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たかちねっとブログのアーカイブ

好きな旅と鉄道の記録と記憶を綴ってきたヤフーブログからアーカイブとして移転しました。
よろしくお願いいたします。

C56149 小海線中込駅にて

2013-06-01 11:03:59 | 小海線70s
先週の日曜日、神奈川臨海鉄道に大事に保存されている
C56139号機が一般公開された写真を前回掲載しました。
 
ボイラーが痛んでいるとのことで、仮に復活させるとしたら
相当の費用がかかることだと思いますが、
手入れされて美しく磨かれた姿に胸が熱くなりました。
 
1. C56139のサイドビュー
イメージ 1

 
 
あらためて私とC56との出会いをふりかえってみますと、
初めて見たのは、中学生時代、冬の野沢温泉に行った帰り、
信越線の列車を待つ間に、長野駅のホームでみかけた
飯山線のC56だったと思います。
ほんのひとときのことでしたが、
煙突からデフにかけて、アーチ型のつららおとしを
付けていたように記憶しています。
 
そして、初めて写真を撮ったのが、中学3年生の時。
小海線のC56です。
(その日の初めての撮影がこちらてす。
もしよろしければご覧ください → 高原を行くC56 )
 
当時の中込区の所属は、144,149,150,159の4両だったと思いますが、
私にとってC56を初めてゆっくり眺めることができたのが149号機でした。
 
2. 発車を待つC56149
皿型のクルクルパーを付けてないので、すっきりしています。
(以前掲載したのと同じ時の写真ですが、違うカットです)

イメージ 2


 
 
当時は大型蒸機の方に魅力を感じていたこともあって
小海線をおとずれたのは、結局この一回だけ。
このC56149号機とも、一期一会の出会いでした。
 
先日のC56139を見て、この遠い日のC56149が
あらためて思い出されました。
 

 
(1. 2013/5/25    2. 1971/10/31)

高原へいらっしゃい

2012-09-09 22:17:15 | 小海線70s
このタイトルを聞いて、往年のスター故田宮二郎さんの顔が思い浮かぶ方は
同世代以上の方ではないでしょうか。
1976年に放送された、山田太一氏原作の八ヶ岳を舞台にしたテレビドラマでした。
 
1970年代前半は、国鉄キャンペーン「ディスカバージャパン」の
宣伝ともあいまって、雑誌ananやnon-noを読む若い女性たちが
雑誌を片手に小旅行に出るのが流行っていました。
いわゆるアンノン族ですね。
軽井沢、萩・津和野、倉敷・・・ (私も行きました 笑)
清里もその"聖地"の一つとして、多くの若者が訪れました。
 
私が小海線にC56を撮りに出かけた1971年は、
そんなブームが本格的に訪れる前夜の頃になるのかもしれません。

何回か連載して途切れていましたが、小海線のC56を訪ねた続きです。
 
C56牽引の八ヶ岳高原号は清里の一つ先、野辺山に朝着いて、
午後、また戻っていきます。
この八ヶ岳高原号に小淵沢まで乗って帰ることにしました。
 
① その前に、DCの普通列車が到着。
 野辺山駅で若者たちが汽車の前で記念撮影をしています。
イメージ 1

 
 
② 駅標と国鉄最高駅の証
イメージ 2


18きっぷの旅や、ローカル鉄道の旅がブームとなり
今また鉄道の旅が見直されているように思いますが、
ディスカバージャパン時代の、懐かしい光景です。
 
(1971/10 野辺山)

山のふもとを走るC56 (小海線)

2012-06-14 22:47:48 | 小海線70s
小海線にC56を訪ねたのは昭和46年(1971年)10月のことです。
前回の掲載からずいぶん間があいてしまいました (汗)
続きをご紹介します。
 
中込機関区を訪ねた後、小淵沢方面へ引き返し、信濃川上まで戻りました。
 
信濃川上→野辺山間は、甲斐大泉→清里間とともに33‰の勾配がある、
C56にとっては難所です。
信濃川上の駅から野辺山方面に少し行ったところで待ちました。
一回目と同様、連続写真でご覧下さい。
 
① C56が顔を出しました。あせってすぐにシャッターを切ります(笑)
イメージ 1

 
② 木立をぬけて現れた編成は・・・あれれ、軽そうです。カマはC56144号機です。
イメージ 2

 
③ それでも登り坂を力行していきます。
イメージ 3

 
④ ゆっくりゆっくり登っていきます。
イメージ 4

 
⑤ だんだん遠くなる煙を、見えなくなるまで見送っていました。
イメージ 5

 
C56は小海線の風景にとてもよく似合う機関車でした。
 
(1971/10/31 信濃川上~野辺山)

中込機関区にて C56149

2012-03-15 22:33:55 | 小海線70s
昭和46年10月、小海線に撮影に行った続き、第2回目です。
朝、高原をゆっくり登る客レを撮ったあと、中込機関区に向かいました。
かわいいC56にぴったりといった感じのこじんまりした機関区には、転車台もありました。
 
