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たかちねっとブログのアーカイブ

好きな旅と鉄道の記録と記憶を綴ってきたヤフーブログからアーカイブとして移転しました。
よろしくお願いいたします。

C5552のサイドビュー (吉松にて)

2013-02-03 14:12:28 | 吉都線・肥薩線70s
昨日、中学の修学旅行時の写真を掲載しました。
本日は、久しぶりに、高校の修学旅行の続きを掲載します。

 
昭和48年(1973年)5月のことです。
霧島温泉の次の宿泊地は熊本でした。


修学旅行の旅程などは、有志で作られた旅行委員会が生徒の意思を
集約、尊重しながら、旅行会社と相談しながら決めていました。
そして、熊本までの移動手段に選んだのは・・・なんと、肥薩線!でした。
九州内での移動手段の基本はバスでしたが、ここだけは肥薩線。
 
概ね、こういう委員は、旅好きや鉄道好きで結成されています。
(ちなみに、私は委員ではありませんでした)
残念ながら1年少し前にD51は引退していましたが、
あえてループ線に乗るコースを設定していました。

 
吉松駅まではバスで移動。
吉松駅から急行えびの(だったと思います)で大畑越えです。
こじんまりした高校でしたが、それでも160名ほどの人数です。
東京の高校性が吉松駅に集まる、とは不思議な光景だったかも
しれません。
もっとも、驚いたのは、
急行に乗っていた一般のお客さんだったかもしれません。
時ならぬ団体が乗り込んできてビックリしたことでしょう。
 
吉松駅に着いてから肥薩線に乗るまでの間、少し撮影する時間がありました。
前年の8月にはここでC5557の給炭風景を見ましたが、
( → C5557の給炭風景 )
この日は、C5552の給炭風景を見ることができました。

美しいスポーク動輪とサイドビューがたまりません。
 

イメージ 1


 
昨年10月に吉松駅で再会しました。
やはり、復活を熱烈希望してしまうカマですね。

 
(1973/5)


D511038号機 都城駅到着

2012-07-26 00:38:48 | 吉都線・肥薩線70s
高校の修学旅行中に繰り出した蒸機の撮影。
鹿児島~都城~青井岳まで綴っている最中ですが、
都城で撮影した写真にちょっと戻ります。
 
特急富士が行ったあと、しばらくして、吉都線の貨物列車が到着しました。
イメージ 1

 
牽引はD511038号機。D51の門デフは初めて見ました。
やはり門デフ。D51にしては軽快に見えました。
普通に蒸機の貨物がやってきた、なにげない日常のひとコマです。
 
(1973/5 都城)

C5557の給炭風景(吉松機関区)

2012-02-28 22:20:13 | 吉都線・肥薩線70s
初めての南九州の初日、吉松駅で吉都線を走ってきたC5557の
写真は、そこまでの長い道中記とともに2/12に掲載しました。
そのC5557はそのまま機関区に入り、給炭作業に入りました。
転車台もガントリークレーンのような巨大な設備もない
吉松機関区は、こじんまりとしていてのどかな佇まい、
とてもいい雰囲気でした。
 
①骨を休めているC5557。
 バックしているのではなく、追い風で煙が前に流れています。
イメージ 1


②ゆっくりと給炭装置の前まで進みます。
 左に写っているのは石炭山盛りのC5739号機。
 この後、隼人を発車する姿を、2/14に掲載しました。
イメージ 2


③コンベアで給炭開始。
 作業の方々は麦わら帽にランニング姿と、思い思いの格好で、暑そうです。
イメージ 3


④C5557をやや斜め後ろの角度から。
 この直前の鉄道100年のイベントの際に化粧されたため、煙突に金の輪、
 デフ、ランボード、テンダーの下まで白いラインが入っていました。
イメージ 4

 
⑤給炭作業を別の角度から撮りました。コンベアの全容が見えます。
 手前を歩いている職員の方、邪魔!なんて、このタイミングでシャッター
 押した自分が悪いんです。失礼いたしました(笑)
イメージ 5

 
⑥時間さえ許せば一日ずっと居たかった吉松を、後ろ髪ひかれる思いであとにして、
 ひとまず、さようなら、また会えるかなと、
 給炭を終えて休んでいるC5557を、肥薩線の車窓から撮りました。
イメージ 6

