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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

侠気(おとこぎ)

2024-10-13 14:20:25 | 音楽
「侠気(おとこぎ)」という言葉を耳にしなくなりました。
「侠気」は、
どちらかと言えば前時代的な古臭さを纏った言葉であり、
“ gender ” の取り扱いに注意を要する現代社会には、
あまり適さない言葉なのかも知れません。

「侠気」の「侠」は音読みで「きょう」。
日本では「侠」と言えば「任侠」「侠客」という風に、
どこか裏稼業・反社会勢力などを思わせますが、
これは字義誤解および漢字誤用の歴史的経緯によるもの。
本来「侠」が宿しているのは、

「弱きを助け、強きを挫(くじ)く」

に他なりません。

さて、未だ30歳に満たない若き教員あり。
普段の彼は物腰柔らかく、
“ 若い命 ” たちへの的確な指導とアドヴァイス、
何よりも優しい眼差しと丁寧な言葉遣いに、
“ 若い命 ” たちに対する愛情が滲む人物。

そんな彼の内界にも怒りが点る時があります。
それは、
弱い立場にある “ 若い命 ” に不利益が生じる時、
或いは生じるかも知れないと予見される時。
“ いじめ ” などは言語道断であることは言わずもがな。
大小に為される提案の方向や意見の方角が、
“ 若い命 ” に向いておらず、
“ 大人の事情 ” に向いているのでは?と疑われる場合などは、
たとえそれらの提案なり意見なりが、
職階上位者から発せられたものであったとしても、
彼は静かな炎と共に敢然と立ち上がるのであります。

「侠気(おとこぎ)」発動。

先日のこと、
「侠気」発動の場に立ち会うことが出来ました。
“ こびず・おもねらず・へつらわず ” の態度を以て、
堂々と自らの考えを述べる姿に、心洗われる思いがしました。
また彼の「侠気」は、自らに非あり、と悟ったら、
即座に謝ることが出来る度量に根ざしたもの。
“ 小我 ” をどこかに置き忘れ、
“ 大我 ” で生きているような人物と申せましょうか。

こういう人物、こういう教員が存在する限り、
日本には希望あり・・・の感を深くするものでありました。

                 

『14段スコアの上部から木管・金管・弦楽五部と、
 とりあえず音部記号を書き入れてみたが、
 (ま、室内オケの編成だわね)、
 音海は何となく寒々しいものを感じたが、
 “ それでよい ” ・・・紫龍は確かにそう言ったのだ。
 あの日、あの時、
 茜色の空に現れた紫龍の言霊を思い返してみる。
 “ 編成を最小限に留め、響きを最大限に放て ” 』

皆様、良き日々でありますように!


               









組曲 “ AQUA SCAPE ”

2021-12-12 15:59:51 | 音楽
先週日曜日(12/5)20:00~の放送に引き続き、
本日(12/12 )20:00~、
FMラジオ番組 “ Presidentstation ” において、
新藤清子さんと成宮俊雄氏の対談が放送されます。

本日の放送では、
早川が作曲し、新藤さんに命を授けて頂いたところの、
組曲 “ AQUA SCAPE ~ 水の巡礼 ” がオンエア予定とのこと。

組曲 “ AQUA SCAPE ~ 水の巡礼 ”


組曲 “ AQUA SCAPE ~ 水の巡礼 ” は、
2010年秋、杉並公会堂において、新藤清子さんを始めとする、
フルムス・オーケストラの皆様によって演奏して頂きました。
今以て感謝申し上げております。 

               

組曲 “ AQUA SCAPE ~ 水の巡礼 ” は、

「水よ、水よ」

と全編に亘り水を讃える楽曲で、その3曲目においては、

「水は、時に雲になり、
 水は、時に雨になり、
 水は、川に、
 水は、海になり、
 この星の全てを、
 循環(めぐる)、移動(つなぐ)、産霊(むすぶ)」

と歌われます。
おこがましい限りとは存じますが、
早川が生涯をかけて扱うテーマの一つが、

“ 水 ”

