goo blog サービス終了のお知らせ 

たかちねっとブログのアーカイブ

好きな旅と鉄道の記録と記憶を綴ってきたヤフーブログからアーカイブとして移転しました。
よろしくお願いいたします。

羽越本線の旅(5) ~うろうろ・うえつ~

2012-01-12 22:44:33 | 羽越本線70s
イメージ 1イメージ 2前回は坂町から北上するところまででした。それから数日の間は、知り合いの家を拠点にして羽越本線を行ったり来たり、すでに掲載したようにC61を撮りに大館機関区にも足を伸ばしたりしました。当時、撮影ポイントは鉄道雑誌などで知る時代でしたが、この時は行き当たりばったりの撮影行だったので、その結果として…残っている写真の多くが、駅撮り、移動の車内からの対向列車、宿泊先の近辺などなど。羽越本線でも、写っているのは海ではなくて野山や田んぼばかりです(汗)
そんなスナップ的写真をアップしていきますのでご笑覧ください。ここから先は撮った順とは関係なく、文字通りウロウロします(笑)

1.C57103
夏の暑い昼下がり、温海駅(現 あつみ温泉駅)に、これから乗る普通列車が入ってきました。C57も暑そう?です。C57で十分に嬉しいのですが、1号機じゃなくてちょっと残念、だったはずです。回転火粉止めが付いてるので、九州のC57と比べると、煙突が長く見えますねぇ。それよりも、気になるのは向こう側に停まっているディーゼル機関車です。DD53でしょうか。当時は見向きもしなかったのですが、今となってはちゃんと撮っておけばよかった!と悔やまれます。

2.D51431
温海駅から新津方面へ向かってすぐのガーター橋です(たぶん)。時間的な制約もあって笹川流れまで行けなくて、とりあえず海に近い温海駅で降り、ウロウロするうちに時間切れ。この場所で撮ることになったのかなぁ、と思います。当初は機関車にばかりに目がいってました。
(1971/8 温海)

羽越本線の旅(4) ~日本海沿いを行く~

2012-01-04 22:04:52 | 羽越本線70s
羽越本線の旅が年を越して、越年本線になってしまいました。
越冬本線にならな いよう頑張ります。
と言っても冬を越せるほどの備蓄はなく、すぐに底をつきそうです(笑)

では、坂町機関区の続きです。

1.前回のD51443が坂町駅を発車する前のひととき。

イメージ 1
 
 
2.坂町を出て、D5129が牽く列車で北上を続けました。
どこの駅か忘れましたが、行き違いの上りを待つ間の停車時間にて。
イメージ 2
 
 
3.車窓から。笹川流れのあたりかと思います。
今は海岸沿いの道路が整備されて、景色は変わったようです。
イメージ 3
 
 
4.途中で見かけたD51784。すぐ向こうは海です。
イメージ 4


夏の日差しを浴びた日本海を眺めながら、ゆったりと時間が流れ、

のんびりと汽車は走りました。
宿泊地は秋田の手前の羽後亀田だったので、
この後酒田あたりで乗り換えたかもしれません。
当日残っている写真はここまででした。

本年もこのようなペースでまいりますが、

おつき合いいただければ幸いです。
 
(1971/8/4)

羽越本線の旅(3) ~坂町機関区、時をこえて~

2011-12-30 17:10:40 | 羽越本線70s
イメージ 1イメージ 2イメージ 3イメージ 4イメージ 5大掃除も終わって、やっと本線に戻れました(笑)
坂町機関区の続きです。

1.D511100
坂町機関区所属、キリのいいナンバーです。私が初めて見た戦時型のD51でした。

2.D511133
D511100と同じく戦時型で船底テンダーですが、ドームはカマボコではありません。1100はキリのいいナンバー、こちらはゴロのいいナンバー?
順光で美しく光って見えますが、昔の磨かれた機関車は、現代の復活蒸気機関車のようなピカピカさとは違う、渋い輝きをはなっていたように思います。

