昭和46年、身延線に写真を撮りに行った時の話です。
拙宅は南武線沿線にあって、往路は中央線で甲府から入り、
帰路は富士から東海道経由にしました。
その往路、当時の中央東線は70系電車もありましたが
客車列車もあって、せっかくの機会なので
立川から甲府まで客レに乗りました。
当時の機関車はEF13。暖房設備がないため、冬期は
暖房車マヌ34を連結して客車に蒸気を送っていて、
ボイラーから出る煙は、蒸気機関車さながらの
素敵なにおいを嗅がせてくれました。
① 途中停車時のスナップ。
背景の山が岩殿山のように見えるので、大月駅ではないかと
思います。
マヌ34の煙は蒸気機関車のようです。

② ①とほぼ同じ時期の、別の日に撮ったEF13+マヌ34の
新宿行き普通列車。立川駅を発車したところです。
手前の梯子がちょっと邪魔ですが、この竹製の梯子も今は
見かけなくなりました。

EF64に変わるまで冬期だけ見ることができたマヌ34でした。
(1971/2~3月?)
拙宅は南武線沿線にあって、往路は中央線で甲府から入り、
帰路は富士から東海道経由にしました。
その往路、当時の中央東線は70系電車もありましたが
客車列車もあって、せっかくの機会なので
立川から甲府まで客レに乗りました。
当時の機関車はEF13。暖房設備がないため、冬期は
暖房車マヌ34を連結して客車に蒸気を送っていて、
ボイラーから出る煙は、蒸気機関車さながらの
素敵なにおいを嗅がせてくれました。
① 途中停車時のスナップ。
背景の山が岩殿山のように見えるので、大月駅ではないかと
思います。
マヌ34の煙は蒸気機関車のようです。

② ①とほぼ同じ時期の、別の日に撮ったEF13+マヌ34の
新宿行き普通列車。立川駅を発車したところです。
手前の梯子がちょっと邪魔ですが、この竹製の梯子も今は
見かけなくなりました。

EF64に変わるまで冬期だけ見ることができたマヌ34でした。
(1971/2~3月?)
以前にお話しした昭和52年秋、私が国鉄の試験を中央鉄道学園に受けに行った際にみたたくさんいた電機はEF13だったのでしょうか。それとも違う形式だったんでしょうかね。昭和54年が形式消滅なので可能性はありますね。
EF13について調べてみて驚きました。
D52のような戦時型機関車だったんですね。
機銃掃射対策に13ミリの鋼板と外板との間に砂とか16トン余りのコンクリート死重とかに驚きました。
と言っても戦前の落成は7両らしいので後の24両は団塊の世代ですね。
またEF58の車体を載せる改造を昭和30年代にやっているらしいですね。知りませんでした。
マヌは飯田橋とか新宿あたりで昔、見た記憶があります。
後年、神保町に行き、ピクトリアルの古本を買ってB6のボイラを流用したと学習しました(笑)。
ですので、においはまんま蒸気機関車ですよね。
たしか専門のカマ焚きの乗務員がいたとか。
すごい写真をお持ちですね、EF13は撮影したことありましたがマヌは初めて見ました、上野駅では見たことありませんでした
当時上野駅にはEF15の機関車が入っていたようなきがいたします。
朝からコメントいただき、ありがとうございます。
そうでしたね。中央鉄道学園に行かれたのでしたっけね。
民営化で売却されて、今は公園や集合住宅に生まれ変わっています。
たまに車で前を通ることもありますが、道も整備されて当時の面影はまったくないですねぇ。
EF13は末期に立川機関区にもいたので、日ごろ見慣れていて馴染みの機関車でした。
八王子機関区にはEF15も居ましたから、デッキ付き旧型電機をご覧になったとすれば、EF13かEF15かと思われます。
蒸機のカマを使っていれば、蒸機のにおいがするわけですよねぇ。
電化区間でありながら、不思議な感覚に包まれたものでした。
そもそも、新宿に客車の定期列車が走っていたこと自体が、想像もつかない時代になりました。
コメントいただきありがとうございます。
上越線のEF15やEF16が客車を牽く写真を見たことが
あるように思いますが、EF15が牽く客レは上野まで入ってきてなかったのかもしれませんねぇ。
蒸機にできて電機にできない暖房、というのもなんだか蒸機を褒めたくなるような、ちょっと嬉しい気分がいたします。(^_^)
場所がら直流機をほとんど見たことありませんし、デッキ付きのELなんて殆ど皆無です。 暖房車も連結しているということは、EF13は貨物牽引機専用ですか?
D51338さんのコメントにもあるように、戦時中に製造され始めた機関車なので、決して貨物専用というわけでもなく、戦時下であれば貨物も客車もなく牽くことを義務付けられたのではないかと思います。
マヌ34が存在したということ自体が、蒸気を発生させる機能がない機関車が客車を牽く時代の産物ではないかなぁとも思いますが、なんだか70年代初頭なのにALWAYSの世界のような光景です。
すごい煙ですね。こんなに煙を出している暖房車の写真はじめて拝見しました。
ボイラー設備なので国家試験が必要で、蒸気機関車の職員が乗って釜炊きをやっていたのでしょうね。
良いお写真を見せていただきました。ありがとうございます。
トラバ、折り返させていただきます。
当時、マヌはよく見かけましたが、これほどの煙をモクモク出しているのを見たのはこの時だけだったと思います。
TB、ありがとうございました!
不思議な感覚です。
1972年に全廃でしたか。その年にEF13からEF64に交代したというわけですね。
もしかしたら、車籍はなくしても、別の用途で飯田橋に置いてあったとか、
そんなことはないですかね?