうでしたが、刺さっている看板がAかBかで、その地の主がどちら側かが、容易に察せられたのが、余所者だから言えますが、面白かったです。


しかし、この事態は、冷静に考えれば、尋常ではありません。
そもそも、これはなんなのかというと...
関東平野の北端。栃木県の南部、下都賀郡に「岩舟」という町があります。
人口は2万前後。
基幹産業は農業、特にブドウなどの果樹やコメを多く生産している、長閑な田舎町です。

天台宗を興隆させた慈覚大師円仁生誕地や小野小町の墓、霊場として、日本三大地蔵として、知る人ぞ知る岩船山(高勝寺)の在る場所・・・としても、まぁ、有名です。


そんな岩舟も、国が主導していた、いわゆる“平成の大合併”の波に乗って、近隣の大平町藤岡町合併協議を行っていました。
そして、万葉集にも詠われたこの地のシンボル的な存在である“三毳山”より採って“みかも市”と、新市名まで決まっていました。
この他、新市の合併後のグランドビジョンなども決まっていながら、新市本庁舎を巡る三町の意見の対立から、この合併話は頓挫。
遂には、合併解消にまで発展するという、俄かには信じられない事態となっていました。

その後、北隣の大平と南隣の藤岡は、栃木市合併協議を重ねて、昨年度、合併してしまいました。
そして、岩舟なんですが、栃木市や東隣の小山市との合併も模索されましたが、経済的に結びつきが強い西隣の佐野市との合併が選択され、協議が重ねられていました。
けど、順風満帆とはいかず、出ては消え、消えては出ての繰り返し。
この途中、自主自立も主張されましたが、それは敢え無く消えてしまいましたが、、、
何とか、佐野市との合併で、県にもその方針が報告されていたようです。
けど、、、
何時しか、栃木市との合併を主張する一派が登場し、遂には、合併の方針を問う住民投票が行われて、栃木市との合併協議会が設立されるまでに至ります。

そもそも、この岩舟は複雑な町でして。。。
厄除け大師ラーメンで有名な佐野市は、行政区分では安蘇郡市。
方や岩舟は、栃木市を中心とする下都賀郡市。
ゆえに、の出先機関の管轄域は栃木(市)で、広域行政組織もここに属します。
学区も、佐野側(安足学区)ではなく、下都賀です。
けど、町民の仕事場は、佐野市に多くあります。
消防組織も、佐野市(と合併した旧田沼、葛生両町)とともに佐野地区広域消防組合に属し、町役場の敷地の一画に分署があります。
・・・が、警察は、栃木市に本署がる栃木警察署管内です。
一方、郵便局は、小山支店に属します。

全く、いろいろ入り組んでて、複雑怪奇です(^^ゞ

これなら、いままでどおり自主自立・・・と、主張したくなるのも判ります。
現に、町役場の敷地の一部に町立の保育園を建設中でしたから。

およそ、これから合併してなくなってしまう町のすることではない気が・・・します。

しかし、事実上、町は二派に分裂状態。
この、亀裂に終止符を打つべく実施されたのが、、、
佐野市か、栃木市か、はたまた自主自立か・・・を決する住民投票です。
実施は、8月28日。
親戚宅へ行った2週間後に実施されましたが、勿論、看板だけの訴えでは収まらず、ビラやチラシに街宣活動まで、特に栃木市派の攻勢はすごいものでした。
この拠点は、JR岩舟駅近くにありましたが、敷地内には筵に主張を書いたモノを掲げていましたが、何だか、農民一揆的な感じが・・・しました(^^ゞ
けど、その運動の甲斐あってか、住民投票の結果、岩舟は「栃木市との合併」に方針が決したようです。

