先日、近くのコンビニから車で出ようとしていたときのことです。
1台の車があらぬ方向からあらぬ方法で強引に駐車場へ入ってきました。駐車場にはもう1台の車が動き始めていたので、タカ長はその車とタイミングを合わせようとしていたのですが、その車はそのようがことにはお構いなし、とにかく強引に入ってきました。
このような事故になったわけではありませんが、その車を泰然とみながら、タカ長はそのドライバーの人生が見えたように感じたのです。こらぁ、バカヤロー、なんて思いませんでした。
あのドライバーさんの人生はうまくいっていないだろうなぁ、と高いところから見下ろすように感じていました。関大徹禅師は言います。
若者にかぎらず、人はみな「明日」がわからない。明日、どうなっているかわからないが、仏教の法則にしたがうなれば、今日は、過去世から昨日にいたるまでの長い長い「業」の流れのなかの結果があらわれているのであり、明日は、今日までの「業」の成果である。明後日は、さらに明日の「業」が加わってゆくであろう。
人間、生まれ変わり死に変わりしていくうちに、善因は善果にあらわれ、悪因は、悪果にあらわれる。今日、いいことなあるのも、過去に播いたタネの果実であり、だからといって、その今日に慢心をおこして、人を悲しませたりしていると、やがて、いつかの日に報いてくる。
世の中にはおかしなことをする人もいますが、そのような人に出逢うたびにイラつくこともないのでしょう。そのようなことに出逢うたびにストレスを感じるのは「損」というものです。
と、偉そうなことを言っていますが、あのときは不思議に「バカヤロー」とは思いませんでした。