であります。

早川は、
武蔵野市吉祥寺・井の頭池の近くに青春を送り、
30代は、東京都大田区内を流れる多摩川の岸辺に住み、
その後20年近くを千葉県市川市を流れる江戸川のそばに暮らし、
現在は気ノ池の畔に露命を繋いでおります。

“ 水 ” の風光が好きなのであり、
“ 水 ” から離れるのが不安なのでありましょう。

               

“ 水 ” とは、まことに不思議なもの。
“ 水 ” の本体、“ 水 ” の変容、というものに思考を凝らせば、
自ずと心に湧き、自身の内界に広がってくるのは、
《大宇宙・大自然・大生命》への畏敬、讃仰、思慕の念。

また惑星探査における最大の関心事と言えば、
探査対象の天体に “ 水 ” が有るか無いか?ということ。
もし “ 水 ” が存在すれば “ 命 ” が存在する可能性が高まり、
近年では、土星の第2衛星 “ エンケラドス ” の内部に、
大量の水が蔵されていることが判明し大きな話題となりました。
つまるところ、

“ 水 ” = “ 命 ”

この “ 水 ” = “ 命 ” というところに想いを巡らせますと、
“ 水 ” に固態・液態・気態の三態があるように、
“ 命 ” にも又、固相・液相・気相の三相があると考えて、
さほど間違いではないような気がします。

気態としての “ 水 ” が、目には見えずとも、
大気の中に遍満して私たちを養っているように、
気相としての “ 命 ” も又、網膜には映らずとも、
そこかしこに在って私たちを支えているようにも思います。

               

野村恵一監督「二人日和」(2004)は、
京都で神官の装束を作ることを家業としてきた、
〈神祇装束司〉の当主とその妻との老年期を描いた物語。
夫婦は穏やかな日々を過ごしていたものの、
ある日、妻が “ ALS(筋萎縮性側索硬化症)” を発症。
日に日に筋力が低下し、やがて日常生活も困難な状態となり、
妻は心を閉ざしてゆきます。
どうにかして妻の心を明るく出来ないものかと悩む夫、
夫婦を取り巻く人々、神祇装束、京都という場所・・・等々、
様々な色彩の縦糸と横糸とが紡がれてゆきます。
映画のラスト、
妻に先立たれ、すっかり力を落としている夫は、
ある朝、夫婦にとって、また神祇装束作成にとって、
かけがえのない場所〈梨木神社〉の境内に湧く、
“ 染井の名水 ” に水を汲みにゆきます。

水を汲みながら、ふと亡き妻の気配を感じたのでしょうか。
夫は “ 染井の名水 ” の上方へ視線を転じ、
驚きと安堵とが混じり合ったかのような、
感に堪えないという表情で呟きます。

「なんや、そんなところにおったんか・・・」

“ 水 ” は “ 命 ” であり、
“ 命 ” は巡り続けるものと信じます。




              








Spirit of YAMAGATA

2021-12-05 15:27:00 | 音楽
先ずは告知をさせて頂きます。
早川が関東在住時、大変お世話になりましたところの、
ソプラノ歌手・新藤清子さんが、
本日(2021年12月5日)午後8時から、
以下URLのFM放送に御出演なさいます。

https://presidentstation.com/

FM放送は全国放送で、スマホ・PC等からも聴けるとのこと。
YouTubeに上げられた予告編によりますと、その放送内容は、
新藤さんと成宮俊雄氏(ミュージカル・プール代表)との対談。
とても楽しみであります。
放送予定は以下
1回目:本日5日(日)20:00〜 / 2回目:12日(日)20:00~

               

昨年(2020)9月に開催、配信された、
陸上自衛隊・東北方面隊、創隊60周年記念コンサート動画。
本日は、こちらの動画を共有させて頂きます。

プログラムの2曲目(1:37~)に、
“ Spirit of YAMAGATA ” を演奏して頂いております。

“ Spirit of YAMAGATA ” は、
J2・モンテディオ山形の公式アンセムとして、
2013年から御採用頂いている楽曲でありますが、
当初は管弦楽編成を念頭に置いて作曲し、その後、
吹奏楽編成のスコア(総譜)を書かせて頂きました。

只、その演奏を耳にする機会は無いままに幾歳月が過ぎ、
この度、上掲の演奏動画において初めて、
吹奏楽版 “ Spirit of YAMAGATA ” を聴かせて頂き、
その素晴らしい演奏に、心からの感動を覚えました。

自身の楽曲に感動を覚えたのではありません。
その素晴らしい演奏に、大きな感動を覚えたのであります。
なぜか?