よもや、ここまで来てこの話まで頓挫する・・・と言うことはないとは思いますが、慣れ親しんだ町の名前が消えてしますことが決まったというのは、やはり寂しいものです。

我が街も、東隣の町と合併する話が以前ありましたが、いつしか頓挫。
南隣の市も、100万人の人口を猛烈に目指していた県都と合併話が以前にあって、それを公約に掲げた市長が当選したんですが・・・これも、いつしか頓挫。
この時は、我が街を含む印旛郡市に属しながら、県都に近寄るなんて・・・と言うのも、少なからずありました。

市区町村の合併話は、特例債の終了を以て収束したようですが、市域が大きくなりすぎて、行政サービスが行き届いていない・・・と言った話も、ちょくちょく聞きます。

これってどうなのか?!
所縁ある町の混乱ぶりを見て、改めて感じました...。

長閑でいい町で、その名も気に入っているんですが・・・無くなってしまうのは、寂しいものです。。。




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日本の夏、節電の夏

2011年08月13日 | くない観
未曾有の大震災から5か月。
あの頃は、立春を過ぎたとはいえとても寒い日々でした。
しかし、季節は夏。
昨年ほどで酷暑が続くことはないですが、それでも、湿り気のある暑さは堪えます。
震災から暫くして、うちの職場でもボランティア隊が編成され、分隊して現地で復興支援を行いましたが、この夏、お盆前にも有志が現地入りしているようです。
私は業務で、政府からも要請があった文化財レスキュー事業に一時携わりそうになりましたが、その熱意を持った方がいま、隣国へ出張中なので、雲散霧消となりました。。。
尤も、いまは業務上必要な国への申請業務でそれどころではないので、熱意の行き着くそこへ絞って欲しいのが、担当者としての心情です(^^ゞ

さて...
本震後も続発していた大地のショック状態も、時折突発的にドデカイ地震が起こりますが、漸く収まってきた感じがします。
けど、いまだに収束しない福島(第一)原発。
開いたパンドラの箱の中身を知ってしまった以上、それがおいそれと収束するとは全く考えていませんが...
全国的に反原発、嫌原発の流れになって、挙句、やらせだのなんだのと騒ぎとなって、次々と停まっていく原発エネルギー。
おかげで、東日本のみならず、箱根以西の地域でも節電に。
しかも、この夏は経済産業省の省令による電力使用制限令が発令されて、大口需要体には更なる節電ノルマが課せられて、それを破ると、100万円の罰金が科せられます。

ウチの職場も、業界的には中規模なんですが、いろいろと電気食うんで、大口に組み込まれ、省令に反すると罰金取られます。
各企業、特に製造業は大変・・・だと、ニュースなどで見知ってはいますが、職場も、総務や施設担当は節電対策にてんてこ舞いです。

ただ、、、
この節電省令下、気になることが一つ。
それは節電ダイヤを組んでいる鉄道各線に対して。
いまは、概ね平日の日中のみ8割程度の運転本数でしたが、少し前まで、JRは概ね平常ですが、私が普段利用する京成東京メトロ(東西線)、都営(三田)線の節電対応ダイヤを実施中。
しかし、これが、、、
1時間に1回程度、最大で運転間隔が20分だったり、快速運転を(昼間と土日休)取りやめてたり。
朝のラッシュ時にも、改善されたとはいえ、一部間引き運転されてます。
しかもこのダイヤが、駅にいってみないと解らないから困ったもので。
いっそのこと、これでダイヤ改正してくれた方が、面倒なくていいのに・・・と思います。

聞けば、消費電力に占める鉄道利用率は、僅か2%ほど。
しかも、省エネ列車や電気を還流する回生ブレーキシステムのおかげで、昔よりも、使用電力はグンと低くなったとか。
にも関わらず、こうした対策が成されているのは、節電啓蒙と電気の融通なんだとか。
簡単に言うと、列車だって節電で本数減ってるんだから・・・と言ったところでしょうか(苦笑)
また、自家発電設備があるJRなどから電気を少しでも融通してもらいたい・・・ってのも、あるようです。
しかし、少し納得のいかないことが。
それは、、、
首都圏の場合、利用者数の大幅な増減というのはないと思うので、売り上げはさほど変化がない。
・・・となると、、、
列車が走らない→電気を使わない→電気料が下がる→利益率が上がる
、、、という方程式が頭の中に出来上がってます。
また、駅構内や電車内の減灯(間引き)、看板の消灯、自動券売機などの一部停止などなど。
“見せしめ”というのも判らなくはないですが、鉄道(運輸系)は、世の中を動かす上で欠かすことのできないもの。
金融機関と合わせて、経済の血流みたいなもの。
も少し融通利かせても・・・ってのが、率直な意見です。
駅に行ってみないと解らないダイヤなんて、不便極まりないですからね(苦笑)

