「プレシャス」
TOHOシネマズ・シャンテにて。
監督・リー・ダニエルズ
以前から観たいと思っていた本作をようやく観ることが出来ました。
人間は、自分が産まれる場所や環境、肌の色を自分で選ぶことが出来ません。
ある者はその環境に同化してポジティブな人生を(たとえそれが敷かれたレールの上だとしても)送ることができるかもしれない。
また、ある者は産まれた環境に抗い、麻薬中毒の友達の仲間に入るかもしれない。
この映画(原作はサファイアという詩人の、自らがハーレムで読み書きを教えた体験を基に書いた小説「Push」(邦題プレシャス))の主人公、クレアリール・プレシャス・ジョーンズ(ガボレイ・シディベ)は、ニューヨーク、ハーレムに住む16才の少女。
ところが彼女は妊娠をしていて、父親は実の父なのです・・。
これが2度目の妊娠で、一人目を身篭った時プレシャスは12才、父親は同じ・・。
そして父親は行方知れず。
家では母・メアリー(モニーク)による肉体的及び精神的虐待・・。
プレシャスは16才だが、まだ中学校に通っている。字が読めないのだ。読む能力は備わっていても読めないのだ・・。
しかしその学校も、妊娠がバレて、退学処分。
彼女は“イーチ ワン ティーチ ワン”という代替学校へ行くことに・・。
恐る恐る行ったそこにいたのは、理由は違えども何らかの問題で普通の学校に通えない“仲間”と、レイン先生(ポーラ・パットン)だった。
映画「プレシャス」では、現代(アメリカでは特に'90年代以前らしいですが)の社会の隅で、女性たちが抱えているコンプレックス(特に太った黒人女性を蔑視する風潮が強かったらしい)、荒んだ家庭環境、家庭内暴力、性的虐待、ままならぬ教育、HIV感染と、これでもかというくらいにネガティブな要素が主人公を襲います。
監督はこのプレシャスという少女に、全世界でネガティブな要素で苦しめられ、虐げられている女性たちの姿を投影したのだと思うのです。
ストーリー終盤で流れる主人公の涙が、全ての女性の涙なんだな、と思い、胸が詰まりました。
しかし主人公プレシャスは、代替学校で出会った恩師レインに、「自分を表現してもいいんだ」と、気付かせてもらったことで、闇の中に小さな光を見たのではないかと思います。
“イーチ ワン ティーチ ワン”
観終わってなにかとても爽やかな気分になれる作品でした・・。
ひきばっち的満足度★★★★☆
TOHOシネマズ・シャンテにて。
監督・リー・ダニエルズ
以前から観たいと思っていた本作をようやく観ることが出来ました。
人間は、自分が産まれる場所や環境、肌の色を自分で選ぶことが出来ません。
ある者はその環境に同化してポジティブな人生を(たとえそれが敷かれたレールの上だとしても)送ることができるかもしれない。
また、ある者は産まれた環境に抗い、麻薬中毒の友達の仲間に入るかもしれない。
この映画(原作はサファイアという詩人の、自らがハーレムで読み書きを教えた体験を基に書いた小説「Push」(邦題プレシャス))の主人公、クレアリール・プレシャス・ジョーンズ(ガボレイ・シディベ)は、ニューヨーク、ハーレムに住む16才の少女。
ところが彼女は妊娠をしていて、父親は実の父なのです・・。
これが2度目の妊娠で、一人目を身篭った時プレシャスは12才、父親は同じ・・。
そして父親は行方知れず。
家では母・メアリー(モニーク)による肉体的及び精神的虐待・・。
プレシャスは16才だが、まだ中学校に通っている。字が読めないのだ。読む能力は備わっていても読めないのだ・・。
しかしその学校も、妊娠がバレて、退学処分。
彼女は“イーチ ワン ティーチ ワン”という代替学校へ行くことに・・。
恐る恐る行ったそこにいたのは、理由は違えども何らかの問題で普通の学校に通えない“仲間”と、レイン先生(ポーラ・パットン)だった。
映画「プレシャス」では、現代(アメリカでは特に'90年代以前らしいですが)の社会の隅で、女性たちが抱えているコンプレックス(特に太った黒人女性を蔑視する風潮が強かったらしい)、荒んだ家庭環境、家庭内暴力、性的虐待、ままならぬ教育、HIV感染と、これでもかというくらいにネガティブな要素が主人公を襲います。
監督はこのプレシャスという少女に、全世界でネガティブな要素で苦しめられ、虐げられている女性たちの姿を投影したのだと思うのです。
ストーリー終盤で流れる主人公の涙が、全ての女性の涙なんだな、と思い、胸が詰まりました。
しかし主人公プレシャスは、代替学校で出会った恩師レインに、「自分を表現してもいいんだ」と、気付かせてもらったことで、闇の中に小さな光を見たのではないかと思います。
“イーチ ワン ティーチ ワン”
観終わってなにかとても爽やかな気分になれる作品でした・・。
ひきばっち的満足度★★★★☆
>見終わってからいろいろ考えていくうちに
良い映画だったな、と思うようになりました。
この作品で監督(もしくは原作者)は、ありとあらゆる不幸な要素をプレシャスにあえて背負わせたのだと思います。
それによって観ている者が、1つでも自分と共感できたら、と作り手は考えたのではないでしょうか。
映画「プレシャス」は、観終わって感じられたかと思うのですが、悲劇のようであって、私には悲劇とは映りませんでした・・。
ガボレイ・シディベ演ずる“プレシャス”がラストで見せたポジティブな姿勢は、私に「勇気」と「希望」を感じさせてくれました。
>映画を見てあらためて、教育ってありがたいものなのだと思いました
同感です!「受験」や「偏差値」などという物とは違う次元で、“教育”ってありがたいな~、と思いました。
とくに「読み、書き」ってとても大切なのだな~と、この作品を観て痛感いたしました!
