台風一過の気ノ池

初秋の空には絹雲が棚引き始めました。



新型コロナウィルスによる様々な行動制限により、公演の中止や、
演奏会の延期等を余儀なくされる音楽家やクリエイターを支援する、
“ アートにエールを! ” プロジェクトの一環で、
昨年の夏に公開された新藤清子さんの演奏動画を、
御本人の了解を得てシェアさせて頂きます。
想えば昨年の夏に公開された動画ですので、
もっと早くシェアすれば良さそうなものを、今頃になって、
「あぁそうだ!シェアさせて頂こう!」となる辺りが、
早川の “ 天然 ” ぶり。自分でも呆れるのであります。
さて、
この動画を視聴しますと “ 新藤清子 ” という歌い手が、
いかに才能豊かな演奏家であるかが自ずと分かります。
新藤さんには、過去およそ10年に亘り、
早川が作った数々の楽曲に命を吹き込んで頂きました。
新藤さんは、
楽曲と向き合う際の音楽的姿勢において、一切の妥協がなく、
細やかな音楽精神と技術、何よりも音楽の力を、
フレージング・アーティキュレイション等の隅々にまで、
ゆき渡らせ、注ぎ入れる演奏家なのであります。
音楽とは不思議なもので、
作曲者本人が、自ら生み出した音楽について分かっていない・・・、
という場合が多々あります。
新藤さんは、その点に関して、早川の楽曲に対しても、
「この音楽は、全体を半音上へ移調した方がいい」
「この曲のこの部分は、テンポが速すぎる」
「この音は、もう1小節伸ばした方がいい」等々、
次々にアイデアやアドヴァイスを提供して下さり、
それに従ってみますと、俄然楽曲が動き出す・・・という経験を、
数多く積ませて頂きました。
録音現場では、それは本当に一瞬の “ 間(ま )” であったり、
感知できないほど微細な “ ブレス(息継ぎ)” であったり、
という音楽事象なのですが、その “ 薄紙一枚の差 ” こそが、
音楽生命の生死を分けるのだということを教わりました。
“ 新藤清子 ” という演奏家は、
与えられた仕事に全人格を挙げて挑む、というタイプであり、
小器用に立ち回れる演奏家ではないものと思います。
上掲の動画も、一聴しただけでは “ 普通にステキ ” 、
という風な感想に留まりがちなのかもしれませんが、
先に申し上げた “ 薄紙一枚の差 ” という辺りを念頭に置いて、
何度も御覧頂きますと、発声・唄い方・表情の全てにおいて、
けっして “ 普通にステキ ” だけでは済まされない、
「新藤清子の凄み」とでも言うべきものが、
ジワジワと伝わって来るものと思われます。
本日の記事は「ソプラノ歌手 新藤清子」と題しましたが、
その活動の場はクラシック音楽に限らず、
ミュージカル、ポップスから昭和歌謡に至るまで幅広いもの。
そのどれもが、揺るぎない音楽として在ることを想いますと、
真の “ SINGER ” と申し上げた方が良いのかも知れません。
これからが楽しみであり、更なる御活躍を願うものであります。



当ブログ「それでも世界は希望の糸を紡ぐ」は、
1、お世話になった演奏家の素晴らしさを讃える。
2、他者を批判しない。
3、なるべく希望を語る。
この3つを旨として始めたことを思い出し、今回は、
その初心に返って、新藤清子さんについて書かせて頂きました。
今後も折に触れて、早川が御縁を賜った演奏家の方々、もしくは、
現在進行形でお世話になっている様々な職種の方々について、
御紹介させて頂ければと思います。
皆様、良き日々でありますように!






初秋の空には絹雲が棚引き始めました。



新型コロナウィルスによる様々な行動制限により、公演の中止や、
演奏会の延期等を余儀なくされる音楽家やクリエイターを支援する、
“ アートにエールを! ” プロジェクトの一環で、
昨年の夏に公開された新藤清子さんの演奏動画を、
御本人の了解を得てシェアさせて頂きます。
想えば昨年の夏に公開された動画ですので、
もっと早くシェアすれば良さそうなものを、今頃になって、
「あぁそうだ!シェアさせて頂こう!」となる辺りが、
早川の “ 天然 ” ぶり。自分でも呆れるのであります。
さて、
この動画を視聴しますと “ 新藤清子 ” という歌い手が、
いかに才能豊かな演奏家であるかが自ずと分かります。
新藤さんには、過去およそ10年に亘り、
早川が作った数々の楽曲に命を吹き込んで頂きました。
新藤さんは、
楽曲と向き合う際の音楽的姿勢において、一切の妥協がなく、
細やかな音楽精神と技術、何よりも音楽の力を、
フレージング・アーティキュレイション等の隅々にまで、
ゆき渡らせ、注ぎ入れる演奏家なのであります。
音楽とは不思議なもので、
作曲者本人が、自ら生み出した音楽について分かっていない・・・、
という場合が多々あります。
新藤さんは、その点に関して、早川の楽曲に対しても、
「この音楽は、全体を半音上へ移調した方がいい」
「この曲のこの部分は、テンポが速すぎる」
「この音は、もう1小節伸ばした方がいい」等々、
次々にアイデアやアドヴァイスを提供して下さり、
それに従ってみますと、俄然楽曲が動き出す・・・という経験を、
数多く積ませて頂きました。
録音現場では、それは本当に一瞬の “ 間(ま )” であったり、
感知できないほど微細な “ ブレス(息継ぎ)” であったり、
という音楽事象なのですが、その “ 薄紙一枚の差 ” こそが、
音楽生命の生死を分けるのだということを教わりました。
“ 新藤清子 ” という演奏家は、
与えられた仕事に全人格を挙げて挑む、というタイプであり、
小器用に立ち回れる演奏家ではないものと思います。
上掲の動画も、一聴しただけでは “ 普通にステキ ” 、
という風な感想に留まりがちなのかもしれませんが、
先に申し上げた “ 薄紙一枚の差 ” という辺りを念頭に置いて、
何度も御覧頂きますと、発声・唄い方・表情の全てにおいて、
けっして “ 普通にステキ ” だけでは済まされない、
「新藤清子の凄み」とでも言うべきものが、
ジワジワと伝わって来るものと思われます。
本日の記事は「ソプラノ歌手 新藤清子」と題しましたが、
その活動の場はクラシック音楽に限らず、
ミュージカル、ポップスから昭和歌謡に至るまで幅広いもの。
そのどれもが、揺るぎない音楽として在ることを想いますと、
真の “ SINGER ” と申し上げた方が良いのかも知れません。
これからが楽しみであり、更なる御活躍を願うものであります。



当ブログ「それでも世界は希望の糸を紡ぐ」は、
1、お世話になった演奏家の素晴らしさを讃える。
2、他者を批判しない。
3、なるべく希望を語る。
この3つを旨として始めたことを思い出し、今回は、
その初心に返って、新藤清子さんについて書かせて頂きました。
今後も折に触れて、早川が御縁を賜った演奏家の方々、もしくは、
現在進行形でお世話になっている様々な職種の方々について、
御紹介させて頂ければと思います。
皆様、良き日々でありますように!