運転本数減らすくらいなら、車内の設定温度、もう少し上げてもいい。
駅構内の暗さには慣れましたが、列車内は、相変わらず寒すぎます。
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総意は盲目

2011年08月10日 | くない観
先の大震災がトリガーとはいえ、開いてしまった“原発”というパンドラの箱。
これが両刃の剣であることは、前々から薄々感じていたとはいえ、いざ、現実に突き付けられると・・・世の中が、一斉に反原発、嫌原発、脱原発に動くのも解ります。
例え山本太郎を潰しても、しらがみを超えて次々と名乗り出てきてますしね、原発否定派の芸能人。

ゾンビみたいな今の総理も、原発依存度を段階的に下げる方針を表明し、広島と長崎でも念押しするかのように述べてましたしね。
まぁ、相も変わらず独善的に、しっかりとしたコンセンサスを得ずに世に出したのか、方々から批判されているのは毎度のこととして(苦笑)

けど、しかし...
いや、被災地と立地区の苦悩は解ります。
テレビや新聞などを通して、また、数々の現実を見る度に、言い表せぬ感慨を受けます。
また、避難地域以外でも放射能汚染が拡がっていて、様々な影響が出ていることも承知しています。。。

けど、しかし...
急進的な脱原発ってのは、どうかな・・・と、正直思います。
止まって不足する電力を補うエネルギーが、いまだに不確実ということもあります。
それと、例えば先日。
玄海原発の運転再開を巡って、反対派が徒党を組んで佐賀県庁に押しかけて押し問答となり、参加者の一人の山本太郎に制される顛末がありましたが、こうした行動を見聞きすると、とても苦いものを感じます。

食の安全も。
確かに気を使うのは解ります。
友達の中には、日々の食事の材料は西日本産で賄っていると言ってました。
けど、しかし...
セシウムがいくらで平常時の何倍だとか、数字が独り歩きをしていて、議論や判断に必要な材料とその精度が、まだまだ足りない気がします。
ただ漠然と、数値が高いから危険!と判断させられている・・・のかもしれません。
私が探し足りず、見聞きしていないだけなのかもしれませんが、、、
各報道から、「稲わらから高濃度の放射能が検知された」と聞いて大変だ・・・とは思いますが、最終的に、それが牛の中にどのくらい残っていて、煮たり焼いたりしたらどう変化するのか、私は聞いたことがありません。
どうも、上っ面な情報だけがクローズアップされ過ぎて、本質的な情報が掻き消されている気がしてなりません。

玄海原発を巡っては、やらせ云々が話題になってますが、私的には、くだらないこと・・・と感じてます。
確かに、やらせ云々は情報操作につながる詐術的行為と感じますが、こればかりが話題になって、肝心要の議論が全くなされないことを、私は一番恐れいます。
・・・いや、バカらしいです。

脱原発政策の話題になると出てくるドイツとイタリア。
元祖枢軸国同士・・・というのは置いといて(笑)
ドイツは脱原発方針の基、次々と原発を停めています。
イタリアは、原発建設の是非を問う国民投票で圧倒的多数で“反対”されて、計画が断念されました。
けど、両国ともヨーロッパ大陸の中に在り、地続きの近隣国から電気を買ったりしてます。
ただ、その分、割高のようですが...。
方や我が国。
ええ、どう考えたって無理です。
近隣国から電気を買うなんて。
思想面は一先ず置いといて、技術的に、戦略的に無理でしょう。
かつての石油同然、電力は国家の生命線ですから。
それなのに、ドイツが!イタリーが!と、同じ土俵に上げて言うのは少々ナンセンスな気がしてなりません。

