名古屋駅から東海道本線・豊橋行き快速に乗ること約45分。

降り立ちましたのは蒲郡(がまごおり)駅。
蒲郡駅南口から出て海沿いの道を歩くこと約15分。
竹島水族館が見えてまいりましたが、

本日の目的地は竹島水族館ではございません。
水族館を通り過ぎ、炎天下に歩みを進めますと、
おぉぉ・・観えてまいりました。

早川が向かっておりますのは、あの海上の小島。
竹島(たけしま)であります。

竹島へと掛けられた歩道橋の長さは387メートル。
さ、それでは心気を静めて参りましょう。

「心気を静めて」と申し上げましたのには理由がございます。
ここは島全体が神々の鎮まる聖地。

八百富(やおとみ)神社であります。
御祭神は “ 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)” 。
御存知の通り、
宗像三女神(むなかたのさんじょしん)のおひとりで、
古来 “ 弁才天 ” と習合し同一視されてきた尊格ゆえに、
通称「竹島弁天」。

上掲の御由緒および社伝等によりますと、
今を遡ること約900年前の西暦1145年、
朝廷から三河守(みかわのかみ)を命じられ、
藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が、この地に赴任します。
俊成の治世手腕は優れていたようで、
未だ草深く未開だった三河の地を経済的文化的に拓いてゆきます。
国司として三河に赴任してから36年後の養和元年(1181)、
その時点で俊成は既に官を辞し出家していたものの、
かねてより俊成の眼には、三河湾に浮かぶ小さな島が、
かの琵琶湖 “ 竹生島(ちくぶじま)” と重なっていたものか、
竹生島に自生する竹を移し植え竹生島の弁才天を勧請します。
こうして竹島弁才天信仰が発祥したのだそうですが、
竹島弁天開創に尽力された藤原俊成卿の銅像が、
竹島の対岸に建っていました。

早川は無学にして俊成卿を存じ上げませんでしたが、
知らなかった人物や出来事を知ることができるのも、
神社仏閣を始め歴史遺構・歴史遺産を訪ねる喜び。
今回、俊成卿について聞きかじってみましたところ、
いやいや硬軟取り混ぜて実に魅力的な人物なのであります。
その辺りはいずれまた稿を改めるとしましても、
今を去る900年前の平安時代後期において、
驚くなかれ “ 90歳 ” まで生きておられます。
因みに明治時代の1万円は、現在の2億円に相当しますが、
平安後期の90歳は、現在の年齢に換算しておいくつ?
ま、それはともかく養和元年(1181)の創建から、
およそ600年程の歳月が流れた享保20年(1735)。

「八百富」の御神号が下賜され「八百富神社」へ。
石段を昇ってまず最初に拝ませて頂くのが宇賀神社。

御祭神は “ ウカノミタマノカミ ” 。
「宇迦之御魂」とも「倉稲魂」とも記述される穀霊神。
弁財天の聖地に祀られるウカノミタマノカミであれば、
自ずと「宇賀神弁才天」が思い浮かびます。
こちらは、

大黒天を祀る大黒神社。
こちらは千歳(ちとせ)神社。

先に触れました藤原俊成卿が祀られています。
引きのアングルを撮り忘れましたが、
こちらが八百富神社の本殿。

夏休みとあって、
お子様連れの御家族が多く御参拝でした。
本殿から奥へと進みますと、

八大龍神社。
八大龍神社から更に歩みを進め、

島の南端、龍神岬へとやってまいりました。
龍神岬からは三河湾が一望出来ます。
耳に届くのは、

竹島の松葉を強く弱く吹き抜ける風の音、
竹島の浜に大きく小さく寄せ返す波の音。
それら全ての音は、

弁才天が奏でる琵琶の音とも想われてまいりました。
(写真は八百富神社の弁天みくじ)



人間には “ 意識 ” というものが有りますので、
意識が生じれば、意識が向かう “ 対象 ” が生じ、
対象が生じれば、対象へ向かう “ 意識 ” が生じます。
例えば人は、水に生かされ、水に洗われ、水に養われと、
水の恩恵に浴しながら暮らしを営んでいるわけですが、
だからと言って常に水の恩恵を意識することはありません。
観方を変えれば、水を使い、水に生かされていることが、
日常として当たり前であるがゆえに、
かえって意識できないということかも知れません。
ただ時折、水の働き、水の徳性といったものに気付き、
あぁ有り難いなぁ・・・と心から思ったり感じたりします。
この「水への感謝」という意識が芽生えた場合、
では、その「感謝」や「祈り」といった意識は、
一体どういった対象に向かうのでしょうか、或いは、
どういった対象に向けられるのが良いのでしょうか。
水道の蛇口や地中の水道管に向かって「ありがとう」、
浄水場を訪れて柵の外から大きな声で「ありがとう」等々、
そういったことも悪くはないのかも知れませんが、
それは水道設備・社会的インフラへの感謝であって、
“ 水そのもの ” への感謝では無かろうと思います。
太古の昔から、水への感謝、水への祈りといった、
言わば “ 敬虔な意識 ” を内界に灯した人々は、
水源、湧水地、泉、河川、滝、湖、海といった、
水場、水辺、水に纏わる場所を訪れ、拝み、祈り、
何らかの祭祀を行ってきました。
そうした祭りごとが積み重なってゆく中で、
“ 水そのもの ” を神格化するという心的作業が繰り返され、
少しずつ少しずつ “ 水の尊格 ” がイメージされ、形を為し、
共同幻想として立ち上がり、時に図像化され、彫像化され、
複数人あるいは大勢に共有され、

