「侠気(おとこぎ)」という言葉を耳にしなくなりました。
「侠気」は、
どちらかと言えば前時代的な古臭さを纏った言葉であり、
“ gender ” の取り扱いに注意を要する現代社会には、
あまり適さない言葉なのかも知れません。
「侠気」の「侠」は音読みで「きょう」。
日本では「侠」と言えば「任侠」「侠客」という風に、
どこか裏稼業・反社会勢力などを思わせますが、
これは字義誤解および漢字誤用の歴史的経緯によるもの。
本来「侠」が宿しているのは、
「弱きを助け、強きを挫(くじ)く」
に他なりません。
さて、未だ30歳に満たない若き教員あり。
普段の彼は物腰柔らかく、
“ 若い命 ” たちへの的確な指導とアドヴァイス、
何よりも優しい眼差しと丁寧な言葉遣いに、
“ 若い命 ” たちに対する愛情が滲む人物。
そんな彼の内界にも怒りが点る時があります。
それは、
弱い立場にある “ 若い命 ” に不利益が生じる時、
或いは生じるかも知れないと予見される時。
“ いじめ ” などは言語道断であることは言わずもがな。
大小に為される提案の方向や意見の方角が、
“ 若い命 ” に向いておらず、
“ 大人の事情 ” に向いているのでは?と疑われる場合などは、
たとえそれらの提案なり意見なりが、
職階上位者から発せられたものであったとしても、
彼は静かな炎と共に敢然と立ち上がるのであります。
「侠気(おとこぎ)」発動。
先日のこと、
「侠気」発動の場に立ち会うことが出来ました。
“ こびず・おもねらず・へつらわず ” の態度を以て、
堂々と自らの考えを述べる姿に、心洗われる思いがしました。
また彼の「侠気」は、自らに非あり、と悟ったら、
即座に謝ることが出来る度量に根ざしたもの。
“ 小我 ” をどこかに置き忘れ、
“ 大我 ” で生きているような人物と申せましょうか。
こういう人物、こういう教員が存在する限り、
日本には希望あり・・・の感を深くするものでありました。



『14段スコアの上部から木管・金管・弦楽五部と、
とりあえず音部記号を書き入れてみたが、
(ま、室内オケの編成だわね)、
音海は何となく寒々しいものを感じたが、
“ それでよい ” ・・・紫龍は確かにそう言ったのだ。
あの日、あの時、
茜色の空に現れた紫龍の言霊を思い返してみる。
“ 編成を最小限に留め、響きを最大限に放て ” 』

皆様、良き日々でありますように!






「侠気」は、
どちらかと言えば前時代的な古臭さを纏った言葉であり、
“ gender ” の取り扱いに注意を要する現代社会には、
あまり適さない言葉なのかも知れません。
「侠気」の「侠」は音読みで「きょう」。
日本では「侠」と言えば「任侠」「侠客」という風に、
どこか裏稼業・反社会勢力などを思わせますが、
これは字義誤解および漢字誤用の歴史的経緯によるもの。
本来「侠」が宿しているのは、
「弱きを助け、強きを挫(くじ)く」
に他なりません。
さて、未だ30歳に満たない若き教員あり。
普段の彼は物腰柔らかく、
“ 若い命 ” たちへの的確な指導とアドヴァイス、
何よりも優しい眼差しと丁寧な言葉遣いに、
“ 若い命 ” たちに対する愛情が滲む人物。
そんな彼の内界にも怒りが点る時があります。
それは、
弱い立場にある “ 若い命 ” に不利益が生じる時、
或いは生じるかも知れないと予見される時。
“ いじめ ” などは言語道断であることは言わずもがな。
大小に為される提案の方向や意見の方角が、
“ 若い命 ” に向いておらず、
“ 大人の事情 ” に向いているのでは?と疑われる場合などは、
たとえそれらの提案なり意見なりが、
職階上位者から発せられたものであったとしても、
彼は静かな炎と共に敢然と立ち上がるのであります。
「侠気(おとこぎ)」発動。
先日のこと、
「侠気」発動の場に立ち会うことが出来ました。
“ こびず・おもねらず・へつらわず ” の態度を以て、
堂々と自らの考えを述べる姿に、心洗われる思いがしました。
また彼の「侠気」は、自らに非あり、と悟ったら、
即座に謝ることが出来る度量に根ざしたもの。
“ 小我 ” をどこかに置き忘れ、
“ 大我 ” で生きているような人物と申せましょうか。
こういう人物、こういう教員が存在する限り、
日本には希望あり・・・の感を深くするものでありました。



『14段スコアの上部から木管・金管・弦楽五部と、
とりあえず音部記号を書き入れてみたが、
(ま、室内オケの編成だわね)、
音海は何となく寒々しいものを感じたが、
“ それでよい ” ・・・紫龍は確かにそう言ったのだ。
あの日、あの時、
茜色の空に現れた紫龍の言霊を思い返してみる。
“ 編成を最小限に留め、響きを最大限に放て ” 』

皆様、良き日々でありますように!





