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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

曽我蕭白 展

2021-11-21 15:16:31 | イベント・展覧会
本日(11月21日)の気ノ池

常緑樹の中に、淡い色づきが見られるようになりました。


本21日は〈弘法市〉と日曜日が重なり、

覚王山・日泰寺は大変な賑わい。

               

この角度から観ますと、背後に立つテレビ塔が艦橋にも観えて、
どこか “ スペースシップ ” を想わせるこちらの建造物は、

名古屋市の中心部・栄にある商業施設〈オアシス21〉。
オーバル状の屋根が特徴的な人気スポットであります。

この〈オアシス21〉を背にして東側へ向き直りますと、
すぐ目の前に建つのが、こちらの愛知芸術文化センター。

1階には大ホールがあり、
現在でこそコロナ禍によって公演数は減っているようですが、
国内外のオーケストラが演奏する、響き豊かなホールと聞きます。

この愛知芸術文化センターの10階に広がる、
愛知県美術館で開催中(本日11/21まで)の、

〈曽我蕭白(そが しょうはく)〉展に行ってまいりました。

               

日本美術史上、他に類例を見ない圧巻の作風を以て、
「奇想の絵師」と呼ばれる曽我蕭白(1730~1781)。
早川は今を去る9年前の2012年、
当時在住しておりました千葉県内に在る千葉市美術館で開催された、
曽我蕭白展においてその絵画に触れ、度肝を抜かれました。

今回も又、その圧倒的な画力に打たれ、度肝を抜かれたのですが、
この度はそれのみに留まらず、それぞれの画幅に対する説明と、
公式図録に寄稿された、蕭白研究における碩学の方々による、

博覧強記にして閃光が迸るような解説論文によって、
絵画に込められた蕭白の想い、蕭白のメッセージといったものを、
深く知ることが出来ました。

特には、江戸東京博物館学芸員:春木晶子氏の、

『曽我蕭白筆「郡仙図屏風」に見る「女」の願い』

と題された寄稿論文は、ネオ博物学といった趣があり、
かつて南方熊楠(1867〜1941)が、世界に生起する全ての現象は、
仮に『萃点(すいてん)』と呼ぶ〈事象の交叉点〉において交わり、
そして繋がっている・・・と説いたことを彷彿とさせるもの。
それは、
蕭白絵画に描かれた一木一草に至るまで入念に調査され、
その一つ一つに宿る意味と、作者の意図に対して、
微に入り細に入り解釈が施されることによって、
ともすると「奇想の絵師」というキャッチフレーズによって、
覆い隠されてしまう曽我蕭白の本質・本領というものを明らかにし、
“ 蕭白の宇宙 ” を私たちに伝えてくれるものでありました。

『中世から近世にかけての屏風の画面構成を、
 従来の山水、人物、花鳥の別なく、見直すことがもとめられる。
 なぜならそうした区分は、絵に織り込まれた多重の層の
 もっとも浅い表層のみに わたしたちの目を向けさせ、
 その奥にある多重の連環から目を逸らせてきたためだ。』
(春木晶子著『曽我蕭白筆「郡仙図屏風」に見る「女」の願い』
 曽我蕭白展・公式図録より)

絵画・音楽・文学に限らず、およそ事象全般・森羅万象は、
「多重の連環」に支えられ「多重の連環」によって為されるもの。
学問というものが、古来よりどうしても採用せざるを得ない、
種別・分類・区分といった手法には、
本来豊かなはずの世界、融通無碍の世界、万物照応の世界を、
かえって狭苦しいものに閉じ込める危険性がある・・・、
そのような警句にも感じられました。

ともかく、一枚の絵画の中に、
かくも深い意味やメッセージが秘められていたのか・・・と、
目から鱗の落ちる想いでありました。


曽我蕭白「雪山童子(せっせんどうじ)図」明和4年(1767)頃
鬼の部分(会場で購入したダイカット・ポストカードを撮影)

250年前に描かれた鬼とは思えません。


曽我蕭白「許由巣父(きょゆうそうほ)図襖」明和4年(1767)頃
牛の部分(会場で購入したダイカット・ポストカードを撮影)

この牛の瞳が、最高にキュート!



               







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