 
南九州のお目当ては、C55とC57。それとC61との再会、
なかでもC55が一番のお目当てでした。
フィルムを大事に使っていたのに、このC5557だけで何枚も撮ったのは
よほど嬉しかったんだと思います。
 
(1972/8/6 吉松)
 

吉松機関区のC56

2012-02-16 21:45:52 | 吉都線・肥薩線70s
吉松機関区には、構内入れ替えと山野線用にC56が配置されていました。
なかでもC5691は、国内トップナンバーで正面形式入りナンバープレートと
有名なカマでしたが、幸運にも会うことができました。
この2カ月後の10月の国体でお召し列車牽引の栄誉に浴していますが、
小柄な中にもキラリと光る、なにか「持っている」カマという印象でした。
順光で正面からきっちり撮れなかったのがちょっと残念ですが、
記録できたので満足でした。
 
1. 構内をシュッシュッと小気味よくダッシュしていきました。
イメージ 1

 
2. やがて貨車を連れて戻ってきたC5691。
 向きが変わっているので、山野線から牽いてきたのでしょうか。
イメージ 2

 
3. 構内入れ替え作業のC56135
 時間的には、1と2の写真の間のカットです。
 作業員のように、乗ってみたい。。。
イメージ 3

 
(1972/8/6 吉松)

初めて会ったC55 吉松駅にて

2012-02-12 17:36:55 | 吉都線・肥薩線70s
九州の旅を進めることにいたします。
昭和47年8月3日の夜、東京から夜行大垣行で関西本線に入り、

加太越えを撮影したその日の夜行で GO WEST!
隣に座った兄ちゃんのナンパ事件(笑)を目撃した博多の朝については、
1/28に書きました。 (→ こちら )

さらに夜行の旅は続きます。
筑豊本線で半日ほど撮影した日の夜、今度は日豊本線で南九州を目指しました。
夜行連泊3日目になります。若かった!
しかし、これがまたヘビーな夜となりました。


当時の夜行急行といえば、急行日南?だったでしょうか。満席でした。
窓際の席に腰を下ろして、今夜はどんな方々とボックス席を共にするのだろうと

思っていると、どやどやと乗ってきたのは、おじいちゃんおばあちゃん達でした。
前日とはうってかわった雰囲気です。
鹿児島か宮崎か、地元に帰るらしい5~6名の一団で、にぎやかでした。
そんな中に青二才の高校生がポツンと一人。

参ったなぁ~、目立たないように、、、なんて無理な話で(笑)。

発車してしばらく彼らの会話が続いたあと、案の定私の方に彼らの視線が
移って、、、来たぁ、、、と緊張が走った直後、「%#&*※☆?」と。
「えっ???」真っ青です。ココハニッポン?だよなぁ。。。
お年ということもあるのでしょうけれど、方言がきつくてまったく理解できません

でした。
気弱な高校1年生は、聞きなおす度胸などなく、愛想笑いみを浮かべて、

いえ、半分ひきつっていたと思うのですが、え、えぇ、と声になるようなならない
ような蚊の鳴くような声ではにかんでいました。
何回話しかけられても、どの言葉もよく分からなくて。

彼らにしてみれば、物珍しさや興味だけでなく、気を遣ってくれたというか、
まぁ、これが自然な普通のことだと思いますし、言葉さえ分かれば
私も旅の道連れ、他の方と話すのは嫌いではなかったのですけれど、
さすがにこれはちょっと辛かったです。
おまんじゅうだったか、何か食べ物もいただいたように思います。


さすがに、会話にならないと思ってくれたのか(笑)、しばらくして解放してくれて、
そもそも夜行ですから、やがてみな眠りについて、
静かな車内にレールの継ぎ目を通る車輪の音だけが規則正しく響き、
汽車は南を目指しました。
地元の方々と触れ合ったいい思い出です。
また道中記が長くなってしまいました。

 
どこで降りたのか記憶も記録もないのですが、ネガに写っている筑豊の
次のコマは、吉松機関区の風景でした。
ということは、都城で降りて吉都線で吉松に行ったのだろうと思います。
そしてしばらくしてやって来た、最初に撮ったのが、このC5557でした。
生まれて初めて見るC55、とても嬉しかった思い出の1枚です。

イメージ 1
 
吉松駅構内に進入してきたC5557
(1972/8/6 吉松)