見終わってからいろいろ考えていくうちに
良い映画だったな、と思うようになりました。
私の世代では、試験の結果が悪かったとか、受験のプレッシャーで自殺する子が多かったですよ。
映画を見てあらためて、教育ってありがたいものなのだと思いました。
これでもかと言うほどの不幸、不運に見舞われますが、観終った時、何故かポジティブな気持ちになる、不思議な力を持った作品だと思いました。
ラストでみせたプレシャスの前向きな姿勢と、彼女を取り囲む温かな女性たち(ケース・ワーカー、レイン先生、代替学校の仲間たち)のおかげなのだな・・と、男として恐縮するばかりでありました・・。
母・メアリーは別としても、
プレシャスを支えてくれるケースワーカー、レイン先生、そして“イーチ ワン ティーチ ワン”の仲間たち・・・全て女性なんですよね~・・。男として、襟を正せ!と言われているようで、恐縮してしまいます・・。
唯一、レニー・クラビッツが演じた看護師がいたので、ちょっとホッといたしました・・。
主人公の背負わされたものの惨さに、かなりショックを受けました。
そして、それでも前を向こうとする主人公の強さに胸を打たれました。
観終った時、彼女にパワーをもった気になりました☆
HIVに感染してしまったプレシャスと
性的虐待で生まれた子供達の未来は明るいとは言えないかもしれないけど
自分の事を理解しようとしてくれる先生や
親身になって話を聞こうとしてくれるケースワーカーと出会い、
プレシャスは母・メアリーの胸中を知る事が出来た事で
スッキリした気持ちで歩み出す事が出来たのでしょうね。
私もそう思います。
ネガティブな要素を全てプレシャスに投影することによって、この映画を見る全ての女性たち(子供たち)には、どれかの要素が自分にあてはまることになると、監督(あるいは原作者)は思ったのでしょう。
>持ってない人は持っている人に対しての「意識」だとか「偏見」とかが生まれてしまっている
日本は島国で、他の国々から比べると単一民族性が高い国なので、裏を返せば、異人種や異文化に対する「差別」の意識が、無意識のレベルであたりまえのように存在するような気がします・・。
アメリカのような多民族国家はその「差別」や「偏見」が顕在化して、事実上大きな格差が生まれているだけに、本作のように「教育」の重要性が再認識されるのだと思います。
しかし、高校生の頃にもなると、「偏差値が上がった・・」だの、「有名大学へ行かなくては・・」だの・・歪んだ世界ですよね。
自分が恥ずかしい限りです・・(T_T)。
しかし、全て投影させたことに意味があるのかもしれません。
気がつかないうちに、プレシャスが抱えているどれかを自分も持っていて、そして持ってない人は持っている人に対しての「意識」だとか「偏見」とかが生まれてしまっている。
自分ならどうするか? という問いを投げかけられているようでした。
きちんと教育を受けて職業に就くこと。日本にいると簡単なようにも見えますが、複雑なアメリカ社会ではそうもいかないんですね。それを難しくしている要因もまた、差別だったりします。
そしてレイン先生のような人との出会いというものが運命を左右するほど大切ななんだと痛感しました。
この作品を観ると、「偏差値が1上がった、下がった」などというレベルで一喜一憂していた自分が恥ずかしくてなりません。
また、「チャンスの国、アメリカ」という側面ばかりを見てアメリカに単純に憧れていた自分の愚かさ加減に呆れます。
1987年といえば日本はバブルの絶頂期ですね・・。二の句が継げません・・。