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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

「リト@葉っぱ切り絵」展

2025-04-20 13:44:01 | イベント・展覧会
時差投稿になってしまいましたが、
去る3月19日~3月31日まで名古屋市・星ヶ丘三越で開催された、
「リト@葉っぱ切り絵」展に行ってまいりました。

既に各種メディアで大きく取り上げられている方ですので、
御存知の方が多いことと思いますが、
名古屋地区での作品展は今回が初開催なのだそうです。

会場の作品は全て写真撮影OKということで、

何枚かを撮らせて頂きました。


会場に展示されていたのは、

手の平に乗るくらいの小さな葉っぱに、
細やかな切り込みを入れた “ 原画切り絵 ” と、


その原画切り絵を

自然光に浮かべて撮られた写真の数々。


新美南吉(1913~1943)の「手袋を買いに」も、

“ リト@葉っぱ切り絵 ” さんの手にかかれば、


いや、これはもう・・・、

早川は会場にて涙腺崩壊。


作品名『うち、来る・・・?』



光の中に浮かび上がるのは、少女とネコとの出会い。

世の中によくある出会いと言えばそれまでなのですが、
こうジィーっと、リトさんの葉っぱ切り絵を観ておりますと、
何かと何かが出会う、その “ 出会い ” の背景には、
宇宙138億年という途方も無い時間と空間の中で繰り返された、
巡り合わせの連鎖と現象事象の離合集散があるんだよ・・・、
そんな声が聴こえてくる気がします。

“ リト@葉っぱ切り絵 ” さんは、
ADHD(注意欠如・多動症)による生きづらさを抱えながらも、

ADHDによる偏った集中力を前向きに活かすことで、
葉っぱ切り絵の世界を創造してゆかれたのだそうです。


決して平坦な道のりではなかったことと思いますが、
ADHDに限らず、生きる上で一見ネガティブに見えるものも、
光の当て方次第ではポジティブなものへと変わるという辺り、

ある意味で “ 切り絵 ” や “ 影絵 ” の世界そのもの。

私を含めて、
人は誰しもが自らを客観視した時、おそらく自身の内界に、
あまり他者には知られたくない性質や疾患、
出来れば隠し通したい性癖や嗜好、
総じて “ 影 ” なるものを認めざるを得ないかと思います。
しかし自然現象としての “ 影 ” を単純に考えてみますと、
“ 影 ” とは、そこに “ 光 ” が当たるからこそ生じるもの。

自身に内在する “ 影 ” 、自身の人生に射す暗い “ 影 ” 。
とかくマイナスと見做されがちな、それらの “ 影 ” は、
実は自身が “ 光 ” に照らされていることの証なのでは?

今までに観たことのない、
豊かで優しい “ リト@葉っぱ切り絵 ” さんの世界から、
様々な示唆や視点を授かる想いがしました。

皆様、良き日々でありますように!


               








第28回ハート展

2024-11-03 16:54:33 | イベント・展覧会
“ Rainy day ”

昨日(令和6年11月2日)の当地は雨模様でしたが、
本日は行楽日和の快晴であります。

                 

NHK名古屋支局で開催中の

第28回ハート展に行ってまいりました。

御承知置きの通りハート展は、
様々な障害を持ちながら生きる方々、
又そうした方々と共に歩む人々から寄せられた詩の数々を、
趣向を凝らした方法で展示するもの。
只、歳月の川を隔てて久しぶりに訪れた今回の展示は、
私が知るハート展とは趣を変えたシンプルなものでした。

現況の早川は、
肢体不自由を始めとして、
症状の軽重には差が有れど通常生活に困難を生じる、
若い命たちの集う “ 場 ” に命を養わせて頂いております。

そのお陰で今回のハート展では、
過去に通ったハート展で見聞した時とは、
ひと味もふた味も異なる感覚を味わうことが出来ました。
その感覚は、先に申し上げましたように、
私自身が “ 場 ” の外側から、
“ 場 ” の内側へと移ったためにもたらされたもの。
ひと言で申すならば「共感」でありますが、
その共感の質、或いは共感の深度といったものが、
以前とは異なっていたということであります。
う~ん・・・この辺りの感覚表現は、
自分で書いていても分かりにくいです。
筆力の乏しさをお許し下さい。

                 

展示作品の中には、
肢体不自由児童(7歳)の詩作がありました。
遠くでセミの声が聴こえたようで、
居ても立ってもいられず、
車椅子で行ってみようと思うのでした。
「せみ」と題された、この詩の中に、