それは濱中則昭先生と音楽隊の皆様による演奏が、
早川の想い描く “ Spirit of YAMAGATA ” そのものであったから。

この感動を表現するのは、筆力の乏しい早川には困難ですが、
敢えて言葉にするならば、それは例えば、
隊員お一人お一人の卓越した演奏力、
音楽隊の持つ高度なアンサンブル能力、
指揮者が設定する理想的なテンポ等々・・・といった、
優れた音楽的要素の数々、及び、
それら優れた要素の集合と集成という風にも言えます。
しかしながら、
優れた要素の集合と集成、唯それだけでは、
「感心」する演奏は生まれるかも知れませんが、
「感動」する演奏は生まれにくいものと思われます。

優れた要素の集合と集成を超えた “ 何か ” 。
優れた要素の集合と集成を支える “ 何か ” 。
優れた要素の集合と集成を統べる “ 何か ” 。

その “ 何か ” が備わり、その “ 何か ” が中心に据えられて、
初めて人は、心震える「感動」を覚えるのだと思います。

音楽隊による演奏を拝聴し、早川は「感動」を覚えました。
それは、先に述べた “ 何か ” に打たれたからであります。

“ 何か ” とは何でありましょうか?
それはもしかしたら、演奏の中から響いて来る、

“ 気組み・心映え・士気・情熱・精神・・・”

と呼ばれるものかも知れませんし、或いは、

“ Heart・Spirit・Soul・Mind・Passion・・・”

と称されるものかも知れません。
或いは又、音楽隊には歴史があると聞きますので、
長きに亘り培われ、受け継がれてきた、

“ 音楽魂 ”

と謂われるものかも知れません。

只、どのように呼び、どのように名付けてみたところで、
その “ 何か ” は、本来的に言語化できないものであり、
その “ 何か ” は、やはり “ 何か ” としか言いようのないもの。

「音楽」は、その “ 何か ” を、
空気の振動、空気の疎密波に乗せて伝えることが出来、
それゆえにこそ「音楽」は尊いのであると申せましょう。

今回、陸上自衛隊・東北方面隊、
創隊60周年記念コンサート動画を視聴し、
「音楽」にとって大切な “ 何か ” を、あらためて教わりました。
濱中則昭先生と音楽隊の皆様に、
心からの敬意と感謝の念を捧げるものであります。


山形に向けて、愛と祈りと魂を!



               












ピアノ版 “ Hymnos ~ 賛歌 ”

2021-06-13 13:41:13 | 音楽
“ Hymnos ~ 賛歌 ”は、2013年に歌曲として作曲し、
ソプラノ歌手・新藤清子さんに生命を授けて頂きました。

今回、ピアニストの岩崎幸一さんが、
“ Hymnos ~ 賛歌 ”をピアノ版として編曲して下さり、
渾身の演奏を以って、楽曲に新たな命を授けて下さいました。

岩崎さんは幼少期からピアノを習い、二十歳の頃には、
早くもピアニスト・コンポーザーとしてCDデビューを果たし、
数多くのテレビ番組や映像作品の音楽を担当して来られました。
近年は〈ジストニア〉という、演奏中の不随意運動を症状とする、
演奏家にとっては極めて厳しい障壁となる病気を抱えながらも、
演奏方法に工夫を凝らしつつ、誠実に、丁寧にピアノと向き合い、
音楽活動および後進の指導に当たっておられます。

岩崎幸一さん編曲・演奏の“ Hymnos ~ 賛歌 ”を、
是非ともお聴き下さい。



編曲という音楽作業は、実際のところ大変に難しいもので、
殊に歌曲をピアノ曲にアレンジするに当たっては、
御苦労されたことと思います。
岩崎さんが、その豊富な和声知識と転調技術、そして何よりも、
流れ・ゆらぎ・呼吸を重んじる繊細かつ荘厳な演奏で、
“ Hymnos ~ 賛歌 ”に魂を注いで頂きましたことに、
心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