やがて「市杵島姫命」「弁才天女尊」「八大龍王」といった、
尊称が付けられ成立していったものと思われます。
つまり、水への感謝、水への祈りといった、
どこか曖昧かつ漠然としていた “ 意識 ” が向かうに相応しい、
確固たる “ 対象 ” が、
長い歳月をかけて生み出されていったということであります。
・・・と、こうクダクダしく書いている内に、
何を書いているのか分からなくなるのが早川ですので、
そうなる前に、本日申し上げたかったことを記します。
私たち命ある存在は、水に生かされ水に育まれています。
洗う、浄める、流す、恵む、養う、育てる、繋ぐ、溶かす等々、
水の働き、水の徳性を想う時、人の内界には、
自ずと水への感謝、水への祈りといった敬虔な意識が生まれ、
そうした敬虔な意識が向かう対象として、

市杵島姫命、弁才天女尊、八大龍王等々、水に纏わる尊格が、
ある意味「便宜的に」生み出されてきました。
便宜的な尊格が存在しなければ、
敬虔な意識は、その向かう先を見出すことが出来ません。
では便宜的な尊格の母体である「本来的な」尊格、
言わば “ 真の本尊 ” とは何でありましょうか。
それこそは、目の前に広がる茫漠たる天地、アメツチ。

名付けようもない存在に名付ける愚かさを自覚しつつ、
大宇宙、大地球、大自然、大生命、大神仏、大音楽とでも。
『心海よ、汝らが我らをして「龍王よ、龍神さまよ」と、
何かにつけ拝んでくれること、悪い気はせぬ。
されど宇宙は宇宙の如し、時空は時空の如し、
現象は現象の如し、生命は生命の如し、事物は事物の如し。
我ら龍族とて例外ではない。龍神は龍神の如く在り、
心海、汝もまた汝の如きものとして存在しておるのだ。
一切は一切の「如く」現われておるに過ぎぬと知り、
「如きもの」を「まことのもの」と思うは誤りと気付き、
「如きもの」を通して「まことのもの」を拝むが良い 』

皆様、良き日々でありますように!







降り立ちましたのは蒲郡(がまごおり)駅。
蒲郡駅南口から出て海沿いの道を歩くこと約15分。
竹島水族館が見えてまいりましたが、

本日の目的地は竹島水族館ではございません。
水族館を通り過ぎ、炎天下に歩みを進めますと、
おぉぉ・・観えてまいりました。

早川が向かっておりますのは、あの海上の小島。
竹島(たけしま)であります。

竹島へと掛けられた歩道橋の長さは387メートル。
さ、それでは心気を静めて参りましょう。

「心気を静めて」と申し上げましたのには理由がございます。
ここは島全体が神々の鎮まる聖地。

八百富(やおとみ)神社であります。
御祭神は “ 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)” 。
御存知の通り、
宗像三女神(むなかたのさんじょしん)のおひとりで、
古来 “ 弁才天 ” と習合し同一視されてきた尊格ゆえに、
通称「竹島弁天」。

上掲の御由緒および社伝等によりますと、
今を遡ること約900年前の西暦1145年、
朝廷から三河守(みかわのかみ)を命じられ、
藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が、この地に赴任します。
俊成の治世手腕は優れていたようで、
未だ草深く未開だった三河の地を経済的文化的に拓いてゆきます。
国司として三河に赴任してから36年後の養和元年(1181)、
その時点で俊成は既に官を辞し出家していたものの、
かねてより俊成の眼には、三河湾に浮かぶ小さな島が、
かの琵琶湖 “ 竹生島(ちくぶじま)” と重なっていたものか、
竹生島に自生する竹を移し植え竹生島の弁才天を勧請します。
こうして竹島弁才天信仰が発祥したのだそうですが、
竹島弁天開創に尽力された藤原俊成卿の銅像が、
竹島の対岸に建っていました。

早川は無学にして俊成卿を存じ上げませんでしたが、
知らなかった人物や出来事を知ることができるのも、
神社仏閣を始め歴史遺構・歴史遺産を訪ねる喜び。
今回、俊成卿について聞きかじってみましたところ、
いやいや硬軟取り混ぜて実に魅力的な人物なのであります。
その辺りはいずれまた稿を改めるとしましても、
今を去る900年前の平安時代後期において、
驚くなかれ “ 90歳 ” まで生きておられます。
因みに明治時代の1万円は、現在の2億円に相当しますが、
平安後期の90歳は、現在の年齢に換算しておいくつ?
ま、それはともかく養和元年(1181)の創建から、
およそ600年程の歳月が流れた享保20年(1735)。