ならば自然エネルギーだ!と息巻いて、風力だの太陽光だの地熱だのと言ってますが、まだまだ力不足。。。
また、それぞれにいろいろな制約もあると聞いています。
コストが安い!という幻想の中で、原子力関連に力点が置かれていたので、他のエネルギー開発は未だ成長できておらず。
技術的な進歩も含めて、今後高まる期待と需要に応えてくれればいいんですが...。
政治、とくに国政がテイタラクな状態なので、様々な制約面がクリアーできなければ、焼け石に水な状態になりかねないかと。。。

それにしても、このパンドラの箱が開いてしまったことを、さも他人事のように喚き立てている全くの無反省の自民党には、私には腹立たしいことこの上ない。
しかも、それを誰も指摘しない。。。
全く、不思議なことで。
聞けば、良きに付け悪しきに付け、いまの政権は脱原発の方針を打ち出したのに、自民は、片足がまだ原発推進に突っ込んだままのようです。
中堅や若手は、今までの政策を反省して脱原発に・・・と言っているようですが、、、無理みたいです。

全く、苦笑いしか出てきませんよ。。。
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妨害勢力

2011年06月02日 | くない観
ここ数日の動きで、しっかと解りました。
この国の中で、政治家(屋)、特に国会議員という肩書の連中が、最も無能であることを。

一体全体、なにをやってるんですか?!この不愉快極まりない連中は。

自らに課せられた使命が、全く理解できていないことに、唖然愕然としています。
開いた口を塞ぐ間もなく、怒りしか込み上げてきません。

あまりにも腹立たしくて、細かいことは覚えていませんが(^^ゞ
破壊獣オザワは...
「こんな時に権力闘争なんてと、世間もマスコミも批判するけど、こんな時にこそ、強いリーダーに代えないといけない。」
...だってさ。

い、いかん。
思い出しただけども腹立たしくなってきた。

他にも、ハラグチとか言う前の総務大臣は「選挙をして“新民主党”になろう!」だって。
こんな時に、全国一律総選挙する気なんだ。
お気楽なもんで。
この人、自治や選挙を扱う総務大臣として、罪人…じゃなかった、在任中、何してたんでしょう。
選挙する暇と金があるなら、復興復旧に!って概念と思考に至ら…ないから、こんなお気楽なことが言えるんですね。
総務大臣、辞めて当然!
ヘドが出ます。

あと、アズマとかいう内閣府副大臣とかスズキとかいう総務政務官とかも、内閣不信任案に同調するので辞めてましたが、その言が...
「大震災と原発に対して迅速に対応していない」
...だって。
こいつらは、正に超怒級の無能モノ。
内閣府とか総務省とかは、震災対応を担う重要な府省。
そこの政務三役ならば、上司や部下と、職務に尽力しなければなあらいはず!なのに...。
職務放棄とは言語道断!
その罪、万死に値しますよ、全く。

月旦の水曜日。
党首討論もしてましたけど、あの、タニガキとかいジミンの親玉は…何なんだ。
総理に対して「辞めろ辞めろ」と。
それで世間が見方に付くと、本気で思ってるのかな?!
だとしたら、我々はナメられたもんで(苦笑)
余計、私は反感を覚えた。
共社系を支持する気はないですが、彼等の言い分と行動には理解できる。
則ち、いまの、特に原発事故の遠因は、正に、建設当日政権与党だったジミンの連中にあり、三陸やインドネシアの大津波を、全く無視した結果。
その反省が全く為されていないのに「総理が辞めれば」だって、もう…腹立たしいことこの上ないです。

