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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

ガブリエルの左手には 2025

2025-06-22 15:23:25 | 
古今の絵画、
特にルネサンス期宗教絵画に描かれた大天使ガブリエルは、
多くの場合、その右手に印を結び、
左手にユリの花を携えていることに因み、
当地へ転居後の2018年から、
「ガブリエルの左手には」というブログ題で、
名古屋市は千種公園のユリ園を毎年訪れております。
今年も時折小雨のパラつく空模様の下、足を運んでまいりました。

写真は全て2週間ほど前に撮影したもので、
今日現在(令和7年6月22日)の様子ではありません。

昨年は「ガブリエルの左手には 2024」として、
宮沢賢治(1896~1933)「四又の百合」に触れました。
今年は、千種公園のユリを御一緒しながら、

同作者の童話「ガドルフの百合」を読んでみたいと思います。

いま「同作者の童話」と書きましたが、
仮に童話の定義を「児童が読むための物語」とした場合、
「ガドルフの百合」が童話に該当するとは思えません。
そもそも宮沢賢治作品の多くは童話から程遠いもの。
大人にとってさえ難解なそれらを、
“ 童話 ” にカテゴライズするには無理があり、
作品の数々は「賢治世界」としか呼べないものでありましょう。

それはともかく「ガドルフの百合」。

『巫山戯(ふざけ)た楊(やなぎ)の並木と陶製の白い空との下を、
 みじめな旅のガドルフは、力いっぱい、
 朝からつづけて歩いて居りました。』
(引用元:宮沢賢治「ガドルフの百合」新潮社、以下『』内同書)

冒頭部の記述からは、
ガドルフが旅人であることは察せられますが、
それ以外の情報は少なく、国籍及び年齢不詳、
『小さな器械』の入った『背嚢』を背負った人物というくらい。
背嚢とはリュックサックのこと。

ガドルフとは、

一体何者なのでありましょうか?

歩き通しに歩くうち日も暮れた上に雨雲が湧き始め、
ほどなく雷鳴轟く荒れた天候となったため、
ガドルフは稲光りの中に浮かんだ大きな黒い家へと避難。
誰もいない家の中、寒さに震えつつ窓の外を見ていると、
明滅する雷電に照らされてボンヤリと白く光る何者かが、
こちらを窺っています。
恐る恐る声をかけるガドルフ。

『どなたですか。今晩は。』

何度問うても返事はありませんが、
ひときわ輝く稲妻の光が、何者かの正体を明らかに。

『ははは、百合の花だ。ご返事ないのも尤(もっと)もだ。』

大きな黒い家の庭には白百合が群生していて、

勢いを増す嵐の中、何とか倒れずに立っているのでした。
降り注ぐ雷雨、鳴り止まぬ雷鳴、闇を裂く雷光、
それらに翻弄されつつも果敢に立ち続ける百合。
その姿に何らかの感銘を受けたものか、

『美しい百合の憤(いか)りは頂点に達し、
 灼熱の花弁は雲よりも厳めしく、ガドルフは
 その凛と張った音さえ聴いたと思いました。』

『その凛と張った音』とは、

一体どのような音なのでありましょうか?

この後ガドルフは旅の疲れから眠りに落ち、夢を見ます。

それは『豹(ひょう)の皮のだぶだぶの着物』を着た男と、
『まっ黒くなめらかによそおっ』た、
まるで『烏(からす)の王』のような男との壮絶な格闘。
殴り合い、蹴り合い、激しく組み合う豹男と烏王。
『奇麗に光る青い坂の上』から彼らはゴロゴロと転がり、
坂の下で闘いを観ていたガドルフに突き当たったところで、
ガドルフは目を覚まします。

奇怪に過ぎる夢に現れた豹男と烏王は、

一体何を喩えたものなのでありましょうか?

