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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

音楽の由来するところは遠し

2018-01-28 14:01:13 | 音楽関係
この一週間、
日本列島は数年に一度とも言われる寒波に見舞われ、
当地におきましても連日の雪でありました。

山茶花も

雪の化粧をほどこされ・・・

               

漢字文化圏において「音楽」という言葉が初めて使われたのは、
今から二千二百年ほど前の中国・秦の始皇帝時代に著わされた
「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」と言われていて、
このように出てまいります。

『音楽の由来するところは遠し。
 度量に於いて生じ、
 太一に於いて基づく。』

「音楽が生まれる源は、
 計り知れない彼方であり、深くて遠いところにある。
 音程・音量・音色といった人間が量ることのできる音楽は、
 音楽のごく一部分であり、本当の音楽の実態は、
 仮に《太一》と名付ける宇宙の理法に基づいている。」
                      
意訳に過ぎる部分は御容赦下さい。
《太一(タイイツ)》は、
東洋思想で説かれた「宇宙の根源 / 宇宙の理法」。
なかなか分かりにくいものではありますが、古代ギリシャの
ピタゴラス学派が唱えた「宇宙のハルモニア(調和)」と同様、
当時の人々は、天文学・数学・政治学なども音楽現象と捉え、
私たち現代人が意味するところの〈音楽〉とは、
異なる音楽観を持っていたことだけは察せられます。

               

『音楽の由来するところは遠し。
 度量に於いて生じ、
 太一に於いて基づく。』

音楽は宇宙開闢から宇宙終焉に至るまで流れ続けているもの。
宇宙も世界も生命も、全ては音楽から生まれ音楽に還るもの。
ありとあらゆる存在は、
森羅万象という音楽を構成する音の一つに過ぎないものの、
その音の一つ一つが、かけがえのない音であり、
替わりがきかない音なのであります。






              










ミュシャ展

2018-01-21 14:40:40 | 日常
職場からの帰り道、名古屋・松坂屋美術館で開催中の
「ミュシャ展 ~運命の女たち~」に行ってまいりました。



チェコスロヴァキア出身の
アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)は、その少年時代、
音楽家を志していたそうで、所属していた聖歌隊の先輩には、
オペラ「イエヌーファ」や組曲「シンフォニエッタ」で知られる
レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)がいたのだとか。

また滞在先のアメリカで、ボストン交響楽団の演奏による
ベルジドフ・スメタナ(1824~1884)作曲の交響詩
「わが祖国」を聴いた時の衝撃と感銘が、
晩年の大作《スラヴ叙事詩》制作の動機の一つとなり、

同じく渡米先において、チェコ出身のヴァイオリニスト、
ヤン・クーベリック(1880~1940)と親交を深め・・・と、

ミュシャ先生は生涯に亘り、
音楽と深い関わりを持ち続けていらっしゃいます。

その精緻な構図と色彩やデザインからは、
いつ観ても豊かな音色と音響とが醸されていて、
今回もまた「眼で観る音楽」の感をあらたに。

この展覧会では、
ミュシャ先生が表紙絵をお描きになった楽譜や音楽書、
合唱団のコンサートポスター等も出展されていて、
「眼で観る音楽」の別の側面を目の当たりに出来ました。

               

モラヴィア教師合唱団の公演ポスター(ポストカードを撮影)

チェコスロヴァキアの東側に広がるモラヴィア地方。
モラヴィア教師合唱団は、
当時諸外国へも公演を行うほど優れた男声合唱団で、
そのレパートリーの多くを占めるオリジナル楽曲を、
先のヤナーチェク先生が作曲なさっていたのだそうです

公演ポスターは、
パリからチェコスロヴァキアへと帰国してからの作品。
パリ時代に描かれた華麗な女性とは明らかに違い、
ここでは民族衣装をまとった骨太なスラヴの女性が、
歴史の彼方から呼びかける何者かの歌に耳を澄まします。

ポスターの制作年は1911年。
この年から、祖国への熱い想いと未来への希望を謳った、
あの壮大な《スラヴ叙事詩》制作15年の挑戦が始まります。


皆さま、良き日々でありますように!



              













「伊勢のカムナビ」

2018-01-14 13:30:01 | 音楽
ご承知置きの通り、
神々が住まう鎮守の森は古来「神奈備」と呼ばれてきました。
神奈備の読み方には幾通りかありますが、
神集へ(カムツドエ)神謀り(カムハカリ)神威(カムイ)等の
言葉の響きから、ここでは「カムナビ」と読ませて頂きます。

個人的な感覚ではありますが、
神奈備の「奈備」が、どこか英語のナビゲーションと重なり、
カムナビを始め、自然の内懐に畏敬の念を持って入ることは、
人生の方位方角や道しるべを授かることのように感じます。

               

今回ご視聴を願います楽曲自体は何年か前のもので、
鎮守の森とは異なるテーマで作曲したものですが、
先月末に伊勢の両宮を参拝しました際、感ずる所あり、
その時に撮影したものと合わせてみました。

楽曲は♪ドレファミレド♪という音型とその応答に終始し、
至って簡素なものではありますが、その簡素な作りの分、
ソプラノ歌手・新藤清子さんが創造する豊かな歌唱世界を、
お楽しみ頂けましたら幸いに存じます。



動画中、
次回の式年遷宮予定地〈古殿地(こでんち)〉の映像上に、
〈心御柱(しんのみはしら)〉とテロップ表示しております。

こちらは外宮の古殿地

〈心御柱〉は写真中央奥の小さな御社に祀られていて、
限られた神職の方しか、その形状・真意を知らないという、
極めて神聖なものと聞きます。

思えば伊勢神宮の正式名は、
日本に産声を上げた全ての人々の、
産土(うぶすな)総本宮であることから、
ただ「神宮」とのみ称されるのでありました。

ワタクシめには中々自覚できませんが、
この国に生きる一人一人の内的世界その深奥部にも又、
〈心御柱〉は鎮まっているのかも知れませんね


皆さま、良き日々でありますように!