あっ、一応付け加えておきますが、私は民主党を支持しているワケではありません。
ただ、無節操極まりないジミン党が大っキライなだけです。
高速道無料化、最初に言い出したの、私の記憶が確かなら、ジミン…ですよね。
いまのジミンの政調会長が国交大臣で道路公団改革をしている過程で、言ってたと思うんですが(苦笑)

ふう…朝の通勤車中にケータイで、打ってますので、意味不明な点が多々あるかも(^^ゞ
あとでディテールは調えるつもりですが、何分、久々に、怒りに任せて(その憂さを晴らすべく)作っていますので…不備の段は、何卒ご容赦の程を。


先週の土曜日。
226事件を素地に、陸上自衛隊の決起を題材とした、大好きなパトレイバーのOVA版「ニ課の一番長い日(前・後)」を借りてきて観(返し)てましたが、正直、いけない!とは思いつつもホンの少しだけ、決起勢の思想的指導者・甲斐シ列輝の登場を願ってます。
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ターゲット

2011年04月18日 | くない観
県議選の投開票から一週間。
結果は民主系の敗北。
都市部候補とはいえ、県議会議長まで落ちた結果に、コイズミの熱(術)が覚めて連敗していた数年前の自民を見ているようです。

世間じゃ“売国奴”云々などと言われる民主ですが、私からすれば、自民の方がよっぽど性質が悪い。
その例が、予断を許さぬ状況が現在進行形の福島原発。
完成当時の与党は…ええ、自民党です。
この前の、重大事のJOC臨界事故当時の与党も…自民党。
中越の地震時、柏崎刈羽原発に対処したのも自民党。
原発事案に対処する為の組織を複雑怪奇に作ったのも…そう、自民党。
なのにヤツらは他人事(苦笑)
政府の対処もイロイロとあるけど、裏を返せば、自民党の与党時代の無為無策が起因でもあるはず。
それなのに、何も言わない、何もしない自民党の方が、よっぽど悪質だと、私は思います。
…えっ、聞いてないだけ?!
いやいや、届いてないだけ?!
ならば尚更。
発信力が笑っちゃうくらいないか、世間が自民の存在を軽視している…ってことで(苦笑)

まぁ、そんなことはさておきまして(--ゞ
地方選の第二段。
我が街の時代祭を師走に追いやった市議選と市長選の火蓋が、昨日切られたようで、街中では事務所開きが。
駅前では候補者の一人が演説をしていました。
また、家の近くに市長候補者(現職)の住んでいるので、支援者やら車やらが行き交ってます。

朝。
特に平日の7時過ぎに駅へ行けば、駅前や改札口付近に笑っちゃうくらいの大勢から「おはようございます!」とか「よろしくお願い」とか言われることでしょう。
地元ならまだいいですが、同じく選挙の乗換駅の街とか職場近くで候補者一味から挨拶やお願いされても、ただただ困るだけです(苦笑)
しかし、もう一面。
地元で普段見掛けないヤツが、この時とばかりに“元気よく”チラシなり挨拶をしているのに出くわすと、げんなりします。
私から見れば、こんなご都合主義なヤツは、信用できません。
それに、ゲンキンで、媚を売られているようで、虫酸が走ります。
嫌悪感を覚えます。
そして、もう一つ。
特に特に気に喰わないのが、チラシやら挨拶を、候補者(一味)が“有権者と判断した人”に対してだけ行うこと。
即ち、中高生はスルーする・・・と言うこと。
もし、そんな場面を目撃したら、絶対入れません!
そんな程度の志なヤツなど、大した仕事はしません。
無用の長物、歳費のムダ。
呪ってでも落として遣りたいです。

それはなぜか?!というと...
確かに、候補者を選ぶのは20歳以上の有権者にしかできません。
当選した議員が携わる様々な案件は、有権者以外の利害、即ち、中学生や高校生にも関わることは数多あります。
それなのに、投票には全く関与しないから・・・とスルーすのが許せない。
それこそ、政治(家)が及ぼす影響力を全く理解していないのでは?!と、その見識と能力の低さに、強い疑問を感じます。

