「平家の郷」常務 朽木敬之のブログ

宮崎創業1983年 
ハンバーグ専門店「平家の郷」
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基本を学ぶ。

2009-07-16 01:32:06 | Weblog
 みんな算数を教わった記憶はあるだろうが、立ち方や話し方を教わった記憶は少ないんじゃないかと思う。正直自分も幼少期に、立ち上がった瞬間、言葉を発した瞬間は記憶にない。おそらく親の手を握りながら立ったのだろうし、テンション上がって言葉を発したんじゃないかと。

 立ち方も歩き方も正しいものを教わっていない。だから、歳を取ると腰痛になる。正しい話し方を教わっていない。学問としてではなく、言葉をコミュニケーションのツールとして教わっていない。だから、大人になって敬語が出来ていないとか、伝わらないと言われ、再度、学ぶことになる。

 それが悪いのではなく、やはり基本を知ることが大事だ。基本を知らないことを認識し、それを再度学び直すことが大事なんだと思う。基本を体に叩き込んだ人は、いくらでも応用が効く。しかし、基本を知らず、体に叩き込んでないと、幅が広がらない。一方で、常に基本に忠実である必要はないと思う。基本を知った上で、自分なりの応用に活かすことを念頭に置きながら、立ち返る基本があることが大事。

 学生時代に、国際交流の場に参加した際に、流暢に英語をしゃべれないのは日本人だけであった。英語圏の人はもちろんだが、中国人も韓国人も、台湾人もシンガポールの人も英語を話す。その時に心にあるのは「文法が間違ったらどうしよう。言葉を間違ったらどうしよう」ということ。そんな中で、まともに喋れなくなるのは当たり前だ。

 英語の教育において大事なことは、「間違うことはいいことだ」の精神。俺だったら、「言葉がつまろうが、文法があってようが気にするな。単語だけでしゃべるようになれ」と教える。学校では文法ばかり教わった。テストを受けて、文法を間違えないように教わった。高校時代には単語は何千と暗記した。それでも英語を喋れない自分。完全に間違った教育の産物。あれなら、1年間海外に留学し、帰国して文法の勉強を1年すれば充分だろ。中学で3年間、高校で3年、大学で2年。8年の授業を2年に短縮することは可能だろう。

 日本は、英語の教育を見直し、海外留学を教育方針に入れれば莫大な時間と費用のコスト削減が出来るのではないだろうか。グローバルの時代に、海外と交流も出来ないような子供達を育てている場合ではない。競争の基本はコミュニケーションにある。その基本を教育しなければ。

 話を戻そう。歩いているけど、正しい姿勢で歩けてない人は山ほどいます。正しい姿勢で歩きたい方は是非お教えします。話し方に正しいもクソもないが、何かを伝えようとしてもなぜか伝わらない方は、一緒にその方法を探しましょう。

 基本を常に自分の近くに置いておいた方がいい。今からでも遅くない。いろんなことを学んでいこう。絶えず学び、成長を喜び、常に成長し続ける。うちの会社のプロフェッショナルマインドにはそんな素敵な言葉がある。