起き上がってみると、どうやら嵐は過ぎたようで、
『雨もやみ電光ばかりが空を亘(わた)って』いて、
その光が、

『嵐に勝ちほこった百合の群を、まっ白に照らしました。』 

窓の外を見れば、一本の木から滴る不思議な薔薇色の雫。

『これは暁方(あけがた)の薔薇色ではない。
 南の蝎(さそり)の赤い光がうつったのだ。
 その証拠にはまだ夜中にもならないのだ。』

『南の蝎の赤い光』とは、

さそり座アルファ星で赤色超巨星の “ アンタレス ” 。
アンタレスとは “ アンチ=アレス ” 、
「火星に対抗するもの」の意。

火星もアンタレスも、共に赤い輝きを放つ星でありながら、
古来、火星は戦災をもたらす凶星と恐れられたことを想えば、
その火星に対抗するアンタレスとは、

和平に向かう道を指し示す吉祥の星。
花に花言葉があるように、星にも星言葉があるそうで、
火星の星言葉は「外へ向けて意欲的に行動する力」。
アンタレスの星言葉は「自己の内面を見つめる瞳」。

遥か彼方の吉星から届いた光に染められた一粒の水滴、
そのひとしずくが宿す力に背中を押されてなのかどうか、
ガドルフは次の町へ向けて出発する決意を固めつつ、
物語の終わりに、こう思うのでした。

『おれの百合は勝ったのだ』

                 

詩や小説を始め、文章表現による作品には、
何を言いたいのかが分かりやすいものと、
何を言いたいのかが分かりにくいものとに大別できるかと思います。
「ガドルフの百合」は、
不協和音が連続する “ 現代音楽 ” を聴くような作品で、
なかなか分かりにくいもののように感じられます。
そこで諸賢碩学の方々が著した解説等々を頼ってみますと、
どうやら「ガドルフの百合」という心象風景は、

賢治が当時憧れていた女性への想いが秘めらているのだとか。

野暮にして無粋な早川、
そう言われても今ひとつピンとこないのですが、
今回、私なりに「ガドルフの百合」を読みつつ、
千種公園のユリ園を散策して何となく想起されたのは、
ユリと雷とが呼応する様子。

こちらの写真でも明らかなように、

ユリの雌蕊(めしべ)は空へ向けて屹立しています。

ユリの花姿・花容・花態自体が、

どこかパラボラアンテナを彷彿とさせると共に、

ある種 “ 塔 ” のようにも観えます。

京都は教王護国寺、通称「東寺」境内に建つ五重塔は、
その高さゆえに創建以来、4度に亘って落雷し、
現在の塔は5代目と伝わります。

ユリの雌蕊を、そういった “ 塔 ” と見立ててみますと、
そこには当然のこと “ カミナリ ” が落ちるわけで、
“ カミナリ ” は巷間周知のように “ 神鳴り ” であれば、
ユリという植物には、

天からのメッセージが降りやすいという風にも考えられます。

メッセージということで思い至るとすれば、
その手にユリを捧げ持つ大天使ガブリエルは、
“ 受胎告知 ” を始めとして「神意伝達」の役目を担う、
天界のメッセンジャーでありました。

雷雨、雷鳴、雷光の中に震える謎の旅人ガドルフは、
その背嚢に『小さな器械』を入れていましたが、
賢治はその『小さな器械』の正体を明かしません。
ただ一カ所にだけ、こう綴っています。

『ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、
 手探りで開いて、小さな器械の類にさわって見ました。』

神意伝達のメッセンジャー大天使ガブリエルの持つ百合が、
見えざる世界との交信を可能にする “ 塔 ” だと仮定し、
ガドルフ、百合の群生、雷、奇怪な夢といった辺りを想うに、

『小さな器械』というのは、もしかしたら何らかの通信機器、
それも私たちが生きる世界とは違う世界と通信する装置で、
ガドルフは異世界もしくは異次元からやってきた旅人・・・、
などと想像するのは、さすがに行き過ぎかも知れませんが、
そうした想像を膨らませて楽しむことが出来るのも、
これまた賢治世界の深々とした魅力のように思います。
因みに賢治が生きた明治期には、
無線を始め電信通信技術が急速に発展導入されています。

                 

ユリという植物は、
古今の別なく、また洋の東西を問わず、
画家、作家、作曲家等々にインスピレーションをもたらし、

様々な作品を生み出す原動力たり得てきました。

今年も大勢の来園者で賑わったユリの苑。

今回は「ガドルフの百合」を片手に、
賢治の内界に咲いた心象世界の百合と、
千種公園に群生する現実世界のユリと、
二つの世界が淡く交わる領域を彷徨ってみました。

あらためて感じられたのは植物のチカラ。
樹齢数千年とも伝わる屋久島の縄文杉から路傍の草花に至るまで、
植物というのは一見すると、
動かない、語らない、歌わない、奏でないように思えますが、

実は私たちが感知し得ない方法で、
自在に動き、雄弁に語り、繊細に歌い、壮大に奏でているのだと、
その実感を深くするものでありました。


“ Lily & Dragon ”

皆様、良き日々でありますように!