よく、若年層の政治離れやら無関心などが言われますが、それは明らかに政治家の罪。
上記の言動など、政治家自身が関心を向けさせる不断の努力を怠っていることに原因なのでは・・・と、強く思います。

尤も、こんなこと考えているの、私くらい・・・かもしれませんね(^^ゞ

それにしても、二週間の間に二回も選挙をするとは...
一回でまとめてやった方が、断然効率的でいいだろう・・・と思うのに、なぜ二回に分けてするのか、妙に引っかかります。。。
何せ、浦安は県議選はボイコットしたけど、今度の日曜日の市議選は実行するらしいから。
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行くか!留まるか...

2011年04月10日 | くない観
大震災から一か月。
何でも、千年に一度の大地震だったとか。
余震は、既に三百回を超えていて、この間の木曜日には阪神淡路以上の、本震でもおかしくないくらいの規模の地震もありました。

正直、生きている間にあんな揺れ、あんな地震を経験するとは、夢にも思っていませんでした。
随分と前から、「関東大震災が来る!」とは言われていましたが、既に予想の周期を数年超えているので、もう、来ないだろう・・・と、半ば思っていたので(--ゞ
ここ最近は漸く収まった感はありますが、本震から暫くは、常に揺れている?!感覚がありました。

しかし、慣れとは怖いもので...
少々の揺れでは動じなくなりました。
また、緊急地震速報にも。
・・・まぁ、さすがに木曜日の余震には驚きましたが、ある朝、通勤時の地下鉄で緊急地震速報レベルの地震を受けた時には、車内の複数人の携帯からそのアラームが聞こえて、驚きの反面、(緊張感を超えてか)ちょっと滑稽でした。

今回の大地震。
東日本の太平洋側に甚大な被害をもたらしました。
その中には千葉も被害が、沿岸部の旭や浦安の状況が顕著ですが、意外にも、我が街も4番目の規模の被害があったとか。
幸い、私の住む地区では、確かにビルの落壁や道路の陥没、地盤沈下などはありますが、電気や水などのライフラインは正常でした。
それも、震度6弱だったことを思えば、なるほど・・・とは思います。

ただ、陸州方面の被害は、見聞きするだけでも途方もないこと。
復興まで数年、数十年と掛かり、その費用も最低25兆と試算されているとか。
一か月が経つも、未だ被害の全容が把握できていないとか...。
そんな現地へ、職場の有志が10日間、4グループ30人規模に分かれてボランティアへ向かいました。
向かった場所は、津波で甚大な被害を受けた宮城県沿岸北部の町。
ただ、入るは津波の被害のなかった高台の地区だとか。
職場内の応募が掛かった時、正直悩みましたが、日々の業務が停滞するのは困るので、今回職場に留まることにしましたが、多くの人が手を挙げ、現地へ。
中には、4月に派遣から昇格(嘱託)した女性も手を挙げ、今日、第一陣として出発しています。
しかし...
総務の事前説明によると、拠点は岩手の内陸部に置き、寝食の心配は無し。
現地とは毎日マイクロバスで往復・・・という内容。
・・・いや、志は結構なんですが、被災されている方々とは全く隔絶した環境(状況)で行うのには、ここだけの話、若干の疑問点も。
これに今回結構な予算を注ぎ込んでいるようで、もう少しやり方を工夫して、その分の資金を復興支援金として寄付すれば・・・と言う私の心の声と同じことをパートさんが私に言ったので、思わず大きく納得しました(苦笑)

そんなこんなで、私は職場に留まりましたが、残留組は残留組で、街頭募金活動に従事。
一人三回の辻立で、私もさっそく金曜日にやってきました。
人通りの多い商店街の入口で1時間40分。
私は声だし呼び掛け係として、もう一人の男性スタッフと交互に行いましたが、意外と応じていただけました。
それも、一人の単価が大きい。
それだけ、今回の震災のへの関心度が高い・・・という印象を受けました。

