自宅に帰る道すがら、桜がはらはらとコートに
降りかかります。
私の住んでいる街は横浜でも有名な桜の名所。
丁度一年前のこの時期、空も見えないくらいの見事な
桜を一緒に見ながら兄がぽつっと
「後何回、この桜をみれるかな」と申しました。
その兄も今はもういません。
桜を私はあまり好きではありません。
あの清々しい美しさは綺麗だと思いますが
その散り際の潔さに戦時中は命の散り際と比べられ
「貴様と俺とは同期の桜・・・・・
見事散りましょ、国の為」などと称えられたのが
いつも引っかかっているのです。
桜は日本の「国花」
これからは幸せの象徴になって欲しいものです。
降りかかります。
私の住んでいる街は横浜でも有名な桜の名所。
丁度一年前のこの時期、空も見えないくらいの見事な
桜を一緒に見ながら兄がぽつっと
「後何回、この桜をみれるかな」と申しました。
その兄も今はもういません。
桜を私はあまり好きではありません。
あの清々しい美しさは綺麗だと思いますが
その散り際の潔さに戦時中は命の散り際と比べられ
「貴様と俺とは同期の桜・・・・・
見事散りましょ、国の為」などと称えられたのが
いつも引っかかっているのです。
桜は日本の「国花」
これからは幸せの象徴になって欲しいものです。
桜ってそれぞれ自分なりの思い出が重なる花ですね。
私は4月2日に生まれたのに、「3日がお花見の日なのでその日に届けた」と父が言っていました。
自分にも「あと何回桜が見られるのか」問い掛ける歳になりました。
桜に対する思いは人それぞれですね。
私は4月2日に生まれたのですが「3日が花見の日なのでその日に届けた」様な事を父から聞きました。
早いですね、もうあれから一年。
そうでしたあの時も新人研修の真っ只中で
たまたま宿泊研修の代々木青少年センターから
代々幡斎場に伺ったんでしたね。
なんだかついこの間のような気がします。
残るものです。
母の彼岸花、兄のひまわり、父のコスモス。
私にとっては懐かしい想いばかりです。