              









伊吹おろし

2018-01-07 13:50:34 | 日常
気ノ池に照り映える睦月の陽光

そう書きますと少しは温かなようですが


視線を足元に転じますと

凍て果てております

名古屋を含む濃尾平野は、
伊吹山から吹きくだる〈伊吹おろし〉に晒されて、
ついぞ感じた事のないような寒さ。

しかしこの厳寒の中、
下総(しもうさ)地方に古くから根ざす某伝統仏教寺院では、
一日に七度の水行に挑み、一日2時間の仮眠を取り、
ひたすら修行に明け暮れる毎日を、
11月から2月初旬までの100日間に亘り続けるという、
命懸けの行(ぎょう)が敢行されている事を聴くに及び、

「寒い寒い」と背を丸める自分を戒めるものであります。

               

南天は、難を転じる吉祥の樹とか

艱難辛苦の数々が、輝く実りとならんことを

皆さま、御体調等崩されませんように!



              














謹賀新年 2018

2018-01-03 13:41:15 | 日常
皆様、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

こちらの干支人形

御歳89歳の御婦人から頂戴致しました。

御高齢ということもあり入退院を繰り返しておられますが、
鮮やかな造形センスと見事なお手技で、干支人形に限らず、
様々な布工芸を創作し続けていらっしゃいます。

               

本年の干支〈イヌ〉ということで頭に浮かびますのは、
曲亭馬琴が28年の歳月をかけて書いた「南総里見八犬伝」。

昨年まで住まいしておりました千葉県市川市行徳~妙典の地は、
市内を流れる江戸川が東京湾に注ぐ辺りに位置しますが、
「八犬伝」に登場する八犬士のひとり犬田小文吾は、
その行徳の旅籠屋・古那屋の息子として生まれ、
小文吾の甥で同じく八犬士のひとり犬江親兵衛も又、
現在でいう市川市内で生まれたという設定が為されています。

八犬士はもとより、登場人物の「ぬい」は「いぬ」の逆さ読み、
「丶大(ちゅだい)法師」の「丶大」は「犬」の解体形・・と、
馬琴先生は至るところに犬・戌・イヌを潜ませておられます。

古来「犬は人に就き、猫は家に付く」と言われ、
〈忠犬〉という言葉もあり、また江戸時代には飼い主に代わり
伊勢神宮を参拝する〈おかげ犬〉の話が伝わる等々、
犬は真面目で義理堅く社会性が高いというイメージがあり、
「八犬伝」が紡ぐ儒教的かつ勧善懲悪の世界を物語る上で、
犬は最適な動物であることをあらためて感じます。

               

熊楠先生は、論考「犬に関する伝説」の中で

「とにかく犬には 人に判りにくい事を
 速やかに識(し)る能力があるらしい。」
        (南方熊楠著「十二支考」/岩波文庫)

とお書きになり、犬が人間に先んじて危険や異変を察知し、
飼い主の命を救った話を数多く紹介されていますが、
その背景にはおそらく犬の持つ優れた聴力があると思われます。

なんでも犬の聴力は、
4~5km離れた場所で落下した物体の衝撃音を聴き分け、
人間の可聴周波数帯域の5倍をカヴァーしているとか。

現在ピアノの鍵盤数は88鍵、
人はそれ以外の音域を耳にしても音程が取れないと言われます。
犬ならば450鍵で奏される音楽を楽しめるのかも知れません。

               

神社仏閣を守る一対の霊獣をひとくくりに
〈狛犬〉と呼びますが、犬はイヌでも本当のところは、
本殿に向かって右側の「阿形(あぎょう)」が唐獅子、
左側の「吽形(うんぎょう)」が高麗犬(こまいぬ)。

エジプトのスフィンクスに源流を遡ることが出来る唐獅子も、
ライオンや獰猛な四足獣を知らなかった私たちの祖先の眼には
巨大な力に満ちた犬に観えた為の〈巨満犬(こまいぬ)〉説や、
魔物を拒む〈拒魔犬(こまいぬ)〉説などを見聞しますと、
現代にあって警察犬・救助犬・盲導犬等が活躍するように、
昔も今も、犬は頼もしい存在なのだなと思います。

               

ところで生物学は様々な生き物を、
「◯◯目(もく)」「◯◯科」というように分類します。
それによれば意外なことに、イヌは「ネコ目」。

十二支の中に、猫が入っていないと思うのは早計で、
広い意味でイヌ年は、その奥に眠るネコの年なのかも


で、昨年末訪れました内宮の門前町〈おかげ横丁〉の猫

「わたしたち《おかげ猫》三きょうだいニャ、
 向かって左から、お・か・げ・・・」

ワタクシめも、今年一年「おかげ様」の心を忘れずに、
至らぬながらも精進して参りたいと思います。


皆様、良き一年でありますように!