テレビコマーシャルをみていて、少し違和感を感じた。
排水溝のパイプ掃除の洗剤のコマーシャル。
「家族のものとはいえ、触りたくない髪の毛も溶かして流します。」
環境的にも問題だと思いますが、それ以上に、家族のものとはいえ触りたくない、という言葉。
確かにそうかもしれないけど、多少不潔なものでも掃除というのは、しなければならないもの。
それなら、公共のトイレの掃除をしてもらっている人はどうなるの?
「お父さんの下着と一緒に洗ってほしくない。」という子供の発言をテレビで聞くと、少し嫌な気持ちになる。
私は小学生の頃、先生の教えで、男子用小便器のお皿を雑巾で手で掃除した。
掃除等に厳しい先生だったが、今では、いい教えを受けたと思っている。
汚いところでも掃除する。
自分もそういうものを排出するのであるから当然なのではないか。
こういうコマーシャルはやめてほしい。
教育とはそういうところも大事なのではないだろうか?
排水溝のパイプ掃除の洗剤のコマーシャル。
「家族のものとはいえ、触りたくない髪の毛も溶かして流します。」
環境的にも問題だと思いますが、それ以上に、家族のものとはいえ触りたくない、という言葉。
確かにそうかもしれないけど、多少不潔なものでも掃除というのは、しなければならないもの。
それなら、公共のトイレの掃除をしてもらっている人はどうなるの?
「お父さんの下着と一緒に洗ってほしくない。」という子供の発言をテレビで聞くと、少し嫌な気持ちになる。
私は小学生の頃、先生の教えで、男子用小便器のお皿を雑巾で手で掃除した。
掃除等に厳しい先生だったが、今では、いい教えを受けたと思っている。
汚いところでも掃除する。
自分もそういうものを排出するのであるから当然なのではないか。
こういうコマーシャルはやめてほしい。
教育とはそういうところも大事なのではないだろうか?
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