『車椅子をこいで』

の文言がありました。

私自身、車椅子を使う若い命と日々を共にしておりますと、
その若い命が自分の行きたい場所へ向かおうとする際に、
彼が両手で車椅子の両輪を操作するところに立ち会います。
「歩いて」でもなく、「走って」でもなく、
「車椅子をこいで」行きたいところに行く。
昼放課、行きたい所へ行こうとする時の力強さたるや、
目を見張るものがあります。
思春期真っ只中の男の子。
心ひそかに想う人を、遠目からでも観たいのかも。

“ 車椅子をこぐ ” の「こぐ」は「漕ぐ」。
「ボートを漕ぐ、船の櫂を漕ぐ」というように、
彼は未知の大海原へと日々漕ぎ出しているのでしょう。

・・・という風に今回のハート展では、
一つ一つの詩作品を鑑賞しながら、
「そう、そう、現場ではそうなんだよなぁ・・・」と、
“ 場 ” の外側から眺めていた時とは違う感動を以て、
楽しませて貰いました。


~ 阿字ヶ岳の龍神 ~

皆様、良き日々でありますように!


               









MIHO MUSEUM

2024-08-11 14:38:03 | イベント・展覧会
勤務先でお世話になっている先輩職員は “ 旅好き ” の方。
全国の名所旧跡を始め、知られざる景勝地なども御存知で、
折に触れ “ 旅 ” の話を聞かせて貰うのですが、
早川の歓びが神社仏閣参拝にありと知って下さってからは、
「ここのお寺は良かった」「あそこの神社は美しい」等々、
豊富かつ有益な情報を授けて下さいます。

そうした話を交わす中で「石山寺はオススメ」、
加えて「MIHO MUSEUMは素晴らしい」と教わり、
夏季休暇を利用して行ってまいりました。

石山寺もMIHO MUSEUMも最寄り駅は “ JR石山駅 ” 。
まずはMIHO MUSEUMへ向かうべく、
石山駅前のバス乗り場から帝産バスに揺られること約1時間。
降り立った終点 “ MIHO MUSEUM ” は人里を遠く離れ、
見渡す限りの山、やま、ヤマ。緑、みどり、ミドリ。
ここは琵琶湖の南、湖南アルプス山系の懐深くに位置し、
まさか美術館が在るとは思えないような場所。

この道を辿れば良いのであろうかと、

半信半疑で歩を進めます。


道の両脇には枝垂れ桜が延々と並んでいて、

春ともなれば、さぞや圧巻の花景色でありましょう。


トンネルが見えてまいりました。



トンネルはトンネルなのですが、

通る者をして日常から非日常へといざなう装置のよう・・・。


やっと出口が見えてきました。



それでも美術館らしきものは見当たりませんねぇ。



トンネルを抜けると深い渓谷。

そこに渡された大きな鉄橋を進んでゆきますと、


MIHO MUSEUM

大変な場所に建てられたものであります。


入館して天井を見上げれば、何となく思い起こされるのが、
かのルーブル美術館・ガラスのピラミッド。

それもそのはず、MIHO MUSEUMは、
パリのルーブル・ピラミッド、
ワシントンのナショナルギャラリー東館等を設計した、
I. M. ペイ氏(1917~2019)によって建築設計されたもの。

『設計のテーマは桃源郷。
 道に迷った漁夫が仙境の楽園~
 桃源郷を見つけ出すという中国の古典、
 陶淵明の「桃花源記」に描かれた物語を、
 信楽の地に実現しました』
(引用元:MIHO MUSEUMのリーフレット)

先ほど通り抜けたトンネルの不思議さといい、
トンネルを抜けた後の心躍る非日常感といい、
早川が受けた印象は、
ペイ氏の意図に基づくものだったわけであります。
優れた建築家というのは、
“ 心の設計図 ” までをも描き上げるのでしょうか。

今回、MIHO MUSEUMを訪れた目的は、
「令和古寺巡礼~奈良大和路のみほとけ」展

尤も、いま申し上げました通り今回の拝観は、
まず以て湖南アルプス山系という、
天地が生み出した大きな自然美術があり、
その中にMIHO MUSEUMという建築美術があり、
その中に仏像を始めとする仏教美術があり、
その中で祈りの造形という精神美術と向き合うもの。
これはもう唯の「拝観」とは異なる体験でもあり、
リーフレットにあった言葉を借りるならば、
ある種の『桃源郷』体験でありました。

出展されていた仏像について諸々を書きたいのですが、

それはまた機会を改めることと致しまして、
特筆すべきは図録であります。
通常の展覧会図録は各ページに展示物の写真が掲載され、
それらの解説は巻末にまとめられ、
フォントサイズの小さな文字で書かれています。
つまり展示物について知りたくば、
その都度巻末を開いては写真ページ番号と照らし合わせ、
見づらい文字を読み拾わなければならず、
学習能力および視力に難ありの早川には、
これが中々に面倒かつ厄介なのであります。
ところが今回の、
「令和古寺巡礼~奈良大和路のみほとけ」展図録は、
御覧下さい・・・いかがでしょうか。