3.D51443の下り列車が秋田方面へ向かって出発しました。電化の足が忍び寄り、ポールは立ってますが、架線はまだ張られていません。

4.あれから34年たった2005年の夏、坂町駅に降り立ちました。その時の気持ちを一言で表すならば…悲しい、でした。 3の写真と同じ秋田側から撮ってますが、線路をはさんで反対側からになります。真ん中に見える下りホームの屋根は当時のまま。D51443の位置は信号機手前あたりでしょうか。1・2のD511100や1133を撮ったのは、この写真の右側のあたり。今は草が生え、寂しさがつのります。何か名残りはないかと探したところ見つけたのは、右端に写っている赤茶けた屋根の建物。1の写真のD51後方に写っている建物と思われます。

5.嗚呼、つわものどもが夢の跡…。静寂につつまれた転車台と一部残った扇形庫が、活気のあった時代の名残りを静かに伝えていました。

(1-3 1971/8、4-5 2005/9 坂町)

本年の配信はこれで最後になります。ブログを始めてまだわずかですが、ご覧いただき、どうもありがとうございました。来年もボチボチとやっていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。

羽越本線の旅 ~酒の○○~

2011-12-28 21:43:40 | 羽越本線70s
ここで、ちょっと脱線します。中学生がお酒を飲んでいたわけではありません(笑)。
今回は野立て看板のお話です。

(1) 前回の1の写真のD51重連の次に、ネガには車窓から撮った風景が写っていました。
牽引するD51×2の煙のため不鮮明ですが、月岡温泉の看板が立ち並ぶ向こう側に、
DD51やD51?の姿が見えます。おそらく、新津発車直後かと思います。
 
イメージ 2

この写真をみつけ、立ち並ぶ看板を見て思い出したことがあります。
車窓から見える看板といえば、今でも山の斜面や広い畑の中とか各地にありますが、
広告効果から考えて、今は新幹線や高速道路が主流なのでしょう。
優等列車のなくなった在来線は昔に比べてその数が激減したように思います。
私が高校生の頃、東北本線でよく見かけたのが「酒の大七」の野立て看板でした。
よくあんな山の上に立てたなぁ、と感心したり、遠くに見つけたり、
探すのも結構楽しいものでした。
当時、福島までの間だったか、「酒の大七」の看板の数を数えてみたことがあります。
残念ながら結果は覚えていませんが、50、いやそれ以上あったんではなかったかと思います。

(2) 8年前、東北本線だったと思いますが「酒の大七」を久しぶりにみかけました。
地元の方から見たら、ちっとも珍しくない光景かもしれませんが、
私にとってはとても懐かしくて、思わずシャッターを切りました。
イメージ 1
 

その昔、「車窓から見た日本」という本を読んで以来、自称、車窓マニアを語っています(笑)

( (1) 1971/8/4 (2)2003/8 )

羽越本線の旅 ~新津から坂町へ~

2011-12-26 20:56:59 | 羽越本線70s
引き続き、真冬に季節はずれの夏の話題が続きます。
1971夏の秋田行の旅は、上野発上越線経由の夜行で始まりました。
列車名も覚えていませんが、かなり混んでいて通路に座っていった
ことだけが、紙芝居の1コマのように記憶にあります。
撮影記録も残してなくて、ネガ入れに書いた日付だけが唯一の記録
のため、撮影地は記憶と画像に頼るしかなく、どこで撮ったのか
不明な写真もかなりあります。

1.D51513+D51 客レ
上野発の夜行列車降りた時から~♪ 早朝、出迎えてくれたのは、

いきなりのD51重連でした。感激!したはずです(笑)。
おそらく新津駅だと思います。
眠気なんか吹き飛んで、これに乗りこみ、坂町に向かいました。
イメージ 1
 
 
2.59634
坂町に到着して、機関区に入る前、外から撮ったと思います。

右手建物は扇形庫の端です。
イメージ 2
 
 
3.扇形庫には9600型達が骨を休めていました。
イメージ 3
 
 
4.49681
後ろ姿に威厳を感じます。古老健在なり、といった感じでした。

イメージ 4
 
 
5. 形式入りナンバープレートって、美しいですねぇ。
イメージ 5


運転免許を持っていたら、この後米坂線に足を延ばしたかも
しれませんが、日程的にも余裕がなく、
米坂線のキュウロクとの出会いはこれが最初で最後になりました。


(1971/8/4 撮影)