長女の葬儀は「家族葬」にしました。しかし、タカ長もタカカノも家族だけで長女を送るのは淋しすぎると思っていました。
長女はたくさんの友だちを持っていました。その中には学生時代から名前を聞いている親友もいました。そのような人たちに見送られることなく去って行くのは耐え難い気持ちでした。
あの子を愛し、可愛がって下さった人たちに、親として感謝の気持ちを伝えないなんて人の道に外れると言う思いもありました。

そのように考えても具体的な手立てが見つかりませんでした。しかし、有難いことに、長女の状況が悪くなったころお友だちの一人が拙宅を訪ねて下さり、そのことをきっかけに長女を送る準備が出来ました。
葬儀には親族とほぼ同数の友だちが会葬して下さいました。その人たちの前で話したのも感謝の言葉だけです。喪主の挨拶としては異例だったかも分かりませんが、タカ長たちにはどうしても必要なことでした。
友だちの多かった長女からみたら、友だち代表のなかの代表に会葬して頂いたと言うことでしょうが、親としてはそれで心のつかえが下りた感じです。

上手に出来たかどうかはタカ長には分かりませんが、何かと口うるさいタカカノが何も言わないので合格点だったことにしています。
このご時世でもあり、ささやかな葬儀しか出来ませんでしたが、家族葬と言う名前の「友だち代表葬」が出来て満足しました。
長女はたくさんの友だちを持っていました。その中には学生時代から名前を聞いている親友もいました。そのような人たちに見送られることなく去って行くのは耐え難い気持ちでした。
あの子を愛し、可愛がって下さった人たちに、親として感謝の気持ちを伝えないなんて人の道に外れると言う思いもありました。

そのように考えても具体的な手立てが見つかりませんでした。しかし、有難いことに、長女の状況が悪くなったころお友だちの一人が拙宅を訪ねて下さり、そのことをきっかけに長女を送る準備が出来ました。
葬儀には親族とほぼ同数の友だちが会葬して下さいました。その人たちの前で話したのも感謝の言葉だけです。喪主の挨拶としては異例だったかも分かりませんが、タカ長たちにはどうしても必要なことでした。
友だちの多かった長女からみたら、友だち代表のなかの代表に会葬して頂いたと言うことでしょうが、親としてはそれで心のつかえが下りた感じです。

上手に出来たかどうかはタカ長には分かりませんが、何かと口うるさいタカカノが何も言わないので合格点だったことにしています。
このご時世でもあり、ささやかな葬儀しか出来ませんでしたが、家族葬と言う名前の「友だち代表葬」が出来て満足しました。