展示物写真と見やすい文字による解説とが、
同じページに掲載されています。
唯これだけのことなのですが、
「唯これだけのこと」が大変に有り難いこと。

因みに上掲写真の右ページに写る密教法具は、
展覧会場では法具の載る金剛盤から下ろされて、
独鈷杵(とっこしょ)・三鈷杵(さんこしょ)・
五鈷杵(ごこしょ)・金剛鈴(こんごうれい)と、
それぞれが見やすく展示されていました。

これらは西大寺の所蔵で奈良県指定文化財。
鎌倉期の法具らしい精巧かつ剛健な気風を醸しますが、
その中にも平安期法具のような優美さ繊細さを纏い、
いやぁ、もうウットリ・・・、
鋳物師の名工ぶりを如実に味わえる逸品でした。
驚くべきは今なお現役の法具であり、
西大寺の重要な法会で実際に用いられているとのこと。
特に金剛鈴(五鈷鈴)は、その妙なる音色に由来して、
「鈴虫」と呼称されているのだそうです。

次週は、石山寺を御一緒させて頂きます。


『龍は水に生じ、五色を被(こうぶ)りて游(およ)ぐ。
 ゆえに神なり。 』(「管子」水池篇より)

皆様、良き日々でありますように!


                 









日帰りで奈良〜京都

2024-06-09 16:20:01 | イベント・展覧会
昨日(令和6年6月8日)、日帰りで奈良~京都へ。
会期終了間近の展覧会を、どうしても観ておきたく、
朝早くに名古屋を発ち行ってまいりました。

近畿日本鉄道を利用し伊勢中川経由で奈良へ入り、
やってまいりましたのは近鉄・奈良駅から徒歩10分、

奈良国立博物館であります。


「空海 / 密教のルーツとマンダラ世界」展

かねてより連日の盛況ぶりは耳にしておりましたが、
この日は会期終了間際ということもあり、
入場券を購入するにも長蛇の列。

今回の展覧会、何が良かったと申して、
仏像・尊像の何体かが、ガラスケース越しではなく、
何の隔てもない空間で拝観できたこと。
無論、厳重な警備体制が敷かれた上での展示でありますが、
ガラスケースという隔てが無いことに加えて、
その尊像の回りを巡って拝観できるよう工夫されていて、
そうした工夫の数々によって、展覧会場でありながら、
寺院内部のような雰囲気が醸されていました。

仏像を運んで来て見せるというだけに留まらず、
その仏像が纏っている空間をも移設するという展示方法は、
今までとは違った視点をもたらすもの。

それが顕著に感じられたのが、
弘法大師・空海上人坐像(和歌山・金剛峰寺)、
通称「萬日大師」と呼ばれる、室町~桃山時代の名像。

過去に幾度となく拝観しておりますが、
尊像を周回し、つぶさに拝んだのは今回が初めて。
表情、眼差し、後頭部や背部の圧倒的重厚感等々、
どれもが拝む角度によって千変万化してゆき、
「生けるが如し」を実感するものでありました。

                 

さて、奈良から京都へ移動し訪れましたのは、
京都駅から歩くこと、およそ15分、

龍谷ミュージアムであります。

「文明の十字路・バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」展は、
武装勢力によって爆破され消滅した、
バーミヤン大仏の新たな “ 描き起こし図 ” を中心として、
バーミヤン大仏が鎮まっていた岩屈に描かれた、
ゾロアスター教の太陽神・ミスラが、
仏教に取り入れられ弥勒信仰へと繋がっていった流れを、
豊富な資料で明らかにしてゆくスケールの大きな内容。

今回訪れた二つの展覧会のテーマは、
かたや密教のルーツ、かたや弥勒信仰のルーツと、
どちらも “ 源流 ” を尋ね、“ 源泉 ” を探るものでした。

二つの展覧会については、
後日あらためて感想等を記したいと思います。
(左「空海」展フライヤー、右「文明の十字路」展図録)

                 

さて、この日最後に訪れましたのは教王護国寺(東寺)。



講堂

堂内は、めくるめく “ 密 ” の宇宙。


金堂

薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が祀られています。
特には月光菩薩。
その魅力たるや筆舌に尽くしがたいものが有り、
唯々、手を合わせ続けるばかりであります。


『スールダッタよ、
 あのうたこそは わたしのうたで
 ひとしく おまえのうたである。』
(宮沢賢治「竜と詩人」より)

皆様、良き日々でありますように!