               










枝の切り口

2025-05-25 17:16:15 | 
かれこれ半年以上に亘り水が引き続け、
池底も露わだったところの気ノ池でしたが、
10日ほど前から水量が戻り始め、

満々たる気ノ池であります。

                 

吉川英治(1892~1962)の代表作「宮本武蔵」。
小説の中に描かれる “ 宮本武蔵 ” と、
歴史上の人物たる宮本武蔵(1584~1645)とは、
多くの部分で異なっていることは、
巷間既によく知られているところ。

しかしながら新聞連載が始まった1935年以来、
多くの読者は小説上の武蔵を史実としての武蔵と重ね、
武蔵に憧れ、武蔵に惹かれ、武蔵に倣い、
少なからず自己修養の糧としてきたことと思われます。
早川もまたそうした読者の一人であり、
かつて千葉県市川市は行徳の地を住まいとしたのも、
史実として武蔵と所縁のある場所だからというよりは、
小説内のエピソードに感化されてのことでありました。

それはそれとして小説「宮本武蔵」の中では、
武蔵が大和盆地の東に位置する柳生の里を訪れ、
剣の大家であり今は隠居暮らしの柳生石舟斎に会うべく、
思案に明け暮れるというくだりがあります。
先ずは柳生の剣術道場に、
名門の子息、吉岡伝七郎が訪れ手合わせを申し入れます。
柳生側は石舟斎の隠居老齢を理由にこれを断り、
その際、これを手土産に・・と一輪の花を渡します。
それは石舟斎が自らの腰刀で枝を切った芍薬(シャクヤク)。
花などいらぬわ、と芍薬に目もくれず立ち去る吉岡伝七郎。
その後、巡り会わせの妙か、天の采配か、
その芍薬は機縁に委ねられるままに武蔵の元へ。

伝七郎が目もくれなかった芍薬ですが、
武蔵は強く感銘を受けたものか目を離す事が出来ません。
武蔵が魅入られたのは花の美しさではなく、
枝の切り口。

『その元の切り口は、鋏(はさみ)で剪ったのでもないし、
 小刀(こづか)とも思われない。
 幹は柔軟な芍薬のそれではあるが、
 やはり相当な腰の刀(もの)を用いて切ってあるものと
 武蔵は見たのである。』

『それも生やさしい切り方ではないのだ。
 わずかな木口であるが
 切り人の非凡な冴えが光っている。』
(引用元:吉川英治「宮本武蔵」新潮文庫)

たった数ミリの切り口。
そこに気が付くことの出来ない伝七郎。
そこに気が付くことの出来る武蔵。
二人とも当代きっての剣豪であり、
やがて両者は剣を交えることになるのですが、
武蔵の一刀のもと、伝七郎は敗れます。
時系列を遡れば、
芍薬の切り口に対する両者の感受性が明かされた段階で、
既に勝負は決まっていたということでしょうか。


気ノ池の緑龍

皆様、良き日々でありますように!


               









ことばの限界を超えて

2024-11-24 16:19:23 | 
江戸時代の初期に造成された灌漑用水池を発祥とする気ノ池。

夏以来行われていた水量調整門工事の影響で、
写真の通り、水位が大きく下がり池底が露わになりました。


常ならば水量豊富なエサ場も、水が少なくなった上に、
水門閉鎖により循環が滞って濁りが増し、
白鷺も何となく困った様子で、
“ いやぁ、コレどうしたものかなぁ・・・ ”

一本足で立っているのは体温の低下を防ぐための習性で、
主に秋から冬にかけて見られる立ち方。
片足は腹部の羽毛内に入れています。

                🟰◎◎◎🟰

詩人・谷川俊太郎師が旅立たれました。
慎んで御冥福をお祈り申し上げます。
谷川俊太郎師(1931~2024)と武満徹師(1930~1996)、
お二人の永きに亘る友情は、よく知られるところ。

