ちょうど42年前の昭和46年(1971年)の8/4、中学3年の夏休みです。
新津から日本海沿いをのんびりと列車に揺られて
秋田に向かっていました。
前日、上野発の上越線の夜行列車に乗りこみ、
通路になんとか座ってよく眠れない朝を迎えた早朝、
新津でD51重連に牽かれて眠気も吹っ飛び坂町へ。
そのあたりの事は"羽越本線の旅"として何回か綴りましたので、
もしよろしければ、こちらをご覧ください。( → 羽越本線の旅 )
坂町からは、なめくじのD5129が牽く普通列車に揺られて、
日本海沿いをのんびりと秋田を目指しました。
子供の頃から抱いていた日本海のイメージといえば冬、
灰色の空の下で荒れる海、だったように思いますが、
暑い夏の空の下、窓には青い海、白い砂浜、
眩しい気持よい景色が広がっていました。

実はこの日が私にとって、生まれて初めて見る日本海でした。
D51が牽く客車に揺られ、車窓に流れる日本海の景色。
見るものすべてが新鮮で、暑さなど感じない、いえ、感じていても
それ以上に興奮で一杯の時間が流れていました。
携行したカメラは自分のオリンパスペンと、親父に借りたミノルタSR7。
これはSR7で撮った写真で、TTLではなかったですが、
一応露出計は付いていたとはいえ、晴天だったら 1/250秒 F8 と
決め打ちして撮影したと思います。
白く飛び気味ですが、今見れば、それも夏の暑さをあらわして
いるかなぁ、なんて思ったりしています。
フィルムの次のコマは、蓬莱山が写っているので
今川より手前ということは確かなのですが、詳しい場所は不明です。
今は国道も出来ていると思いますが、
この場所が分かる方がいらっしゃいましたら
お教えいただければ幸いです。
(1971/8/4)
新津から日本海沿いをのんびりと列車に揺られて
秋田に向かっていました。
前日、上野発の上越線の夜行列車に乗りこみ、
通路になんとか座ってよく眠れない朝を迎えた早朝、
新津でD51重連に牽かれて眠気も吹っ飛び坂町へ。
そのあたりの事は"羽越本線の旅"として何回か綴りましたので、
もしよろしければ、こちらをご覧ください。( → 羽越本線の旅 )
坂町からは、なめくじのD5129が牽く普通列車に揺られて、
日本海沿いをのんびりと秋田を目指しました。
子供の頃から抱いていた日本海のイメージといえば冬、
灰色の空の下で荒れる海、だったように思いますが、
暑い夏の空の下、窓には青い海、白い砂浜、
眩しい気持よい景色が広がっていました。

実はこの日が私にとって、生まれて初めて見る日本海でした。
D51が牽く客車に揺られ、車窓に流れる日本海の景色。
見るものすべてが新鮮で、暑さなど感じない、いえ、感じていても
それ以上に興奮で一杯の時間が流れていました。
携行したカメラは自分のオリンパスペンと、親父に借りたミノルタSR7。
これはSR7で撮った写真で、TTLではなかったですが、
一応露出計は付いていたとはいえ、晴天だったら 1/250秒 F8 と
決め打ちして撮影したと思います。
白く飛び気味ですが、今見れば、それも夏の暑さをあらわして
いるかなぁ、なんて思ったりしています。
フィルムの次のコマは、蓬莱山が写っているので
今川より手前ということは確かなのですが、詳しい場所は不明です。
今は国道も出来ていると思いますが、
この場所が分かる方がいらっしゃいましたら
お教えいただければ幸いです。
(1971/8/4)