                

先に、ジストニアに触れましたが、
特に音楽演奏家には多くの発症例が報告されています。
2020年9月発行の月刊・臨床神経科学では、ジストニアが特集され、
最新知見が網羅された多くの文献の中に、古屋晋一先生が書かれた、
「音楽家・職業性ジストニア」があり、読ませて頂きました。

『音楽家の局所性ジストニアは、
 主に自身が訓練を積んだ楽器の演奏時や、
 声楽家の歌唱時に症状が現れるため、
 課題特異的局所性ジストニアに分類される。
 症状である不随意運動や姿勢異常は、
 演奏時に正確な運動を反復して行う部位にみられることが多く、
 代表例として、金管楽器奏者の唇や舌、撥弦楽器や弦楽器、
 木管楽器、鍵盤楽器の演奏者の手指、
 打楽器奏者の足があげられる。』
(引用元:古屋晋一「音楽家・職業性ジストニア」
 臨床神経科学・38巻9号/2020年9月号/中外医学社
 以下の引用文は全て同書)

不随意運動は主症状として、
演奏中の手指が自分の意に反して曲がってゆく、
或いは逆に開いていってしまう、震える等の形で現れますが、
その初期症状は微小で、痛みも伴わないことから、
早期発見が困難であり、

『症状は練習不足や疲労によるものと音楽家が誤認し、
 さらなる練習を重ねることで
 症状が悪化する事態が後を絶たない。』

なぜ音楽家の局所性ジストニアが起きるのか?に関しては、
脳内の、

『複数の皮質および皮質下領域の機能異常を伴うことから、
 神経ネットワーク機能の障害と考えられている。』

とのことで、近年の脳科学や医療技術の進展と共に、
ジストニアに対する研究が進み、現在のところ、
代表的な治療法としては“ ボツリヌストキシン注射 ”、
代表的な運動機能回復訓練としては、
“ constraint induced therapy ”という、
罹患した手指の不随意運動を妨げる器具を用いた運動機能訓練が、
症状の改善に一定程度の功を奏しているのだそうです。
只、今後の課題として、

『音楽家のジストニアの完治が容易ではない現状から考えて、
 音楽家を対象とした予防教育の実施も重要である。』

また欧米で進められている、

『医学と工学と芸術がシームレスに連携する
 医工芸連携の実現が不可欠である。』

とも綴られていて、
越えなければならないハードルが幾つもあることを知りました。

ジストニア治療の道に明るい光が射してゆくことを願います。




              









桜の章 〜 “ 気ノ池 ”の桜 編

2021-04-11 14:43:03 | 音楽
4月も中旬に差し掛かり、当地の桜樹も、

すっかり新緑の装いへと変わっています。

城山八幡宮の藤も、一気に開花し、



鳥居を臨む参道の躑躅(つつじ)は、

自らを神前の燈明とするかのように咲き始めています。

               

3月下旬頃から撮り溜めていた動画を編集してみました。
映っている桜は全て、“ 気ノ池 ”周辺緑地の桜。
ひとときお楽しみ頂けましたら幸いに存じます。


使用楽曲:組曲「うつろい」より“ 桜の章 ”(2016)
ヴィオラ:西村葉子 / フルート:坂元理恵 / 作曲:早川太海

               

関東から転居して4年、うつ向きがちな日々にあって、
桜の頃ばかりは、
花の微笑みに誘われるまま視線は高い位置へと導かれ、
顔は自ずと、空の方向・天の一角へと上がってゆきます。
私だけではなく、背中や腰が丸くなりがちなお年寄りの方々も、
桜花見たさに背筋を伸ばし、腰を立て、顔を上げておられました。
それは、桜樹によって触発された無意識の動作であり、
無理のない、極めて自然な所作のように見受けられました。

人には人の徳があるように、
花には花の徳というものがあろうかと思います。
それを仮に“ 花徳(かとく)”と呼ぶとしたら、
桜は、紛れもなく幾つもの“ 花徳 ”を備えていて、
その内の一つは、観る者の顔をして自然に上へと挙げ、
その心をして空へと、天へと向かわせることでありましょう。