武満師のエッセイ集「遠い呼び声の彼方へ」には、
“ 谷川俊太郎 ~ 豊かなことばの世界へ ” の一編があり、

武満師が、どれほど谷川師の詩作世界を愛しているかが、
作曲思想哲学者らしい筆致で綴られています。

作曲家は、かつて詩人からこう聞いた・・として、
谷川師の言葉を紹介しています。

『(前略)ぼくはもう、ことばを信頼しないとか、
 馬鹿にするとかいうことは全くなくなって、
 つまり ことばしかないんだというふうに、
 居直ったところがある。』
(引用元:武満徹「遠い呼び声の彼方へ」新潮社、以下同)

詩人の心情を、作曲家はこう解釈します。

『おそらくそれは「ことば」を絶対視し、
 それが全てを表現できると想うような単純な信頼なのではなく、
 「ことば」の限界を厳しく見極めた上で
 「ことば」を発語するのだという、潤達な、
 一つの決意といったものであっただろう。』

                 🟰◎◎◎🟰

森本哲郎師(1925~2014)は、
松尾芭蕉(1644~1694)が生み出した、
“ ことばの宇宙 ” を考察する著作の中において、
「ことばの限界」について、こう記されています。

『神のことばならぬ人間のことばは、
 たとえ、どのように多くのことばを生みだそうとも、
 絶対に完全な域に達することはないのです。
 それがことばの限界であり、
 同時に人間の限界といえましょう。』
(引用元:森本哲郎「そして、自分への旅」角川文庫、以下同)

そして芭蕉という人物は、
「ことばの限界」を知る人だったとした上で、

『けれども ― たぶんに逆説的にきこえますが ―
 それだからこそ、ことばは、
 ことばの果てにある世界を黙示するのではないでしょうか。
 そして、ことばが沈黙するところ、
 そこにもうひとつの世界、ことばで表現しえない世界、
 ことばの果てにある世界が現れる。
 それこそが「信」の世界だと私は思います。』

『「信」の世界』

「信」を「シン」として想えば、
それはまた「心・神・真・新・深・芯・・・」の世界。

この辺りを、もう少し具体的にと申しましょうか、
私たちの日常生活に即して考えてみますと、
例えば “ コミュニケーション ” 。
コミュニケーションを尽くせば、
「人と人は分かり合える」とするのではなく、
どれほどコミュニケーションを尽くそうとも、
「人と人は分かり合えない」。
つまりコミュニケーションの限界というものを、
心に刻んだ上で行われるコミュニケーションが、
意外と “ 真のコミュニケーション ” を開くことになると、
そういった部分が有るような気もします。

「ことば」は万能でも無限でもなく、限界がある。
けれども、

その限界を痛感し、その限界を見極めた上で、
なお言葉を紡ぐ人の「ことば」は、
それゆえに限界を超えてゆく。

「愛」や「希望」然り、「音楽」また然り。
私たちが生きる世界の玄妙な働きと申せましょう。


“ Tai chi long shen ”
~ 太極龍神 ~

皆様、良き日々でありますように!


               








数学者 岡潔の言葉

2024-09-22 15:03:15 | 
足繁く通う城山八幡宮。

本日は参拝を御一緒しながら、希代の数学者、
岡潔(おか きよし)先生の言葉を味わいたいと思います。


「多変数解析函数論」の分野に於ける “ 三大難問 ” 。
それらの難問に解決を与え世界を驚愕せしめた数学者、
岡潔(1901~1978)。
そのエッセイ「春宵十話」は1960年代に新聞連載されるや、
深く鋭い洞察が多くの人々の心を捉えたとされます。
2000年代に待望の復刊が為され、
早川が読んだのは2023年に光文社から発行された第22刷版。

現在、この版も品薄だそうで、
岡潔先生の普遍的人気の高さを物語ります。


既に人口に膾炙する岡先生の言葉は、
折に触れ各方面で取り上げられてきたわけですが、

この世界的数学者は、まず以て、こう語るのであります。

『人間の成熟は遅ければ遅いほどよい』
『すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎるほうがよい。』
(岡潔「春宵十話」光文社、以下引用元は同書)