一人ひとりやれることを...
その場を、図らずも職場に提供されて、ささやかながらも復興の一助に・・・と動きました。
この他にも、岩手の蔵元さんが訴えているように、激甚区に比べれば軽微だった我々が、物心両面で復興支援をアシストできればと思います。
関東では、桜が満開を迎えました。
東北ではこれからですが、角館や弘前の桜祭りは挙行されるとか。
木曜日の余震で、奥州の陸路、鉄路は再び寸断されてしまいましたが、魅力ある東北!
少し落ち着いてからでも(^^ゞ
是非是非行きたいです。
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自分の立ち位置

2011年03月29日 | くない観
皆さんは自覚し、お気付きですか?!
仕事(場)で、プライベート(仲間内)で、自分の立ち位置を。
私は...
私は......
うーん...
うーーーん...
う゛ーーーん、、、
正直、判りかねています。
また、四方の距離感さえ、掴みかねています。

いま、例えて言うなら舟橋の上に居る心境です。
流動的で不安定なので、渡るときは慎重に、慎重に、踏み外さないように慎重に渡っている・・・気がします。
それがいつからか?!
はっきりとは覚えていませんが、もう、随分と前からの様な気がします。

しっかりと、地に足付けて安定させたいんですが、どうにもこうにも(苦笑)
私が先手を打つと、十中八九はしくじります。
それはもう、笑っちゃうくらい(^^ゞ
いやはや、中々上手くはいかないものです。

そういえば...
震災の報道がいまも大部分を占める中、東京では桜が咲いたそうで。
漸く、待ちに待った季節がやってきました。
何かと沈みがちなことが多いですが、時には気晴らしに。
桜の花が満開の頃、いつものところで愛でるのを楽しみにしています。。。
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不思議な光景

2011年03月25日 | くない観
その始まりは、震災翌日の土曜日からでした。
ガソリンスタンドに、異常なまでの車の列が!
この時、私の車のガソリンも残り僅かだったんですが、まぁ、明日入れればいいや・・・と思い、これをやり過ごしました。

この判断が間違っていました。

翌日の日曜日になると、事態は更に悪化。
車列は土曜日以上になり、レギュラーが完売してハイオクのみの販売に。
しかも、運悪く運転中に給油ランプが!
省エネ運転はしていたつもりなんですが、それも限界だったようで(--ゞ
ただ、この時は諸般の手続きをしなければならない最中だったので、給油することは出来ず。
全てを終えて戻ってくると、さっきまで長い車列が出来ていたスタンドから車が消え、スタンドの明かりも・・・消え?!
近づいてみたら、ハイオクすら完売し、あるのは軽油か灯油のみ。

これはまずい!
・・・と思い、とりあえず、自転車で近場のスタンドを見て回るも軒並み完売!!
今後行われる諸式にためにも車は絶対必要!なんですが、かなり危険な事態に。
しかし、移動中に1件だけ「夕方には開きます」というスタンドがあったのを思い出して、まずは自転車で行ってみると・・・!開いてました!!
けど、大行列。。。
これだけ並ばれると、給油できるかが心配だったんですが、一か八か。
チャリンコを全速力で漕いで家に戻り、このスタンドへ急行!
地元民しか知らない道側(出入口)に列を成し、待つこと20分ほど。
しびれを切らして離脱する車をしり目に、節約のためにエンジンを入り切りし、ハラハラドキドキしながら漸く・・・・・・やりました!ガソリン満タン入りました!!
もう、九死に一生を得た気分です(マテ)

その後、近所のスタンドは再開の兆しがありません。
報道によると、備蓄はあるから「安心」らしいですが、正常化するまでは1週間程度掛かるとか。

この他にも、食料品や生活必需品が枯渇しています。
もう、イナゴが通った後の様に、何もかもないです。
物流が上手く行っていないのと、不安からか買いだめが横行しているようで。。。