① 転車台にのるC56149。横で見学している人がいました。
イメージ 1


② 向きを変えた後、貨物をつないで、発車を待つひととき。
イメージ 2

 
③ 小諸側から駅の方を見ると、こんな感じでした。
手前に写っているのは前回の写真とは違う友達ですが、彼がかぶっている帽子はチロリアンハット、って言うのでしたっけ。当時流行ってました。横にバッジを付けてちょっとカッコつけたりして、山登りもしないのに、私も持ってました。
イメージ 3

 
④ 中込を発車しました。駅の北側にある跨線橋から撮りましたが、②のところで撮った方がよかったかもしれませんね。
今でも、車でここを通ることがあるのですが、この橋を渡るたび、当時のことを思い出します。
イメージ 4


⑤ 近づいてくる間に橋を降りました。
イメージ 5

 
この後、信濃川上まで戻りました。それはまた次回ご紹介します。
(1971/10/31 中込)

高原を行くC56

2012-03-06 22:58:11 | 小海線70s
高原を走る小海線は大好きな路線です。
天気がよければ遠くに富士山、近くには南アルプス、八ヶ岳、
そして浅間山などの山々、川の流れ、
のどかな田園風景と里山などなど、四季を通じて車窓を流れる
景色は飽きることがありません。
その小海線にC56が走っていた時代、昭和46年10月末の日曜日、

中学校の友人たち数名で連れ立って出かけました。
羽越に旅立ってから、2カ月ほど後のことになります。
その時の写真を何回かに分けて掲載しようと思います。
 
当時すでに定期客車列車の運用は終わり、C56は貨物用でしたが、
ハイシーズンに一日一往復だけ、八ヶ岳高原号としてC56の客レが
運行していました。
新宿発野辺山行きの夜行快速で小淵沢からC56が担当という
スジだったので、小淵沢を発車するのは早朝になり、
下りは撮影しにくいダイヤでした。
 
どうやって行ったのかよく覚えていないのですが、
お金のない中坊ですから、新宿発長野行の夜行425列車に乗り込み、
小渕沢から始発で小海線に入ったのだと思います。

第一回目は、その早朝のC56が牽く客車列車を撮影した時の写真を、
ノーカット版で(笑)お送りします。
 
①早朝の霊峰富士と眼下に広がる雲海。
小淵沢を出てすぐの大カーブで車窓から撮ったものです。
すでに車窓マニアだったようです(笑)
イメージ 1

 

②甲斐大泉に着いたのは朝の6時すぎだったと思います。
小海線は、甲斐大泉を出ると、清里に向かって右に左に
くねくねと曲がりながら、30‰前後の坂を登っていきます。
急がないとC56はじきに追いかけてやってきます。
そのカーブまで急いで歩いてC56を待ちました。
 
待つことしばし、晩秋の高原のひんやりとした朝の空気を震わせて、
ポンッ、ポンッ、という歯切れのよいドラフト音が
高らかに響きはじめました。
止まってしまうかと思うほどゆっくりとした、鼓動のようなテンポで、

これまで聞いたことのないようなドラフト音でした。
楽器というか太鼓というか、この時に聞いたクリアなドラフト音は

今でもよく覚えています。

音はすれどもなかなか現れず、まだかまだかと待つうちに、
徐々に徐々にドラフト音が大きくなったかと思うと、ふいにC56が
顔をのぞかせました。
あせってシャッターを切ります。
イメージ 2

 

③ゆっくりと、ゆっくりとあえぎながら登ってくるC56。
スローなので、フィルムを巻き上げる余裕があります。
後方の山は南アルプスの甲斐駒ケ岳です。
イメージ 3

 

④やっと目の前までやってきました。
やわらかな朝の日差しに照らされた形式入りナンバープレートが

光るC56125は、糸魚川機関区から借り受けているカマでした。
 
小海線のC56は、皿型の回転火の粉止めを装着していても、
なぜか許せるというか風景にマッチしている感じさえします。
私だけかもしれませんが、どこか、おとぎの国を走っているような、
そんなイメージがあるからかもしれません。
イメージ 4

 
 
⑤40年以上前ですから、みなさん変貌?を遂げていて時効ですよね。
ということで、ボカシを入れずにそのまま掲載します(笑)
実は、、、手前に立っている少年、2/26に掲載した身延線
(80系急行富士川 )に私を誘った友人なんです。
イメージ 5

 

⑥枯れススキの向こう、高原に向かってさらに汽車は登り、
遠ざかっていきます。
ゆっくりと、ゆっくりと、煙を残して。。。
イメージ 6

 
 
高原のポニーと呼ばれた小海線のC56は、可愛らしく、
小海線にとてもよく似合っていました。
 
(1971/10/31 甲斐大泉→清里)