蒸し暑くなってきました。
梅雨らしく、どんよりとした天気が続きます。
今朝も、少し雨が降りました。
九州は記録的な雨が、毎年のように更新されるような気がします。
昔も今も同じだと思いますが、若者と、年配の人との意見の相違はあります。
最近は、どうなのでしょうか?
世代間ギャップも細分化されています。
私と息子の間でもかなり考えの差があります。
この頃、息子がテレビのニュースをみて、よく過激な発言をします。
「アホか、何でそんなこと言うんや!!」って、私が言いますが、
私も考え方は違う部分はあれ、この頃は、とにかく、親世代に反発を覚えたものだなぁ、とも思います。
先日の大阪市の市と府の統合に関する賛否を問う投票に関しても、
「70代以上の人が、反対が多い。」という結果に対して、
「老害」と息子は発言しました。
思いやりのない、言葉を発する人に育てた私の責任も痛感する一方で、息子の意見である、
「将来のことを決めているのに、将来、先の長い世代の意見が何故、反映されないのか?」と
言うのも、一理あるとは思います。
先人の言うことを聞かなければいけないこともあります。
年配の人の経験を生かす必要もあると思います。
ただ、私なんかも思うのですが、もう過去の人のはずの、会社のOBのような顧問や相談役が、
意見してくることを、快く思いません。
国や公と違い、特に私企業では、口出しすべきではないと思います。
しかし、公は違います。
超高齢化社会を迎えるにあたって、我々はどう対処していけばいいのでしょうか?
年金問題もそうですが、頑張ってきた世代なので見返りあって当然だ、とも言えないような気もします。
確実に、若者には負担を強いていながら、彼らには、その恩恵はかえって来ないとも思われます。
私は、年金制度というのは、「相互扶助制度」なので、そもそも、
「払ってきた分よりも、戻ってくる分が少な過ぎる。」なんていう意見を言うこと事態間違っていますし、
そもそも、「戻ってくる分が多い」人が、多く存在することが、不思議です。
もともと、基金があったわけではなく、保険料をまわすことだけでスタートした制度。
破談をきたすのも当たり前かもしれません。
世代間ギャップ。それぞれの立場があり、それぞれの言い分があります。
それぞれの世代が意見を言い合える場があればいいのですが、それにしては、議員の年齢は高すぎるのかもしれません。
梅雨らしく、どんよりとした天気が続きます。
今朝も、少し雨が降りました。
九州は記録的な雨が、毎年のように更新されるような気がします。
昔も今も同じだと思いますが、若者と、年配の人との意見の相違はあります。
最近は、どうなのでしょうか?
世代間ギャップも細分化されています。
私と息子の間でもかなり考えの差があります。
この頃、息子がテレビのニュースをみて、よく過激な発言をします。
「アホか、何でそんなこと言うんや!!」って、私が言いますが、
私も考え方は違う部分はあれ、この頃は、とにかく、親世代に反発を覚えたものだなぁ、とも思います。
先日の大阪市の市と府の統合に関する賛否を問う投票に関しても、
「70代以上の人が、反対が多い。」という結果に対して、
「老害」と息子は発言しました。
思いやりのない、言葉を発する人に育てた私の責任も痛感する一方で、息子の意見である、
「将来のことを決めているのに、将来、先の長い世代の意見が何故、反映されないのか?」と
言うのも、一理あるとは思います。
先人の言うことを聞かなければいけないこともあります。
年配の人の経験を生かす必要もあると思います。
ただ、私なんかも思うのですが、もう過去の人のはずの、会社のOBのような顧問や相談役が、
意見してくることを、快く思いません。
国や公と違い、特に私企業では、口出しすべきではないと思います。
しかし、公は違います。
超高齢化社会を迎えるにあたって、我々はどう対処していけばいいのでしょうか?
年金問題もそうですが、頑張ってきた世代なので見返りあって当然だ、とも言えないような気もします。
確実に、若者には負担を強いていながら、彼らには、その恩恵はかえって来ないとも思われます。
私は、年金制度というのは、「相互扶助制度」なので、そもそも、
「払ってきた分よりも、戻ってくる分が少な過ぎる。」なんていう意見を言うこと事態間違っていますし、
そもそも、「戻ってくる分が多い」人が、多く存在することが、不思議です。
もともと、基金があったわけではなく、保険料をまわすことだけでスタートした制度。
破談をきたすのも当たり前かもしれません。
世代間ギャップ。それぞれの立場があり、それぞれの言い分があります。
それぞれの世代が意見を言い合える場があればいいのですが、それにしては、議員の年齢は高すぎるのかもしれません。