そして人間教育の根本に、
“ 人の成熟は遅いほど良い ” という考えを据えよ、
そう訴えるのであります。

これには意表を突かれると申しましょうか、
私たちが暮らす社会の風潮としては、
人間の成長は速いに越したことはない・・・とするのが一般的。

なぜ、
『人間の成熟は遅ければ遅いほどよい』のでしょうか。
岡先生は、こう考えます。

人間は、あくまでもヒト科の動物であって、
その本性は “ 渋柿 ” のようなものであり、
この “ 渋柿 ” に “ 甘柿 ” の枝を接ぎ木することで、
かろうじて「人」の体裁を保っている。
庭の柿の木を見れば分かるように、
“ 渋柿 ” の成長は早く、“ 甘柿 ” の成長は遅いと。

ここで “ 甘柿 ” に喩えられているのは情緒や情操のことで、
つまりは「心」。

「心」というものは、
じっくりゆっくりと時間をかけてしか育まれないと、
岡先生は言うのであります。


一読一聴しただけでは、
これが世界の数学者を悩まし続けて来た難問を解いた人物、
その人の言葉なのか?・・と不思議な気がします。
なぜならば数学は理論的かつ論理的な学問であって、
情緒、情操、心の世界からは遠いと思われるから。

しかし、当の数学者である岡先生は記します。

『計算や論理は数学の本体ではないのである。』

では何が数学の本体なのでしょうか?
岡先生は、アンリ・ポアンカレ(1854~1912)の言葉を引き、
数学の本体は『調和の精神』であるとした上で、
『調和の精神』を欠いた数学によって原子爆弾が生まれ、
『調和の精神』を失った人間によって投下されたと説きます。

この『調和の精神』なるものは、
つまるところ情緒や情操、やはり「心」に他ならず、
情緒情操の早成や「心」の早熟は不可能であり、
もし可能であったとしても、それは危険でしかない。

『すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎるほうがよい。』

には、そうした想いが込められていたわけであります。

随筆の中では、
数学を志す人を始めとする若者に向けて、
音楽、絵画、古典、俳句等々、
様々な芸術に親しむことの大切さが強調されています。
優れた芸術には『調和の精神』が宿っていると。

                 

半世紀以上前に書かれたものということもあり、
そのまま受け入れにくい部分もあるかとは思いますが、
ひとりの偉大な数学者が情緒情操を説き「心」を唱え、
“ 人間の成熟は遅い方が良い ” と喝破する辺り、
お子さんの成長に一抹の不安を覚える親御さんにとっては、
その不安を和らげる一助となるのではないでしょうか。
少なくとも、
成長不良、成熟遅滞に悩む我が身には一服の清涼剤。

岡先生は、
教育機関で教鞭を執り続けた教育者でもありました。

教育者は敬虔であれという信条のもと、
「春宵十話」には、こう綴られています。

『敬虔ということで気になるのは、
 最近「人づくり」という言葉があることである。
 人の子を育てるのは大自然なのであって、
 人はその手助けをするにすぎない。
 「人づくり」などというのは
 思い上がりもはなはだしいと思う。』


『人間の成熟は遅ければ遅いほどよい』(岡潔)

皆様、良き日々でありますように!


               







図録が届きました

2024-07-14 15:44:28 | 
昨日(令和6年7月13日)届いた宅配便。

発送元は奈良国立博物館。


逸る気持ちを抑えつつ、

こうベリベリッ・・・と。


緩衝材から透けて見えるのは、

「空」と「海」の文字・・・ということは、


はい、ドーン!

そうなのであります。
先月のブログ記事「日帰りで奈良~京都」では、
奈良国立博物館で開催された、
特別展「空海」を拝観したことを記しました。
その際は展覧会盛況につき図録は “ soldout ” 。
そこで入荷次第送って貰えるよう手続きを取り、
昨日届いたというわけであります。

未だ目次や図版を眺めつつ、
パラパラとページをめくるに留まるものの、
そこには今まで知らなかったこと、
以前から知りたかったことが書かれています。
オモテ表紙は京都・神護寺所蔵:高雄曼荼羅・一印会。
300ページ越えの図録は、
こう片手で持ちますと・・・おっも!

心ときめく重さであります。

ウラ表紙は京都・教王護国寺所蔵:風信帖・冒頭

“ 風信雲書自天翔臨 ”
時の彼方の墨痕に、かの人の息遣いを感じます。


“ Waterfall Ⅴ ”
~ 瀧は邪気を祓う ~

皆様、良き日々でありますように!