何だか、これらの行動が余計な「不安」を煽っているように思えてなりません。
「不安」と言えばチェーンメール。
私のところに着ましたが、一笑に伏しました。
バッカバカしく、くだらないことこの上ないです。
職場の新人さんも、コスモ石油のチェーンメールを真に受けていたので「あれはデマだよ」って言ったら、えらく動揺してました(苦笑)
震災後、一番怖いのがデマの類。
関東大震災で、デマがもとで多くの人が二次被害を蒙ったのがいい例です。。。

原発の事故もそうですが、皆さん、もっと冷静になりましょう。

さて、原発事故に関連して・・・計画停電も。
私も、14日も15日も難なく家と職場の往復が出来ましたが、計画停電初日の14日は、1/3が出勤できなかったようです。
出勤者の多くは23区内在住なので、千葉からやってきた私を見るなり(電話で)聞くなりすると、「よく来れたね!」と、驚かれました(笑)
けど...
もう少し、何だかやりようってないのかな?!と言うのが正直な感想。
東電と政府の決定が13日夜。
それに対して鉄道各社が対応を決めたのが深夜。。。

これ、厳しいです(苦笑)

これ(運転見合わせ)に関する記事で、取材に応じた女子高生が...
「どこが計画停電なんだ。こんなの無計画停電だ」(抜粋)
...と言っていたのが印象的でした(笑)

けど、計画停電(予定)になって思うことも...
職場は極力明かりを消したりして省エネに努めて、街中も、結構電気の消費を抑えているようですが、反面、何だか随分と無駄なモノがあったね?!と気付かされました。
火曜日の夜はあいにくの曇り空でいたが、計画停電のブラフが駆け回った月曜日の夜は、雲一つないいい天気だったので、月明かりと星空を楽しめました。

何だか得した気分です(笑)

▽このブログを打ち終わって数日▽
近所のスーパーには、徐々に食料品などが運ばれて着ているようです。
ガソリンも、近所のスタンドでは時間限定で売り出していました。

首都圏直下型は発生したら、はたしてどうなるのか?!
大いに心配するところではありますが、まずは冷静に冷静に。
下らぬデマには、惑わされないことですね。

※この記事の起稿は、1週間程度前です。
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「頑張れ!」は禁句。

2011年03月20日 | くない観
以前の勤め先の専門職の方が、そう言っていました。
その方は、これに付いてこうも言っていました。

「頑張れって言葉は残酷だ。」と。

それはなぜか?!と言うと...

「言われた方は、自分でもう十分頑張っているかもしれない。それなのに、他人が無知にも頑張れと言うのは、馬に鞭を打つようなモノだ。」とか。

それを聞いて「なるほど」と思い、以後、“頑張れ”って言葉を封印しています。

その専門は哲学系だったので、こういう考え(主張)に至ったのかもしれませんが、もう、私はすっかり感化されました(笑)

気軽な励ましのつもりでも、例えば心的負担の強い人にも、“頑張れ”は禁句だと聞いたことがあります。
それこそ、「いま頑張っているのに、これ以上どう頑張れと?!」・・・と、より深く自問自答し、より強い自責の念が出、より瀬戸際へと追い込んでしまうそうです。

ならば、“頑張れ”に代わる励ましの言葉が他にあるか?!
それを、(このことを聞いて)かれこれ7,8年探していますが、今だに見付かっていません

しかし、例え一言でも、言葉は強く、力があります。
ゆえに、人の受ける影響や印象は大きいです。

だから難しいです。
一言あれば、一喜一憂できます。
一言あれば、喜怒哀楽が表せます。
一言あれば、人の来し方、栄枯盛衰が左右されます。
そして、生死さえも、一言あれば決まるかもしれません。

だから、安易に決めたくは無いので。。。
“頑張れ”に代わる励ましの言葉を。
答えが見付かるまで、まだまだ時は掛かりそうです。。。
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