「八百富」の御神号が下賜され「八百富神社」へ。
石段を昇ってまず最初に拝ませて頂くのが宇賀神社。

御祭神は “ ウカノミタマノカミ ” 。
「宇迦之御魂」とも「倉稲魂」とも記述される穀霊神。
弁財天の聖地に祀られるウカノミタマノカミであれば、
自ずと「宇賀神弁才天」が思い浮かびます。
こちらは、

大黒天を祀る大黒神社。
こちらは千歳(ちとせ)神社。

先に触れました藤原俊成卿が祀られています。
引きのアングルを撮り忘れましたが、
こちらが八百富神社の本殿。

夏休みとあって、
お子様連れの御家族が多く御参拝でした。
本殿から奥へと進みますと、

八大龍神社。
八大龍神社から更に歩みを進め、

島の南端、龍神岬へとやってまいりました。
龍神岬からは三河湾が一望出来ます。
耳に届くのは、

竹島の松葉を強く弱く吹き抜ける風の音、
竹島の浜に大きく小さく寄せ返す波の音。
それら全ての音は、

弁才天が奏でる琵琶の音とも想われてまいりました。
(写真は八百富神社の弁天みくじ)



人間には “ 意識 ” というものが有りますので、
意識が生じれば、意識が向かう “ 対象 ” が生じ、
対象が生じれば、対象へ向かう “ 意識 ” が生じます。
例えば人は、水に生かされ、水に洗われ、水に養われと、
水の恩恵に浴しながら暮らしを営んでいるわけですが、
だからと言って常に水の恩恵を意識することはありません。
観方を変えれば、水を使い、水に生かされていることが、
日常として当たり前であるがゆえに、
かえって意識できないということかも知れません。
ただ時折、水の働き、水の徳性といったものに気付き、
あぁ有り難いなぁ・・・と心から思ったり感じたりします。
この「水への感謝」という意識が芽生えた場合、
では、その「感謝」や「祈り」といった意識は、
一体どういった対象に向かうのでしょうか、或いは、
どういった対象に向けられるのが良いのでしょうか。
水道の蛇口や地中の水道管に向かって「ありがとう」、
浄水場を訪れて柵の外から大きな声で「ありがとう」等々、
そういったことも悪くはないのかも知れませんが、
それは水道設備・社会的インフラへの感謝であって、
“ 水そのもの ” への感謝では無かろうと思います。
太古の昔から、水への感謝、水への祈りといった、
言わば “ 敬虔な意識 ” を内界に灯した人々は、
水源、湧水地、泉、河川、滝、湖、海といった、
水場、水辺、水に纏わる場所を訪れ、拝み、祈り、
何らかの祭祀を行ってきました。
そうした祭りごとが積み重なってゆく中で、
“ 水そのもの ” を神格化するという心的作業が繰り返され、
少しずつ少しずつ “ 水の尊格 ” がイメージされ、形を為し、
共同幻想として立ち上がり、時に図像化され、彫像化され、
複数人あるいは大勢に共有され、

やがて「市杵島姫命」「弁才天女尊」「八大龍王」といった、
尊称が付けられ成立していったものと思われます。
つまり、水への感謝、水への祈りといった、
どこか曖昧かつ漠然としていた “ 意識 ” が向かうに相応しい、
確固たる “ 対象 ” が、
長い歳月をかけて生み出されていったということであります。
・・・と、こうクダクダしく書いている内に、
何を書いているのか分からなくなるのが早川ですので、
そうなる前に、本日申し上げたかったことを記します。
私たち命ある存在は、水に生かされ水に育まれています。
洗う、浄める、流す、恵む、養う、育てる、繋ぐ、溶かす等々、
水の働き、水の徳性を想う時、人の内界には、
自ずと水への感謝、水への祈りといった敬虔な意識が生まれ、
そうした敬虔な意識が向かう対象として、

市杵島姫命、弁才天女尊、八大龍王等々、水に纏わる尊格が、
ある意味「便宜的に」生み出されてきました。
便宜的な尊格が存在しなければ、
敬虔な意識は、その向かう先を見出すことが出来ません。
では便宜的な尊格の母体である「本来的な」尊格、
言わば “ 真の本尊 ” とは何でありましょうか。
それこそは、目の前に広がる茫漠たる天地、アメツチ。

名付けようもない存在に名付ける愚かさを自覚しつつ、
大宇宙、大地球、大自然、大生命、大神仏、大音楽とでも。
『心海よ、汝らが我らをして「龍王よ、龍神さまよ」と、
何かにつけ拝んでくれること、悪い気はせぬ。
されど宇宙は宇宙の如し、時空は時空の如し、
現象は現象の如し、生命は生命の如し、事物は事物の如し。
我ら龍族とて例外ではない。龍神は龍神の如く在り、
心海、汝もまた汝の如きものとして存在しておるのだ。
一切は一切の「如く」現われておるに過ぎぬと知り、
「如きもの」を「まことのもの」と思うは誤りと気付き、
「如きもの」を通して「まことのもの」を拝むが良い 』

皆様、良き日々でありますように!