               









宝石展 in 科学館

2022-09-18 14:08:53 | イベント・展覧会
名古屋市は伏見の地、白川公園内に在る名古屋市科学館。



開催中(~明日19日まで)の特別展、

「宝石 ~ 地球がうみだすキセキ」に行ってまいりました。

先日、
名古屋城を訪れました際、石垣を構成する “ 石 ” を眺めるうちに、
“ 石 ” というものに言い知れぬ何かを感じて以来、
「考えてみれば “ 石 ” とは不思議なものよなぁ・・・」
などと思い暮らしておりましたところ、
折良く上記特別展の開催情報に接し観覧に訪れたわけであります。

会場内は、一部の箇所を除いて、
フラッシュ無しの静止画撮影は許可されていました。
訪れた日は入場者が多く、他の方々に迷惑がかからないよう、
限られたもののみを素早く撮ってまいりました。
幾つか御覧下さい。

会場入り口において、まず圧倒されるのが、
こちらのアメシスト・ドーム、幅およそ3メートル。

地球の地下深部を流れる熱水に溶け込んでいた、
酸化ケイ素(シリカ)が結晶したもので、
本来無色透明の結晶構造へ周辺岩盤に含まれる鉄成分が混ざり、
紫光を放つアメシストが生まれるのだとか。

化石由来の宝石アンバー、いわゆる琥珀でありますが、

不思議なる哉、紫外線を照射すると、


かくの如し。



同じく化石由来の宝石、その名も “ アンモライト ” 。

『アンモナイトの化石の中で、
 貝殻の外套膜の組織構造が残されているものは、
 研磨することで光の干渉による虹色の光を放ちます。』
(引用元:宝石展・公式図録「GEM」)


翡翠(ヒスイ)と言えば、糸魚川。



観ているだけで惹き込まれます。



巨大宝石の数々。

上段中央のロッククリスタルはラグビーボール大。


アメシストに彫刻された猿。



アゲートに彫刻された毘沙門天。



こういう機会でなければ、

お目にかかれない宝飾品の数々。










                 

今回の特別展は “ 科学 ” 館で開催されるだけあって、
宝飾品・装身具としての「宝石」以前に、
なぜ地球において「宝石」が産出するのか?
「宝石」は地球内部のどの辺りで、どのように生まれるのか?
というところから科学的に解説されてゆくものであり、
多くの学びを授かりました。

愛知大学の西本昌司教授は、公式図録「GEM」の巻頭エッセイ、
「なぜ地球は “ 宝石の惑星 ” になったのか」の中で、

『少なくとも太陽系の中で、
 多種多様な宝石が存在している天体は地球だけである。
 なぜだろう。
 それは水(H2O)があるからである。
 地球は、水惑星だったから “ 宝石の惑星 ” になれたのである。』

として、こう説かれています。

『水晶は水の働きによってつくられたことが分かっている。
 高温の水(熱水)が、
 地下深部で岩石を溶かすことでシリカ(SiO2)を含み、
 比較的浅い場所に移動して温度が低下すると、
 溶かし切れなくなったシリカ分を沈殿・結晶化させた。
 それが水晶である。
 地下をめぐる水の作用でつくられた結晶なのだから、
 「水晶」という和名はなかなかの名訳だと思う。』

或いは又、国立科学博物館・地学研究部・鉱物科学研究グループ・
研究主幹:門馬綱一氏による寄稿「原石の生い立ち」では、
エメラルドの主成分元素 “ ベリリウム ” の解説に始まり、
コロンビア産の希少石 “ トラピチェ・エメラルド ” の構造等々が、
味わい深い文章で綴られていて、読むほどに、

宝石には地球が営む億年単位の活動が宿っていることが分かります。

                 

いま以て感動さめやらぬ「宝石展」でありましたが、
その感動は、宝石によるものというよりは、宝石を生んだ、
そして現在も地下深くにおいて宝石を生み育て続けている、
地球の偉大さを感じてのこと。

この辺りに想いを馳せながら宝石の数々を眺め歩むうちには、
大小の宝石一つ一つが、地球そのものにも観えてまいりました。
その感覚のままに想像を膨らませてゆきますと、つまるところ、
真の “ 宝石 ” とは、
何よりも地球に育てられているところの、私たち一人一人、
個々の人間生命を指すようにも感じられてきます。
先に、愛知大学・西本昌司教授の記された、

『地下をめぐる水の作用でつくられた結晶なのだから、
 「水晶」という和名はなかなかの名訳だと思う。』

を引かせて頂きましたが、これに倣うとするならば、
私たちの命は、
宇宙という時空の作用、特には地球という星の壮大かつ繊細な営み、
その結晶でありますので、命のことを仮に「星晶」と、
そのように呼んでも、さほど間違いではないような気がします。

只、「水晶」と「星晶」には大きな違いがあります。それは、
「水晶」は、お金で買うことができますが、
「星晶」は、お金で買うことができないということ。

戦争などは、もってのほかということであります。


“ Crystal and Dragon ”

皆様、良き日々でありますように!