昨日、中学の修学旅行時の写真を掲載しました。
本日は、久しぶりに、高校の修学旅行の続きを掲載します。
昭和48年(1973年)5月のことです。
霧島温泉の次の宿泊地は熊本でした。
修学旅行の旅程などは、有志で作られた旅行委員会が生徒の意思を
集約、尊重しながら、旅行会社と相談しながら決めていました。
そして、熊本までの移動手段に選んだのは・・・なんと、肥薩線!でした。
九州内での移動手段の基本はバスでしたが、ここだけは肥薩線。
概ね、こういう委員は、旅好きや鉄道好きで結成されています。
(ちなみに、私は委員ではありませんでした)
残念ながら1年少し前にD51は引退していましたが、
あえてループ線に乗るコースを設定していました。
吉松駅まではバスで移動。
吉松駅から急行えびの(だったと思います)で大畑越えです。
こじんまりした高校でしたが、それでも160名ほどの人数です。
東京の高校性が吉松駅に集まる、とは不思議な光景だったかもしれません。
もっとも、驚いたのは、急行に乗っていた一般のお客さんだったかもしれません。
時ならぬ団体が乗り込んできてビックリしたことでしょう。
吉松駅に着いてから肥薩線に乗るまでの間、少し撮影する時間がありました。
前年の8月にはここでC5557の給炭風景を見ましたが、
( → C5557の給炭風景 )
この日は、C5552の給炭風景を見ることができました。
美しいスポーク動輪とサイドビューがたまりません。

昨年10月に吉松駅で再会しました。
やはり、復活を熱烈希望してしまうカマですね。
(1973/5)
本日は、久しぶりに、高校の修学旅行の続きを掲載します。
昭和48年(1973年)5月のことです。
霧島温泉の次の宿泊地は熊本でした。
修学旅行の旅程などは、有志で作られた旅行委員会が生徒の意思を
集約、尊重しながら、旅行会社と相談しながら決めていました。
そして、熊本までの移動手段に選んだのは・・・なんと、肥薩線!でした。
九州内での移動手段の基本はバスでしたが、ここだけは肥薩線。
概ね、こういう委員は、旅好きや鉄道好きで結成されています。
(ちなみに、私は委員ではありませんでした)
残念ながら1年少し前にD51は引退していましたが、
あえてループ線に乗るコースを設定していました。
吉松駅まではバスで移動。
吉松駅から急行えびの(だったと思います)で大畑越えです。
こじんまりした高校でしたが、それでも160名ほどの人数です。
東京の高校性が吉松駅に集まる、とは不思議な光景だったかもしれません。
もっとも、驚いたのは、急行に乗っていた一般のお客さんだったかもしれません。
時ならぬ団体が乗り込んできてビックリしたことでしょう。
吉松駅に着いてから肥薩線に乗るまでの間、少し撮影する時間がありました。
前年の8月にはここでC5557の給炭風景を見ましたが、
( → C5557の給炭風景 )
この日は、C5552の給炭風景を見ることができました。
美しいスポーク動輪とサイドビューがたまりません。

昨年10月に吉松駅で再会しました。
やはり、復活を熱烈希望してしまうカマですね。
(1973/5)