くない鑑

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あっち、こっち、そっち・・・どっち?!

2011年09月11日 | くない観
「こっち」になりました。
・・・何がって?!それは、とある町の“選択”の結果なんですが。。。
それを知ったのは、この間のお盆の時。
そこには、母方の親戚が住んでいて、多くの世間様と同じく、お盆休みを利用して行ってきた時のことです。
いつもの通り、車で町に入ったら...

少なくとも2つの主張の看板が、正に林立していました。
それも、仮に2つの主張をAとBとすると、Aの看板が、またはBの看板が1本でも刺さっていると、それを打ち消すが如くその周りに、違う主張の看板が刺さる有様。

また、親戚宅もそうでしたが、刺さっている看板がAかBかで、その地の主がどちら側かが、容易に察せられたのが、余所者だから言えますが、面白かったです。


しかし、この事態は、冷静に考えれば、尋常ではありません。
そもそも、これはなんなのかというと...
関東平野の北端。栃木県の南部、下都賀郡に「岩舟」という町があります。
人口は2万前後。
基幹産業は農業、特にブドウなどの果樹やコメを多く生産している、長閑な田舎町です。

天台宗を興隆させた慈覚大師円仁生誕地や小野小町の墓、霊場として、日本三大地蔵として、知る人ぞ知る岩船山(高勝寺)の在る場所・・・としても、まぁ、有名です。


そんな岩舟も、国が主導していた、いわゆる“平成の大合併”の波に乗って、近隣の大平町藤岡町合併協議を行っていました。
そして、万葉集にも詠われたこの地のシンボル的な存在である“三毳山”より採って“みかも市”と、新市名まで決まっていました。
この他、新市の合併後のグランドビジョンなども決まっていながら、新市本庁舎を巡る三町の意見の対立から、この合併話は頓挫。
遂には、合併解消にまで発展するという、俄かには信じられない事態となっていました。

その後、北隣の大平と南隣の藤岡は、栃木市合併協議を重ねて、昨年度、合併してしまいました。
そして、岩舟なんですが、栃木市や東隣の小山市との合併も模索されましたが、経済的に結びつきが強い西隣の佐野市との合併が選択され、協議が重ねられていました。
けど、順風満帆とはいかず、出ては消え、消えては出ての繰り返し。
この途中、自主自立も主張されましたが、それは敢え無く消えてしまいましたが、、、
何とか、佐野市との合併で、県にもその方針が報告されていたようです。
けど、、、
何時しか、栃木市との合併を主張する一派が登場し、遂には、合併の方針を問う住民投票が行われて、栃木市との合併協議会が設立されるまでに至ります。

そもそも、この岩舟は複雑な町でして。。。
厄除け大師ラーメンで有名な佐野市は、行政区分では安蘇郡市。
方や岩舟は、栃木市を中心とする下都賀郡市。
ゆえに、の出先機関の管轄域は栃木(市)で、広域行政組織もここに属します。
学区も、佐野側(安足学区)ではなく、下都賀です。
けど、町民の仕事場は、佐野市に多くあります。
消防組織も、佐野市(と合併した旧田沼、葛生両町)とともに佐野地区広域消防組合に属し、町役場の敷地の一画に分署があります。
・・・が、警察は、栃木市に本署がる栃木警察署管内です。
一方、郵便局は、小山支店に属します。

全く、いろいろ入り組んでて、複雑怪奇です(^^ゞ

これなら、いままでどおり自主自立・・・と、主張したくなるのも判ります。
現に、町役場の敷地の一部に町立の保育園を建設中でしたから。

およそ、これから合併してなくなってしまう町のすることではない気が・・・します。

しかし、事実上、町は二派に分裂状態。
この、亀裂に終止符を打つべく実施されたのが、、、
佐野市か、栃木市か、はたまた自主自立か・・・を決する住民投票です。
実施は、8月28日。
親戚宅へ行った2週間後に実施されましたが、勿論、看板だけの訴えでは収まらず、ビラやチラシに街宣活動まで、特に栃木市派の攻勢はすごいものでした。
この拠点は、JR岩舟駅近くにありましたが、敷地内には筵に主張を書いたモノを掲げていましたが、何だか、農民一揆的な感じが・・・しました(^^ゞ
けど、その運動の甲斐あってか、住民投票の結果、岩舟は「栃木市との合併」に方針が決したようです。

よもや、ここまで来てこの話まで頓挫する・・・と言うことはないとは思いますが、慣れ親しんだ町の名前が消えてしますことが決まったというのは、やはり寂しいものです。

我が街も、東隣の町と合併する話が以前ありましたが、いつしか頓挫。
南隣の市も、100万人の人口を猛烈に目指していた県都と合併話が以前にあって、それを公約に掲げた市長が当選したんですが・・・これも、いつしか頓挫。
この時は、我が街を含む印旛郡市に属しながら、県都に近寄るなんて・・・と言うのも、少なからずありました。

市区町村の合併話は、特例債の終了を以て収束したようですが、市域が大きくなりすぎて、行政サービスが行き届いていない・・・と言った話も、ちょくちょく聞きます。

これってどうなのか?!
所縁ある町の混乱ぶりを見て、改めて感じました...。

長閑でいい町で、その名も気に入っているんですが・・・無くなってしまうのは、寂しいものです。。。





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